三途の川と女嫌いな男
※残酷なシーンが出てきますのでご注意願います。
私は、広い広い川で溺れかけていた。
岸辺に懐かしい人が誰かと立っている。
必死に水を掻き何とか岸辺にたどり着く。
息を切らし、見上げるとずっと会いたかった女性がいた。
「シャムロック、私はもうしばらく彼と二人っきりでいたいの。だから、せっかく来てもらって悪いけれど、帰って」
彼女がはしたなくも私の手を蹴ると、岸辺の縁を掴んでいた指先はあっさり縁から剥がれ、体は川に完全に放り出される。
水に飲まれる直前、彼女が彼に寄り添い、こちらに淡く微笑む姿が見えた。
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「あなた!」
「--」
瞬間、総勢8人(トリスさん一家+私)いた部屋がしーんと静まり返る。
「え。誰?」
私の言葉が自棄に大きく響く。耳が痛いほどの沈黙の後--
「人に、散々心配かけといて、最初に呼ぶ名前がそれか!」
確かトリスさんの唇から漏れたのは人の名前っぽかったが。
「どうどうどう。もう少し、生きが良い方が、殺し甲斐がある」
トリスさんをベッドから蹴り落として叫ぶロザリーさんを、長男のアレスさんが羽交い絞めにする。
「ママ落ち着きましょうね」「お母さん、ちょっと寝たほうがいいわ」
長女と次女(名前忘れた)が、がっちり脇を固めて、退場する。
マルスと私とで、トリスさんをベッドに戻す。
「私は……」
「父さん。大丈夫だからな」
あの後、王子様はトリスさんと私達を解放したどころか、レイス家への馬車も手配してくれた。
その日から三日間トリスさんは眠り続けていた。
「マルス、あの手紙は?」
トリスさんはローリエちゃんの頭を撫でながら、息子に問う。
パパが起きるまで、そばにいるって聞かなかったローリエちゃんは、途中で寝てしまい、ロザリーさんの雷が落ちても爆睡していた。
ローリエちゃんトリスさん起きたよ。
「これ? ばりばりに固まってて、封筒から便箋取り出せなくなっている」
さっきまでロザリーさんが腰掛けていた椅子にマルスはどっかり座り、苛立ちを抑えた表情でトリスさんに聞く。
「遺言のつもりだったのか」
「遺言はロザリーに渡している。今すぐ紙とペンを用意しろ」
トリスさんは「予定通りにはいかないな」と呟く。
◆
トリスさんが手紙に二・三行何かを書きしたためた頃、ロザリーさんの締め出しに成功したアレスさんが部屋に戻ってきた。
「親父、さすがにあれはないわ」
「うっかり、出ちゃったんだよ」
たった二・三行手紙を書いただけなのに、かなり体力を消耗したのか、トリスさんは弱弱しく微笑む。
アレスさんはそんな父親を強い目で見つめ口を開いた。
「親父、どアホな輩が早速我が家に訪ねてきた。死にかけているところ悪いが、さっさと王城に行け」
こんな状態のトリスさんに王城行けって言うの?ちょっとは状況見なさいよ!
「とりあえず、何があったか聞いてもいいか?」
私の心の声が聞こえたのだろうか。トリスさんの問いにアレスさんはなぜかぎろりとこちらを見て、トリスさんに目配せする。
トリスさんが、頷き返したのを確認してアレスさんは話し出した。
「いかれた頭の爺が、『お前は王子よりも王位に近しいところにいる』とか何とかわけのわからないことをのたまわった挙句、胸と尻ばかり太った女を押し付けてきやがった」
「あー、それは」
「アホだな」
トリスさんとマルスが二人して遠い目をする。
「それってグラマーって言うんじゃあ」
「これ、蹴り出してもいいか?」
アレスさんの絶対零度の一言。
下地はトリスさんの顔に良く似ているのに、そこに乗っかった表情のせいで、氷の王子様って表現がぴったりな寒々しさだ。
「すみません。なんでもありません。向こうの完全なリサーチ不足です」
なんと言うか、アレスさんは女性を見ると吐き気が込み上げて来る体質だそうで、下手に視界に入ると睨まれる。私も一番最初の顔合わせの時、射殺されるかってほど睨まれた。 奥さんでも、男物の服を着て、髪はこの世界の女性にしては珍しいショートにして、後方1メートルの距離を保って視界に入らないよう気をつけているそうだ。
アレスさんがレイスさんのお屋敷に来てからはアレスさんに女性陣は鈴を持たされている。
不用意に接近したら危険らしい。
「裸になりたがっているようだから、爺と女両方とも、服を引っぺがして村の一番目立つ木に吊るした」
「ほんとにトリスさんの子供?」
ちょっとフェミ入っているトリスさんの子供の所業とは思えない。
「この女、川に沈めてもいいか?」
「「それは、さすがに待て」」
トリスさんとマルスが同時につっこむ。
「すみません。二度と言いません」
軽い冗談……なのよね?
「で?」
トリスさんが、疲れた表情で話の先を促す。
「せめて服を着せろってわめくので、蜂蜜をかけてやった」
「何で蜂蜜?」
「蜂が群がって、裸身が十分隠れる」
「えぐっ」
私の言葉に反応して、アレスさんは「こいつ、土に埋めていいか?」と聞くが、「駄目に決まっているだろ」「労力の無駄遣いだ」とトリスさんとマルスが引きつった顔で止めに入る。
「この俺に姦淫を強要したバカには、当然の報いだと言うのに--」
「まさか、その……死んじゃってないよね?」
出血多量で青い顔をさらに青くしてトリスさんが聞く。
アレスさんは思いっきり舌打ちして続きを話してくれる。
「イリーナが止めに入って、俺らが実家に向かう頃には、村の有志によって降ろされていた。その後はしらん」
声に少々悔しそうな響きが混じる。よっぽど『怪しげな勧誘者』を抹殺したかったのだろう。
イリーナさんは、ショートヘアの『アレスさんの奥さん』。
赤ん坊を抱いていたが、どうやって子供ができたか気になる。養子とか?
聞いたら、逆さに吊られそうなので聞かないが。
「これ以上、無駄な被害者を出したくない。アレス、私が行くことができればいいんだが……これを王城に届けてくれ。十分気をつけて」
トリスさんはそう言って先ほど書いた手紙をアレスさんに渡す。
「馬鹿親父みたいに背中をばっさり切られる前に、王城を瓦礫の山に変えるから心配するな」
「できる限り、穏便に、ね」
トリスさんがさらに顔を引きつらせて念を押す。
アレスさんの言葉は頼もしいはずなのに一抹の不安を覚えるのはなぜだろうか?
「じゃあ、俺も……」
部屋を出て行くアレスさんの後を追おうとしたマルスをトリスさんが「待って」と止める。
「あの子は、魔法使えるから、めったなことはないよ」
「それなら安し……おい! さらっと物騒なことを言うな」
えー、つまりさっき『王城爆破』を宣言したのは比喩ではなく……。
危険人物に火炎放射器持たせてどうする。
「世の中物騒だから、家を出る際に護身用に覚えさせたんだけれど……」
目覚めてから10分と経たず、ため息と共に、トリスさんはまた眠ってしまった。
まあ、怪我した当日に比べれば、呼吸はずっと穏やかだから大丈夫だろう。
◆
ローリエちゃんをトリスさんの部屋に寝かせたまま、私達は廊下に出た。
「あのトリスさんと同じ顔なのに何であんなに凶悪になるの?」
「さあ。でも兄さんが、いつもより不機嫌だった理由はわかった」
「そうなの? この二日ずっと氷の刃でできていますって顔してたけれど」
あれは氷と言うよりかドライアイスだ。周りを冷やすのに触ってみるとやけどをする。
「まあ、ほとんど変わらないけれど。たぶん、イリーナさんが『怪しげな勧誘者』をかばったからだろうな」
?
「夫が女からの誘惑受けてるのに、怒るはずの奥さんが相手助けちまったのが、気に食わなかったのじゃないかな」
つまりは……拗ねた?
「えらくひん曲がった愛情ねぇ」
「ひん曲がってて、悪かったな」
一瞬、凍てついた空気が廊下に張り詰める。
「に、兄さんお使いに行ったんじゃあ?」
「交代要員を連れて来た」
アレスさんの背後に控えていたショートヘアな奥さん(男装)イリーナさんがぺこっと頭を下げる。
顔を上げたイリーナさんの頬がほんの少し染まっている。さっきの会話、耳に入っていたか。
アレスさんの奥さんにしとくのがもったいないくらいかわいい。
「親父が目覚めたことを、医者の所へ伝えに行ってもらった。侍女が捕まらなかったので、執事っぽい人に行ってもらったが」
それは、侍女がおびえて隠れているせいでしょうが。
「それと……マルス、その女、ちゃんと教育しておけ。会話の邪魔ばっかりしやがって、親父の状態わかっているのか」
はあ? 教育?
「あんた人に教育って言う前に、自分の言葉遣い何とかしなさいよ! あんただって、『さっさと王城に行け』って、無茶なこと言っていたじゃない」
「『それが無理なら、俺が代わりに行く』と続けるつもりだった。親父が聞いてきたからさっさと状況説明して、寝かすつもりだったのに、いちいち話の腰を折りやがって。最後は親父の顔、起きた時より青ざめてたじゃないか」
いや、青ざめたのは息子の恐ろしい所業を聞いたせいじゃないかなと思うんだけど。
きつい物言いの奥に家族への親愛が見え隠れしていて……やっぱりひん曲がっている。
「すみません」
アレスさん自体は、好きになれそうにないが、ゆっくり休ませなければならないトリスさんの眠りを妨げて、話を長引かせたのは本当に考えなしだった。それだけは申し訳なかった。
深く頭を下げた後、思い切って気になった事を聞いてみる。
「……あの『王子よりも王位に近しいところにいる』ってどういうことですか?」
本当は、この男になんか聞くのはイヤなのだが、今を逃すとアレスさんは出かけてしまう。
嫌なことは一度にまとめて済まそう。
「まだ、確証がないうちに話していい類の話じゃない。話は、俺が帰って、父に結果を報告してからでいいか?」
アレスさんはほんのすこししかめっ面を崩して、子供に言い聞かせるように言った。
その声がさっきよりもずっと穏やかで、トリスさんの声によく似ていた。
その、声音に危機感を覚えたのか、マルスが会話に割り込んでくる。
「魔法って簡単に覚えられるのか?覚えられるんなら、俺も覚えて……」
「無駄だ。魔力が足りない。行ってくる。もし……」
弟の申し出をばっさり切り捨てたアレスさんは、ほんの少し言いよどんで、首を振った。
「なんでもない。行ってくる」
そう言って、アレスさんは王城へ出かけてしまった。
蜂攻めの刑は、高校生の世界史の資料集に載っていた刑です。




