王妃とシロツメクサの冠
私は、茨の城と呼ばれるウエストレペンス城を訪れた。
「王妃様こんにちは」
「シロツメクサの冠です」
幼い兄弟がとことこ走ってきて、私に白い花でできた冠を差し出す。
私が少しだけ身をかがめると、兄弟は私の頭にそれを載せた。
「ありがとう」
微笑んでそう答えると兄弟はそろってにっこり笑う。
「はじめまして。イリーナ・ラハードです」
優しい落ち着いた声で、二人の母親らしき女性がそう告げる。
「ここの管理人のラハードだ」
ラハード伯爵は一応頭を下げるがそれ以上は会話をするのも嫌と言う風にさっさと行ってしまった。
私付きの護衛の顔が引きつるが、すかさず伯爵夫人が夫のフォローに入る。
「すみません。うちの人ちょっと女性が苦手でして。王妃の間を用意していますので、そちらでお休みください。ただし、外を散策される場合は護衛を忘れずお付けください。こちらでは王妃様の護衛は用意できませんので」
☆
「はあ」
ラハード伯爵夫人から庭を散策する許可を得て、バラで有名な庭を見て回った。ちょうど良いところに、東屋があったので、そこで休憩する。
しばらくすると、伯爵家の侍女が私の分と護衛の分のお茶を入れてくれた。
「押し込められたのかな」
お茶を口に含む。飲んだことの無い不思議な味の紅茶だ。
護衛は警戒して茶に口をつけなかった。
闇の十年が過ぎ去っても、数年は心が不安定だった。
やっとまともを装えるようになったが、夫との関係は以前の形には戻らなかった。
嫌い合っているわけではない。お互いどう接すればいいかわからなくなっているだけ。
まるで、見えない壁が二人を隔てているよう。
「秋の庭が気に食わなかったか? それとも茶がまずかったか?」
私が思考にふけっていると、書類を抱えた平民風の男に声をかけられた。よく顔を見ると先ほどの伯爵だった。
先ほどの侍女といいこの男といい、どこかで見たことがあるような。
「いえ。そのようなことは」
なぜ、そのような平民の服を着ているのだろう。そもそも王妃に対する言葉遣いではない。
彼は、一言の断りもなく斜向かいに座った。
「あの、伯爵なんですよね?」
「この城を取り戻すために、伯爵になる条件を呑んだだけだ。やっていることといったら税理と屋敷の管理だけだ」
取り戻す? 彼はびっしり文字の書かれた書類を一枚一枚丁寧に読み、サインをしていく。
他の書類は間違っても風に飛んでいかないようにガラス製の文鎮で抑えてある。
一番上にはドレスのデザインが描かれた絵がある。
「伯爵様、そっちの方の花柄摘んでくれ」
「ああ!」
伯爵は庭師らしき人にそう答えて、花柄を切ったり、近くにある箒で落ち葉をかき集めたりする。
「後は、庭師の手伝いだな。貴族なんて民から税金巻き上げて、楽して生活していると思ったら……」
地面にはいつくばって、草むしりしながらそう言い、さらにむしった雑草をより分ける。
いや、草むしりはさすがに貴族の仕事ではないだろう。趣味でガーデニングをする貴族はいるかもしれないが。だいたい雑草をより分けて何に使うのだろう。
「アレス。私、謁見してくるから」
その横を伯爵夫人が、ドレスの裾をたくし上げて、走って来た。
彼女は東屋に入るとお茶を陶器のカップに注ぎ、作法も何もなく一気に飲み干し、クッキーも二枚を一度に口の中に押し込んで、もう一度お茶を口に流し込んだ。
「何のお構いもできませんで」と軽く会釈して台風のように去っていった。
「あ、あの……」
「あっちの方が人当たりが良いからな。謁見はあっちに任せている。謁見というか苦情対応だが」
とりあえず、本当に王妃にかまっている場合ではないことだけはわかった。
やっと城の補修工事が終わって、一般公開する前に王妃に城の中を見せたいという国王の提案で私はここを訪れた。
最初は伯爵の方が警備の不備の面から丁重に断ったらしいが、夫がごり押ししたところ、
「毒殺されようが、刺されようが俺は知らない」ときっぱり言い切ったそうだ。
心配する家臣を他所に夫は「あの男は、君を危険な目にはあわせない」と言って私を送り出した。
「茶菓子が気に入らなかったか? 歴史や美術に興味があるなら、城の宝物庫を案内するが。と言っても大したものは無いんだがな」
伯爵は手についた土を手ぬぐいで拭き、茶を陶器のカップに注ぐとがぶ飲みしながら言う。
「いえ、お忙しそうですし……」
「ああ。一ヵ月後にはあんたの旦那から舞踏会だか夜会だかの招待を受けて、死ぬほど忙しい。余計な仕事ばっかり増やしやがって。ドレスに礼儀作法に、ダンス……」
ああ、それでドレスのデザインがあったのだ。国王直々の招待では断ることもできない。
新たに伯爵に加わったこの男のお披露目も兼ねているのだろうから……
「ずいぶん、奇抜なドレスですね」
ワンショルダーのドレス。肩口や裾はレースで縁取られ、バラを模した飾りが細かく縫い付けられている。
肩を片方むき出しにすると言う時点で今の流行から外れているが、ドレスの丈もふくらはぎの中ほどくらいまでしかない。こんなに丈が短いドレスは見たことがない。
結婚前の平民の子女でももう少し長いスカートを履くのではないか。
「ウエストレペンス伯は、夫人にまともなドレスも買わせてあげられないと言われますよ」
私はそこで言葉を止めてしまった。
◆
城の壁が、消えたあの日、私は無事だった城の別棟に避難した。
侍女の一人が「王子がいない」と騒ぎ出した頃、私はぼんやりと窓から庭を眺めていた。
おくるみを抱いた侍女が男と話し合っている姿だった。
平民の服を着た男はゆっくり城を……私を見つめる。
赤ん坊を受け取った男は赤ん坊に何かを話しかける。赤ん坊はほんの少しだけ目を開けてこちらを向くと目を閉じた。
男と侍女は茂みで見えにくくなっている壁際に移動する。
私は目を見開いた。
壁に小さな穴が開いたのだ。
その時になって、城壁の周りは低木が植えられていることを思い出した。
-早くその子を連れ出して。でないと私はその子を殺してしまう-
「王妃様? どうかされましたか?」
私は侍女頭の呼びかけに「何でもないわ」と言って視線を離し、そのまま何でもないことのように、その日のことを子供の存在ごと忘れていた。
◆
「上ですか? 下ですか?……」
護衛は私の質問に眉を顰める。
しかし、伯爵にはそれだけで十分意味が伝わったようだ。
伯爵はカップの波を見ながら、答えてくれた。
「下だ……」
あるいはそれを伝えるためだけに、彼はこの東屋に来たのかもしれない。
先ほど茶を淹れてくれた侍女も、髪の色は違うがあの時王子を連れ出した侍女によく似ていた。
「お前らなんでこそこそしているんだ」
「イテ!」「ふぇ~ん」
伯爵の言葉に薔薇の茂みから子供たちが這い出てくる。
「馬鹿、そんなところに隠れるから怪我するんだ。目に棘が刺さったらどうする」
「だって、王妃様のお姿見たのちょっとだけだもん」
「ごめんなさい」
ちょっと口を尖らせて兄が言い訳して、弟が素直に謝る。
「上がレイで、下がイリア」
そう紹介されて、兄は急いで手や服に付いた土を払い、「レイです」と言い、弟もそれに習って(というよりか真似て)服をパンパン叩き、「イリアです」と答える。
「イリア」 声を出さずに口の中で呟く。
夫がここに私を一人で向かわせた理由がわかった。
「後で薬塗ってやるから。王妃様もこれくらいはいつものことだ。そんなに青い顔をしなくていい」
伯爵がほんの少し声を和らげて言う。
本当に少し擦った程度で、子供たちはもうにこにこしてこちらを見上げている。
「父上と母上は優しいですか」
「ちちうえ?」
二人には聞きなれない呼称なのか、揃って首を傾げる。
「父さんと母さんのことだ」
「ぱぱとまま?」
父親の説明にイリアが問い返し、ちょっと考えて、私の質問に答えた。
「パパはちょっと怖いけれどママは優しいよー」
イリアの『ママ』の言葉に胸がずんと痛くなり、息苦しくなる。
「今日は母さんも鬼のように怒るかもしれないがな」
伯爵は苦笑しながらぴっと息子達の泥まみれになった上等な生地を指差す。
ちょうど指差した先はほつれていて……
「ひっく」「ふぇ」
よほどの恐怖なのか、息子二人から引きつった声が漏れる。
-決して私に向けられた言葉でないとわかってていても-
「だから、外を走り回る前に、服着替えろって言ったのに」
伯爵はため息をついて、めんどくさそうに子供たちの頭を撫でる。
「さっきのドレスの話だが、こっちは見ての通り、平民上がりだ。世間の評判よりか、妻がドレスに足を引っ掛けないか心配だ」
彼の言葉などすでに耳に入っていなかった。
-『ママ』の一言が聞けた-
目が熱くなり、涙が伝う。涙をぬぐい、
「ごめんなさい」
顔を両手で覆うが、涙は次から次へとあふれる。
それを不思議そうに見つめる子供たち。
「いや……」
伯爵の声も私の嗚咽もあの子の過去も
薔薇の香を含んだ風が押し流した。




