閑話:虚ろの騎士は殺さない
両手にはめた、ゆるい顔のウシとカエルの人形の口を動かせば、パクッと気の抜ける音がする。
一方、フェルメリア謹製・うしさん&かえるさん人形のゆるさに対し、彼が相対する集団には、今にも切り裂かれんばかりの緊張が走った。
「――別に俺は、貴方方を取って食うつもりも、敵対する気も無いのですが」
口パク人形をはめた両手を上げ、彼はうしさんとかえるさんをパクパクと動かすが、その場の緊迫感は増すばかりだ。
彼には、本当に、周囲を威圧する意思などない。
だが。
歴代の残虐非道ぶりが、隣の大陸まで鳴り響いている悪鬼の当代が。
無表情棒読みで、ゆるい顔の口パク人形を動かしている様など。
……彼をよく知らない者からすれば、全力でおちょくっているか、何かよからぬことを企んでいるようにしか見えず、普通に怖いのだ。
『――エマ~っ!!
人身売買は駄目だからっ!!
普通に犯罪なんだから、誰かに向かって買うとか言っちゃいけませんっ!!!』
泣きそうな主君の声に、彼は視線を動かす。
斬って裂いて穿って突き通して――。
殺して殺して殺して殺す。
宙に浮かぶ青年の虚像は、何とも情けない表情とは裏腹に、魔物を殲滅していく手際はよどみない。
主君はそういう人間で、主君だけは生死を案じる必要はないと、彼はこの上なく理解している。
だからと言って、主君の身内が害されかねない事態も、主君がしたくないことしなければならない状況も、彼は許容しかねるのだが。
――虚像の端っこで、涙目でぴるぴると震えている主君の従妹姫は、主君と違い、ただの人間でも殺せて。
いなくなってしまえば、今までと同じく、主君は嘆いて、己を責めてしまう。
僅かに危惧した彼の耳に、呻き声が届いた。
「ばけもの」
パクパクと、うしさんとかえるさんの口を動かしていた手が、止まる。
「――災厄を招く大凶星と、そう我が君を評したのは、そちらでしょう」
だから、さっさといなくなれと。
そうだから、今すぐ死んだ方が皆のためだと。
晴れやかに笑って彼に言い捨てたのは、目の前の相手だ。
今更になって、恐れおののく人の群れを、彼はその漆黒の瞳にただ映した。
朔の夜闇を宿した眼差しは、虚無ともつかぬ静謐に沈む。
「この程度の悪戯で、俺は、誰に責任を問う気も、怒る気もありません」
あまり怒りたがらない主君はともかく、下手な毒蛇よりも性質の悪いエレインが、どう動くかなぞ、彼にも保証しかねるが。
「貴方方が、我が君をどう思っていようと構いませんが、いい加減に我が君達をこの場に戻してください」
淡々とした――欠片の情も見いだせない彼の声音に、一体何を感じ取ったのか。
殺気が湧き上がったのは、ちょうど彼の背後。
――主君の姿が消えるなり、問答無用で彼に襲ってきた集団の中の一人が、復活してしまったらしい。
ぽふっと。
気が抜けると、アレクサンドリアの現王陛下がげんなりした効果音と共に、襲撃者は勢いよく地面に叩きつけられた。
ちなみに、右手にはめた、うしさん人形の機能のお陰で、彼にあっけなくのされた騎士は、無傷ですんでいる。
彼の放った裏拳から発生した音と、彼の拳が引き起こした現象は、激しくそぐわないが、うしさんもかえるさんも、フェルメリア製の魔法具なのだから仕方がない。
これでも、獣耳(犬耳、うさ耳etc.)や看板(*手を出さなければ安全です)等、むやみに敵を作りたくない主君の大迷走に、終止符を打った代物だ。
ついでに、レインの時にもこれがあればと、父の主君に天を仰がせ、性格の悪いエレインを笑い死に追いやりかけた、うしさんとかえるさんでもある。
彼としても、うしさんとかえるさんを両手に装着すれば、いちいち殴り殺さないよう手加減せずに済むので気楽だ。
そして、悪鬼の前に、うしさん&かえるさん人形に敗北した事実は、新たな襲撃者を抑制するのに、意外と有効なのである。
特に、正義の味方面したい人種には、お間抜けな撃退法が案外効果的だ。
……ただ、積み上げ折り重なった憎悪と妄執の前には、うしさんもかえるさんも、ちっとも役に立ちなどしないけれど。
自分へと向けられる何とも言い難い視線を、彼は、決定的ななにかを欠いた瞳で切り捨てる。
虚像から流れてくる主君たちの会話は、魔物の群れに現在進行形で襲われているとは思えない、妙なほのぼの感があった。
――ふっと、彼は小さく息を吐く。
うしさんとかえるさんを脱ぎ捨てた手が、腰の得物を抜刀するのと、彼を爆炎が包み込んだのは、ほぼ同時。
驚きはない。
怒りもない。
もう、とうの昔に慣れている。
だって、彼の主君が、真正の『殺戮の覇王』であるならば、彼はその対たる『虚ろの騎士』。
――災厄を喰らう大禍にして、悪役にするには都合のいい、大凶星だ。
ぶわりと、巻き起こった風が、火炎を蹴散らす。
彼の左耳で、父の形見の耳飾りが、ちりりと音をたてた。
高く、低く、謡う様に鳴動するは、とろりとした透明感のある緑色の刃。
それは、彼が先祖から引き継いだ魔導器――武器型の魔法具だ。
本来、魔導器は、元から魔力を扱う素養のない、歴代の王鞘達には無用の長物である。
ただ、取り込んだ呪詛を代謝して魔力を得られる彼は例外で、呪詛や澱を喰らう限り――主君が非常に嫌がるが――は、十全にその機能を発揮できるのだ。
顔を引き攣らせた人々に対し、傷一つ無い彼の面には、何の情動も浮かばない。
「……『殺戮の覇王』が討てないならば、『虚ろの騎士』だけでも、と?」
王鞘の業を引き継いだ者への、この上ない侮辱に、彼は静かな動作で、緑の切っ先を向ける。
魂が欠損したがごとくに凪ぎきった黒瞳が、ほんの少しだけ細められた。
「俺は、我が君の第一の忠臣で、神域の番人、――そして、アレクサンドリアの悪鬼です。
――王の鞘たる俺が、我が君の首を刎ねることを赦された誉を、他の誰かに渡すとお思いか?」
彼の喉から出る声は、常と変わらぬ平坦さだ。
……でも、たぶん、自分は腹立たしいのだろう。
父が死んだその日に、一度壊れきった彼は、もう、まともに喜怒哀楽を感じ取れない。
ひとが言う、当たり前のようには、もう動けない。
けれど、自分で決めたから。
取り返しがつかなくなる前に、主君を止めると、自分は選んだのだから。
それは、――それだけは、人として在るべき何かが欠けた彼の、混じり気のない本当だ。
彼の大事なものに手を出したりしなければ、自分なりに頑張って『普通』を演じ続けていたというのに。
血の気が引いていく相手に、ただ、告げた。
「殺しはしません。
我が君以外の人間の命を奪うなと、我が唯一無二たる主君より命じられていますから」
そう、殺しはしない。
それだけは、しない。
「アレクサンドリアに何もしないと、確約して下さればよろしいですので」
彼が言い切ると、不意に、地を揺るがすような咆哮があたりに轟いた。
これは――亡き竜の、啼き声か。
ああ、急がなければいけないなと、彼は胸中で呟く。
早く終わらせてしまった方が、彼の主君がべそをかく時間は短くて済むのだ。
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*うしさん&かえるさん人形*
アレクサンドリアの悪鬼安全アピールのために、大迷走していた某ヘタレ王子へ、彼のお父さんの親友が用意してみた人形。
見た目は、ゆるい顔のうしさんとかえるさん。
実は、見た目とは裏腹な高性能の魔法具で、どんな力で殴っても、無傷+気絶するだけの効果付き☆
笑いを取るための効果音もバッチリ(はあと)
でも、無表情棒読みが通常仕様の王鞘が装着していると、なぜかこわいぞ(汗)