43.侯爵令嬢は元土の神様と出会う
試練を受ける皆のために、クリスとマリーと三人で毎朝お弁当を作るのが日課になっている。今朝も早起きして厨房に立ち、献立を考えていた。
「今日は何を作るの? リオ」
「ここのところ、寒くなってきたでしょう? 何か温かいものがいいと思うのだけれど、お弁当を食べる頃には冷めてしまうのよね」
火の魔石があれば、料理を温めることができるのだが、魔石は贅沢品だ。贅沢品をほいほいと使うわけにもいかない。
「火の魔石を使えば保温をすることも可能ですけれど、これから寒くなるので手に入りにくくなりますからね」
マリーが顎に手をあてて考え込んでいる。
これから本格的な冬がやってくる。フィンダリア王国の北に位置するグランドール侯爵領の冬は厳しい。冬支度に薪と火の魔石は必需品だ。尤も火の魔石はそれなりの値段なので、裕福な商家や貴族しか手が出せないだろう。我が家では火の魔石は客人のもてなし用に使っているくらいだ。
領主館は冬対策ですべての窓が二重になっており、冬の間は使用する部屋の暖炉や薪ストーブは火を絶やさない。領民の家も差はあるが、同じような対策をとっているはずだ。
「それならば、鍋はどうだ?」
トージューローさんが厨房に入ってくる。
「トージューロー様、おはようございます。鍋とは何ですか?」
「おはよう、ユリエ。鍋というのは肉や魚や野菜を煮込むヒノシマ国の料理だ」
要するに鍋とは煮込み料理のことだろう。作り方は分からないが……。
厨房の入り口に人の気配がしたので、顔を向けると執事長の姿が見える。執事長は「皆様、おはようございます」と一礼してから、トージューローさんと向き合う。
「お取込み中、失礼いたします。トージューロー様のお知り合いだと仰る方がいらっしゃっております」
どうやら、トージューローさんを訪ねてきたお客様がいるらしい。
「知り合い? 名乗っていたか?」
「女性でクジョーと名乗っておられました」
名前を聞いて、トージューローさんが顔を顰める。
「げっ! あいつか! よく俺がここにいると分かったな」
執事長とともにトージューローさんは慌てて厨房を出ていく。
「トージューローの知り合い?」
「女性だと言っていたわね」
しばらく考え込んで導き出した答えはといえば、どうやらクリスも同じようで顔を見合わせる。
「「婚約者とか!?」」
「違えよ!」
すかさずトージューローさんの突っ込みが入る。もう戻ってきた。早い!
トージューローさんの後ろを見ると、女性がいる。艶やかな黒い髪と黒曜石のような瞳のきれいな女性だ。年は十六、七歳くらいに見える。トージューローさんと同じような長着の上にロングスカート? のようなものをはいていた。
「こいつは俺の幼馴染だ」
不機嫌そうにトージューローさんが女性を指差す。女性はにっこりと笑うと優雅に一礼する。
「お初にお目にかかります。九条霞菊乃と申します」
トージューローさんの幼馴染というと、ヒノシマ国の人かな? それにしても難しい名前だ。
「クジョーガスミキクノ様ですか? 初めまして。カトリオナ・ユリエ・グランドールと申します」
カーテシーではなく、ヒノシマ国風の挨拶をする。上体を傾けて相手に向かって頭を下げる礼を「お辞儀」というそうだ。
「あら? きれいな発音ですね。ヒノシマ国の名前は発音しにくいと思いますので、あたくしのことはキクノとお呼びくださいませ」
キクノ様はふふと微笑むと、厨房の入り口に顔を向ける。キクノ様の視線の先を辿ると、ひょっこりとレオンが顔だけ出している。か! 可愛い!
「久しぶりですね、森の神」
「まさかとは思ったが、やはりお前の気配だったか」
トージューローさんが訝し気にキクノ様とレオンを見る。
「何? お前ら知り合いなの?」
「前に話したであろう? 人間に転化した神がおると。こやつがそうだ。元土の神だ」
「「「「えええええ!!!!!」」」」
クリス、マリー、トージューローさん、私の四人の驚く声が重なる。
◇◇◇
ひとしきり驚き、落ち着いた後、キクノ様にそれぞれ自己紹介をする。キクノ様は終始笑顔を絶やさずに、丁寧に対応をしてくれた。
自己紹介の後は、鍋の作り方を知っているというキクノ様に教えてもらうことにする。
「はあ、菊乃がこの国の元土の女神か。そのわりには全然、神気が感じられなかったぞ」
野菜を刻みながら、トージューローさんが呟いている。料理をしなさそうに見えるのだが、意外と上手い。
「神気は隠しているのです。ヒノシマ国の神々に目をつけられると厄介ですから」
ヒノシマ国にも神様がいるらしい。どんな神様なのかしら?
元土の女神キクノ様が私に微笑みかけると、少年姿で黙って手伝いをしてくれているレオンに視線を移す。
「良かったですね。森の神……今はレオンと呼ばれているのでしたか? 彼女が見つかったのですね」
「うむ」
レオンの返答は素っ気ない。キクノ様がいう彼女とは誰のことだろう?
「それにしても、よくここが分かったな、菊乃。あ、神様だから、『様』を付けないとダメか?」
「今さら、彦獅朗に様付けで呼ばれても気持ちが悪いですから、今までどおりで構いません。彦獅朗の居場所は遥か昔に桐十院家のご先祖様がグランドール侯爵家に婿入りしたことがあると聞いておりますので、貴方がいるのならば、ここかと思ったのです」
それだけの情報でトージューローさんを見つけ出すとはたいしたものだと思う。元この国の神様だから、当たり前なのだろうか?
「失礼ですが、キクノ様はトージューロー様に何か御用があるのではないのですか?」
「我が九条霞家は桐十院家のお目付け役なのですよ。彦獅朗が国を飛び出して勝手に大陸に渡ったので、探し出すのが、あたくしの役目でした。見つかったのでお役御免です」
お目付け役? 護衛みたいなものかしら?
「言っておくが、俺は当分帰らないぞ」
「国主は彦獅朗の好きにさせておけと仰っておられました。便りのみ国に出しておきます。あたくしもしばらくは大陸に残りますので、ご心配には及びません」
にっこりと良い笑顔のキクノ様に対して、トージューローさんは不満そうに口をへの字に曲げる。
「帰れ」
「いやです。久しぶりに故郷に帰ってきましたので、しばらく滞在します」
元々、キクノ様はこの国の守護神の一柱だ。故郷と言っても差し支えないだろう。
「キクノ様、宿泊されるところは決まっていらっしゃいますか? 決まっていなければ、我が家にご逗留ください」
「おい! ユリエ!」
制止しようとするトージューローさんは無視する。
「ありがとうございます、ユリエ様。お言葉に甘えましてお邪魔させていただきます」
「ユリエとお呼びいただいて構いません。トージューロー様もそう呼んでおられますから」
ちっと舌打ちして、前髪をくしゃくしゃとかきあげているトージューローさんに向かって、ぐっと親指を立てているキクノ様だった。
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