ルル
「レイヴァオール……教会……」
無意識に、教会の名前が口から洩れていた。
あ……あぁ、そうだ。やっと俺は、教会にたどり着いたんだ。
名前を聞いたこと、状況が落ち着いたことでようやく実感がわいて来た。
見渡せば、何やら荷車のような物が置いてある整備された石畳の地面に、近くには小さな花の咲いた花壇。
複雑なゴシック様式の石造りの荘厳な教会……。
なにより、俺達を取り囲む多様な髪の色をした人々。
人だ。本当に人が目の前にいる。
やばい、頭がごちゃごちゃしてなにも考えられない。
いろんなことを聞きたかった。色んなことを話したかった。
笑って、冗談を言いたかった。苦労した話をしたかった。
手を、触れたかった。
毎日毎日、それだけを願って生きて来たんだ。
本当に狂いそうだった。人を恋しくて、独り言以外のことを話したくて。
今、本当に触れられる位置に、人が――
「お……俺は――」
「遅い……」
……え?
「お嬢、待っ――」
「遅いよ……ばか!」
「はい?」
突如、目の前の少女の目がクワッと突然見開いた。
それを見て、傍に控えていた男が、あちゃーと言った具合に額に手を当てている。
「本当に、死んじゃったんじゃないかってずっと不安でしょうがなかったんだから! とげぞうちゃんはずっと寝たままだし、みんなはゲンなんて要らないとか言いながら王種に逆らえずに詰んじゃうし、やっと言う事聞いてくれるようになったと思ったらもうどうもこうもしようが無くなってて、それでも何年も諦めずに頑張って何とか生きていく生活基盤が出来てやって来てたのに、今度は王種がやってきて結界の大半を壊しちゃって畑は無くなって家畜たちも死んじゃってもうダメだって、本当にもうみんな生きる希望も無くなって――」
野生のマシンガントークが襲って来た。
「いや、え、あの?」
「大体、全滅寸前のぎりぎりで到着ってどういうこと!? ギリギリ間に合ったからまだよかったものの、ヒーローは遅れてくるとかそういう奴? そういうのホント要らないから! みんな死んじゃったじゃないのバカバカバカ!」
え? マジで何で俺説教されてるの? もっとこう、無事でよかったとかねぎらいの言葉をですね。
ってか君そんなキャラなの? なんかもっとこう、おしとやかでございますわみたいな雰囲気さっき出してなかった?
とげぞうさん、なんで俺が悪いみたいに足を前足でポンポンするの?
ほら、周りのおじさんたちもみんな、俺は何も見ていないみたいな態度とるの辞めてくれない?
あれ? 俺の期待してた状況となんか違うんですけど。
殺されかけるし、女の子に責められるしどうなってんの?
「い、いや遅いって言われても、俺は全力で――」
「皆が死んでいくのを私は此処を維持しなきゃいけなくて見てるだけしかできないし、彷獄獣に堕ちたみんな、私のことを罵りながら堕ちていくし、碌に食べ物も十分にないせいでみんなどんどんおかしくなっていくのよ!? こんな場所に閉じ込めてる罪悪感でほんと生きた心地しなくて、何度もおばぁ様を――」
「だあああああ! うるさい!!」
どんだけ鬱憤溜まってたんだよ!
一気にしゃべられて何言ってるのか全然わからん。
こちとら久方ぶりの人の言葉なんだよ。耳がリハビリ要求してるのに何いきなりフルスロットルで鼓膜振るわせてるわけ?
もう後半耳がビリビリ言う音しか聞こえてなかったよ?
俺の方が喋りたいこといっぱいあるんだよ! お前のターンもう終わったから!
「!? うるさい!?」
「俺だって意味が分かんないまま此処にきてんだよ! 目が覚めたら見知らぬ部屋に見知らぬおっさんがいるし、扉開ければ真っ赤な世界でおっさんは一瞬で死ぬし、手の化け物が襲ってきて、外に出れば死肉と化け物の溢れる地獄みたいな世界だぞ!?」
「お、おっさん?」
俺の反撃に、少女が面喰ったような表情をした。
「おう、俺の事いきなり殴ってきたおっさんだ! あそこに俺が居た原因がお前なら知ってるおっさんだろ!? 何なのあのおっさんいきなり俺を襲ってきて何の説明もしてくれないし、終いには俺の荷物全部うばっていったんだぞ!?」
「おっさんなんて知らないわよ! 居たのは可愛い女の子のユピテルだったはずよ!?」
「はぁ? 可愛い女の子? 無精ひげの血まみれのおっさんしかおらんかったわ! あと白骨死体な! 目が覚めたらすぐそばに白骨死体とかあったことあるか!? 小便ちびりそうになるぞ! だいたいおっさんの話はもういいんだよ! その後の地獄の生活をこれでもかってほど語ってやるからな!? そのあとにもう一回遅いとか言ってみろ、ひっぱたくぞ!」
「ちょっとまって、ユピテルは!? ユピテルはどうしたのよ!」
「ユピテルユピテルって、誰よユピテル!」
叫んでからは、もうなんか訳が分からなくなった。
おっさんとユピテルのゲシュタルト崩壊が始まっている。
俺は俺でその後何があったのかもう無我夢中で喋ってたし、少女は少女でユピテルって奴が居なかったことにショックを受けてほとんど聞いてない様子だし、周囲のおっさんたちは俺の話にすげぇ驚いてはくれてるみたいだけど、なんか少女との立場の差があるのか俺に話しかけることは無い。
「――ってなわけで、主食なんて死肉と水、デザートはもやしだぞ? 聞いてる? ねぇ?」
「ユピテル……」
「もうユピテルはいいよ。気の毒だけど白骨死体がユピテルだったんだろ」
「そんな……」
あ、やっちゃった。
あんまりにもユピテル引きずるから、今まで思ってても言わなかった事言っちゃった。
いや、だってどう考えてもあと一人の登場人物=白骨死体になっちゃうじゃん。
あーあ、泣き出しちゃった。
「ごめんなさい、ユピテル。ごめんなさいごめんなさい。助けに行けなくてごめんなさい」
ポロポロと涙を流し、終いにはへたり込んでしまった少女へ声をかけるなんて、俺にとってこの地獄で生きていくより難しい事だった。
どどどどどうしよう。これだから女は嫌なんだよ。
「お嬢……。ラニャ、お嬢を連れてってくれ。俺はまだゲンと話がある。いいか?」
「あ、あぁ……」
「かしこまりましたの」
助かった! おっさんナイスフォロー! さすが金髪の男は女の扱いがうまいな。
で、おっさん誰よ? ダンディなイケメンだな。
「……死んでしまえ」
「!?」
しまった。心の声が漏れてた。
おっさんが驚愕の顔を見せるが、目を合わさなければ気のせいかと首をかしげながら少女を立ち上がらせる。
少女はさめざめと泣きながら、侍女に手を引かれ教会へと入っていった。
「すまないな。お嬢に任せようと思ったんだが、どうもタイミングが悪かったみたいだ。説法の後だったからどうかと思ったんだが、お前の姿を見て緊張の糸が切れたらしい。訳が分からなくてしょうがないだろうけど、許してやってくれ。……ルルも、一杯いっぱいだったんだ」
男が、頭をポリポリと掻きながら俺に謝罪してきた。
っていうか、ルル……。やっぱり、あの子はルルだったのか。
ルルと言えば、俺が山で暴走してた時に俺を拾ってくれた子だったはずだ。そして、ばぁさんの孫。
直接姿を見た記憶はないが、名前だけは何度も聞いた。
「俺の名前はマズローだ」
「……あー……。ど、どうも。俺は、ゲン……です」
しまった。冷静になってしまって気づいたけど……完全にやっちゃった空気だ。
辺りを見渡せば、もうなんか微妙な顔をした男たちの顔がこっちを向いている。
なんか突然現れた男がギャーギャー喚き散らかして女を泣かせていればそりゃもうこんな顔にもなるだろう。
「知ってる。俺達は、お前をずっと待ち続けていたからな」
「……俺を?」
男は頷くと、俺の手を取り立ち上がらせた。
そして、周囲の男たちに目配せすると、おもむろに男たちが動き出す。
俺の周りを取り囲むようにして、男たちが俺を見ている。
マズローは、その中心で俺に口を開いた。
「歓迎するよ、ゲン。本当に、良く生きてたどり着いてくれた」
「よかった……。受け入れてくれるのは本当に助かる。ほんとうに、何が何だかわからないまま此処まで必死に逃げて来たから、受け入れてもらえるかとか不安だったんだ。とりあえず腹も減ったし、ちょっと落ち着かせてほしい」
「あぁ、もちろんだ。ゆっくり落ち着いてくれ。そして落ち着いたら――」
マズローは、微笑みながらこう言った。
「お前を……食わせてくれ」