白の指輪と半分の月
ただの礼だからな。
そう心の中で思いながら、俺はシロツメクサの指輪を彼女の不思議な服に忍ばせる。
「婦女子の服を勝手にいじるのは感心せんぞ」
心臓が跳ね上がる。
もう、眠っていると思っていた兄がむくりと起き上がった。
「兄さん! 起きていたのか!」
「ちゃんと手渡しすればいいだろう」
「これは……礼って言うか、お守りの意味で……」
-俺にも守る者がいるんだがな-
あの時、第一王子は確かにそうつぶやき、兵士に医者を呼ぶように命じたのだ。
母に『父を守って』と頼まれていたは俺だったのに。
本当は俺が守らなければならなかったのに……
自分よりもずっと弱いと馬鹿にしていた兄よりも、異邦人のサヤカよりも役に立たなかった。
父の過去と同じくらいそのことが苦しかった。
『ちゃんとトリスさんの止血したじゃない』
そう言われたとき、ほんの少しだけ胸のつかえが取れた。
早く、彼女の大切な人の所に帰してあげたいと思うが、父の魔法でも帰すことは不可能だという。
神頼みでも何でも良いから、自分にできることを……思い出したのは『白の指輪』だった。
『大切な人を幸せに導く』といわれていたシロツメクサの真実を知ったとしても、それはやはり遠く現実味の無い過去の話だ。他に願い方を知らない。いつの日にか彼女が無事に『ニホン』にたどり着けるように願って作った。
「兄さん……すまなかった」
下の姉を殴った兄に『出て行け』って言ったこと。 現王がレイス家を訪れた時、妻子ではなく父を守らせてしまったこと。
兄さんは、レイス家に駆けつけた時から、ずっと気を張り詰めて、ほとんど寝ていないはずだ。
兄は不快そうに眉を顰める。
「何の話だ。服を勝手に触ったことちゃんと謝っとけよ」
「いつまでも指輪渡せない兄さんよりかましだろう」
結局、彼女に謝る機会も、手渡しする機会も訪れなかった。
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翌日、朝早くに出発し、赤ちゃん二人の様子を見ながら馬車に揺られて、昼前には次女さんの村に到着。そこで軽く昼食兼休憩を取って、日が落ちる前にたどり着いた。
アレスさん一家は今日ここに一泊して、明日自分達の村に帰る予定である。
東の空に薄墨が挿す頃、長女さん、アレスさん一家と一緒にトリス家の庭で焼肉をした。
まあ、柵や塀でしっかり区切られているわけじゃないから、どこまでが庭かいまいち判然としないけれど……
子供たちがお肉を集中的に狙い長女さんに「お野菜も食べなさい」と叱られたり、その姿をとトリスさん夫妻がとっても幸せそうに見つめていたり、私がその様子をビデオに納めたり……
「あれ、アレスさんは?」
いつの間にかアレスさんとイリーナさんがいない。
それどころか、長女さんがイリーナさんの代わりに子守唄を唄って赤ちゃんを寝かしつけていた。
赤ちゃんを外に寝かせっぱなしで、部屋に引っ込んじゃった?
マルスが、私の背中を叩いて、家の裏を指す。
「あっち」
マルスが人差し指を口に当てて『しー』の合図を送るので、家の角からこっそり窺うと……アレス夫妻は月見をしていた。
二人はお互い顔をちらりともあわせず言葉も交わさず月を見上げている。
静寂の中、淡い月明かりが二人の相貌を照らす。
後ろのマルスが「手」と声をかける。
手?
半人分の距離を開けて座るアレスさんとイリーナさんの手元は小指の先だけ重なり合っていた。
それだけなのに、見ているだけで頬が赤くなる。
とても絵になる光景だが、こっそり撮ったら、アレスさんに半殺しにされかねない。
「兄さん喧嘩弱いんだ」
「何の話?」
「本当は俺が父さんを守らなければいけなかったのに……」
そこで途切れてしまった。
マルスはしばらく無言で兄夫妻を眺めていたが、続きを話すことなくやがて背を向け歩き始めた。
はて? さっぱりわからん。
「ちゃんと、トリスさんの止血したじゃない? 私なんか止血も忘れて、王子様につっかかってただけだもの」
お医者様も、あれ以上血が流れてたらやばかったって言ってたじゃないか。
私は彼の背を追いながら言った言葉の答えは返ってこなかった。
◆
部屋割りだが、今夜はローリエちゃんを絶対トリス夫妻の部屋に入れないことで一致した。
私の部屋にアレスさんとマルス(元々アレスさんの部屋だったらしい)。
私とローリエちゃん、イリーナさん、赤ちゃんは教室のほうで寝ることになった。
イリーナさんとじっくり話す機会が無かった。
いつも低くて落ち着いた声と言うか、どっちかというと暗い声で話すから、どうも近づきづらかったのだ。
さて、聞きたいことはあるが、どう切り出すか迷っていたら、意外にもイリーナさんのほうから話しかけてきてくれた。
「冬場ならさすがにこの手は使えないわね」
イリーナさんはお話スペースのじゅうたんの上に毛布を敷きながら言う。冬場はこの木の床はさすがに寒そうだ。
「あれ、声が高い?」
一般女性に比べて特別に高いわけではないが、あの低く重い声よりもずっとかわいらしい声だ。
イリーナさんはわずかに首をかしげたあと、私の疑問に気づいてふふっと笑う。
「夫があんなだから、夫が側にいる時は注意してるの」
枷が外れたような柔らかい声。
色んな我慢をしてなんで、あんなのと結婚したのかさっぱりわからない。
現代日本じゃ女性が髪短かろうがズボンを履いていようが気にならないが、こっちの世界で男装するのは恥ずかしいだろうに。
「女の人を吊るすような人の側にいて怖くないんですか?」
「ああ、日が悪かったと言うか。
あの日ちょうど下弦の月で二人で月見する予定の日だったのに……」
「月見って言ったら満月だと思うんですけれど、この国では半月で月見するのですか?」
イリーナさんはゆっくり首を振る。
「満月だとはっきり見えすぎるんですって」
「デートの日に変な女が誘惑したからキレちゃったんですか?」
「キレるってのがよくわからないけれど、まあ怒らせたのは確かね」
赤ん坊をあやしながら、「お互いの顔を見るの半月に一度だから」と呟く。
アレスさん、レイス家にいた時も、ほとんど奥さんの顔を見てなかったし、寝室も別々だった。
「どうして、アレスさんと結婚したんですか? お見合いですか?」
すでに夢の世界に行っちゃっているローリエちゃんの頭をなでながら聞く。
「暴漢に襲われていたところを助けてもらったのよ」
「へえ。良い所あるんですね」
イリーナさんは「プラスマイナス0だけどね」と笑う。
「後から聞いたら金切り声がうるさかったからって言ってた。
アレスが雷の蛇を暴漢達の急所に噛みつかせたまでは良かったんだけれどね……」
女ばかりか男にも容赦ないなぁ。さすがアレスさん。
「彼にすがりついた途端、突き倒されて蛇が三匹とも私の胸に向かってきたのよ」
「あそこに噛み付いた蛇が?」
こくりと頷くイリーナさん。
「それ、ぶっちぎりでマイナスですってば」
「そう?」
イリーナさんはくすくす笑う。
そりゃ、アレスさんが雷の蛇を出した時に思いっきり嫌な顔するわ。
「助けてもらったお礼を言いに行ったら、カーテン越しの対面で。ちゃんと顔を見てお礼が言いたかったし、ちゃんと顔見て謝って欲しかった。ちょっと嫌がらせしてやろうって気持ちもあったかな。
魔法のことをネタに彼を脅して、最初は『カーテン越しでも良いからお茶しませんか』と持ちかけたのよ。彼も多少は悪いって思ったんでしょうね。5分だけならって許可を貰ったの。で、正面きって謝らせようとしているうちに……」
あの人に嫌がらせとか脅すって、相当勇気が要るような。
交際と言っても、茶飲み友達からなかなか進展しなかったのだが、イリーナさんがアレスと付き合ってるって噂が立って、イリーナさんの親がイリーナさんを隣の村の男性と結婚させようとしたそうだ。
「あの人、引越しの日に女の人打ってから有名になってしまってたから。他にも子供たちが畑の雑草を抜いただけで蹴り倒したとか。
でも、あの時期に隣の村の人との結婚話が持ち上がらなければ、茶飲み友達のまま終わってたでしょうね」
まあ、女性を打つような乱暴男に大事な娘をやりたくないわ。
別れを告げに行ったら、土壇場で告白されたそうだ。
どんなプロポーズだったか聞いたが、イリーナさんは「ありきたりよ」って言って教えてくれなかった。
「まず許可を取りやすそうなトリスさんとロザリーさんから味方につけようって思って、話しに行ったら……『絶対許可しない』って」
まあ、結婚を絶望視していた息子が恋人連れてきたと喜んだのもつかの間、『婚約者の横取り』なんて、トリスさんが一番厭うことを息子がやらかしたんだから、雷の一個や二個落ちても仕方が無いだろう。
結婚を了承してもらうまでの経緯やら、5分のお茶会は今でも続いていて、アレスさんが話のネタを探すのに苦労しているって話を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまった。




