第三話 図面とメイルとの出会い、弓の完成
完結保障、全68話。
毎日投稿予定。
翌日の昼、リサは工房の隅に積んであった廃材の薄い木片をもらった。その夜から図面を描いた。
弓の両端の反りが逆になる形。木と竹と腱を組み合わせれば、今の弓よりずっと遠くまで矢が届く。頭の中に流れ込んできた映像を、言葉ではなく線で写し取った。
照準の器具も、バランスを取る棒も、この村では作れない。ならば、それらがなくても使える弓にする。害獣を追い払ったあの夜、体はもう引き方を知っていた。補助具がなくても、体が引き方を覚えていればいい。
翌朝、図面を持って工房へ行った。
「また来たか」
ドロスは顔も上げなかった。リサが図面を広げると、鼻で笑う。
「子供が考えた絵だな」
「絵じゃありません。設計図です」
ドロスが図面に顔を近づけた。湾曲の部分を指でなぞり、しばらく黙る。
「作ってみてもいいですか」
「……ふむ」
それだけだった。だがドロスは椅子に座り直し、素材を選び始めた。
試作は二度失敗した。一度目は曲率が急すぎて折れた。図面を直し、竹を替え、また作る。二度目でようやく弦が戻った。空き地で放つと、矢は村の弓よりずっと遠くへ飛んだ。ドロスが的までの距離を測り、何も言わずにいた。
「補助具がないと狙いをどうつけるんだ」
「矢の先端を的の中心に据えます。矢を放ってみて、外れた方向と逆に狙いを補正する。繰り返して体に覚えさせます」
ドロスは弦を指で弾いた。低い音が工房に響いた。
「五十年、弓を作ってきた。こんな形は見たことがない」
褒めているのか分からなかった。でも、続きがあった。
「また来い」
どうやらこれがドロスの答えらしかった。
工房を出ると、アレックが待っていた。
「どうだった?」
「また来いって言われた」
「それ、気に入られたってことじゃないか」
歩きながらアレックが言った。
「行商人が言ってた。ドラヴァル帝国が隣国に兵を出してるらしい。見たことのない形の弓を持った兵が大勢いたって」
リサの足が止まった。見たことのない弓。クルから流れ込んだ映像が浮かぶ。
(帝国に何かある)
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数日後、ドロスが工房で試作弓を差し出した。弦を張り、放つ。矢が的に刺さった瞬間、頭の奥で記憶の断片が閃いた。
芝生の匂い、黄色い旗、矢が的に刺さる音とともに、声が聞こえた。
(気持ちのいい一射を放てばいいんだよ)
誰かの声。とても懐かしい声色。
訳も分からず思わず眼がしらが熱くなる。
動けずにいると、クルが足元に来て体を寄せた。
気づくと工房の隅に少女がいた。白い布を纏い、パンを頬張っている。
「やっと会えたわ。こっちに呼んだのはいいけど、どこに落ちたのか分からなくて」
「……誰?」
ドロスが「この村の子じゃないな」と眉を寄せる。少女はそれには答えず、リサの手元の弓を見た。
「さっきの、クルから流れ込んできたものと似てたでしょ。知識の洪水現象よ」
さっきの? つい先ほど脳裏に浮かんだ景色を言い当てられて、リサは何も言えなくなった。
「弓の引き方も矢の作り方も、あの中に全部入ってたはずよ」
少女は図面のことも知っていた。矢が暴れる原因を、弦と矢の位置関係を指で示しながら簡単に言い当てる。
なぜそこまで知っているのか、リサには分からなかった。「こっちに呼んだ」と、この少女は言った。
「お菓子と引き換えに手伝ってあげる」
にこりともせずに言った。ドロスが鼻を鳴らし、名を聞いた。
「メイルよ」
ドロスが何か言おうとした。
「ああ、いいのいいの。ドロスにリサでしょ」
ドロスはそのまま腕を組み、作業に戻った。
その日から、メイルは工房に、当然のように出入りするようになった。
驚いたことに、弓に関する技術的なことが異様に詳しい。
でも正解は言わない。「そこが問題じゃないかしら」というように、考える方向だけを示した。
夜、リサが工房の外で弓を持ったまま夜空を見ていると、メイルが足音もなく隣に来た。
「……急がないと」
「なにを?」
「ううん、独り言」
それ以上は聞かなかった。
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リサの魔法は戻らなかった。夜ごと見ていた芝生の射場の夢も、少しずつ薄れていく。それでも、弓を持つと手は迷わなかった。
ある朝、ドロスが近射台の前にリサを呼んだ。
「見たことのない射ち方だ。確かめさせてくれ」
ドロスに問われるまま、リサは理屈を言葉にした。
「弦が顔に付くだけでは足りない。全てが揃って初めて矢がまっすぐ飛ぶ」
ドロスは腕を組んだまま何も言わない。
リサは弦を引き、頬骨の下に指の関節が触れ、鼻先に弦が触れ、唇の端にも弦が触れる。三点が揃った時だけ矢は真っ直ぐ飛ぶ。
この日、工房に来ていたアレックも試してみた。
握りしめすぎて近射台の端っこの方に外す。
リサが「もっと力を抜いて構えて」と言うので、アレックは器用に力を抜いてはなった。すると矢は真っすぐ中央付近に綺麗に中った。
「なんで力を抜いた方が中るんだ」
「弓を握りしめると、その力みが矢の飛び方を狂わせる。弓の邪魔をしなければいい」
ドロスが棚から革紐を取り出した。図面の隅に描いておいた、手首に巻く道具だ。黙って作っていたらしい。
「これで弓を握らなくていい」
弓を放っても、革紐が手首で受け止める。弓を握らずに、力を抜いたまま押せる。
「続けろ」
ドロスはそれだけ言うと、また作業に戻った。
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次に立ちはだかったのは、矢の飛び方そのものだった。同じ引き方でも、矢によって外れる方向が違う。リサは矢を硬さで選り分け、頭の奥で光る言葉に行き当たった。
(スパイン)
弓の強さに合った硬さの矢でなければ、まっすぐ飛ばない。
工房の床に木の棒で図を描いた。弓の中心、弦、矢の軌跡。矢は真っ直ぐではなく、いったん内側にたわみ、弧を描いて弓の本体をかわしていく。
リサは、矢の飛び方をドロスに説明した。左右のぶれ方について聞いたのは初めてのようだ。ドロスが口を開く。
「矢がたわむのか」
「材質の硬さが合っていないと、たわみ方が崩れて左右にぶれます」
ドロスの手が止まった。長い沈黙のあと、地面の図とリサを見比べる。
「……お前、本当に何者だ」
「分からない。でも頭に浮かんでくる」
ドロスは声を立てて笑った。工房でその声を聞いたのは、これが初めてだった。
昼過ぎ、ナイアが蜂蜜の菓子を持ってきた。メイルが匂いを嗅ぎつけて工房の隅から現れた。何時も知らないうちにその場にいる。メイルがお菓子に手を伸ばし、一つ口にほおばる。メイルがもう一つ取ろうとしたところ、ナイアが声を荒げた。
「だめ! これはお姉ちゃんたちに持ってきたの」
「なによ! たくさんあるんだから、もっとちょうだいよ」
「誰なの? あなたは」
「もう、誰だっていいでしょ。あなたと私の仲じゃないの」
メイルとナイアは菓子を取り合って工房中を走り回る。クルまで鼻を鳴らして加わり、ドロスが低く息を吐いた。それがドロスの笑い方だと、リサはもう知っていた。
夕方、ドロスが膠の鍋を前に唸っていた。
「従来の膠は湿気で剥がれる。雨の翌日に矢羽が浮いていることがある」
リサは頭の中に浮かんだ知識をドロスに伝えた。
松脂と樹皮の粉を混ぜれば、割れにくく熱にも強い接着剤になる。
ドロスが試すと、貼りついた羽はどれだけ引いても剥がれなかった。
「……これだけで弓の寿命が変わる」
ドロスが腕を組み深くうなずいた。
夜、炉の火の横に矢が六本並んだ。長さと重さが揃い、羽の角度も同じだ。ドロスが一本手に取り、軸を弾いた。澄んだ音がした。
「お前の弓は、こんな小さな村で収まるもんじゃない」
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その日の作業が全て終わりひと段落ついていたころ、ドロスが独り言のように口を開いた。
「俺の弓が原因で友が死んだ」
若い頃、工房仲間と強さを競い合い、これまでにない弓を完成させた。矢を放った瞬間、矢が真っ二つに折れて横に飛び、隣にいた友の喉に刺さった。
「矢が柔らかすぎた。弓の押し出す力に耐えきれなかった。強さにこだわりすぎて、調整を疎かにしていた」
リサは何も言わず、小さく頷いた。
「帰れ。続きは明日だ」
翌朝、夜明け前から二人で弓を仕上げた。握りを磨き、弦の中心を合わせる。
削る音が止んだとき、ドロスが目を逸らしながら弓を差し出した。
「これはお前の弓だ」
軽くはないが重すぎもしない。矢じりには青銅を使った。ドロスが古い工具を潰して用意したものだ。照準器も安定棒もない、飾りのない弓。だからこそ、弓そのものの形だけが残っていた。
「十の歳から鉋を握って五十年、これが一番美しい弓かもしれん」
「美しくて、一番強い弓ですね」
ドロスが鼻を鳴らした。それが最上の賛辞だと、リサは知っていた。
朝、行商人が来た。
「ドラヴァル帝国に、弓の神様と呼ばれる若い軍事顧問がいるそうですよ。金属の照準板と、重心を保つ道具のついた弓で、矢が届く限りの距離を外さないとか」
リサの手が止まった。金属の照準板。重心を保つ道具。
頭の奥で言葉が次々に浮かぶ。
〈サイト〉〈センターロッド〉〈サイドロッド〉
自分の言葉ではないはずなのに、意味は全部分かった。
自分の頭にあるものと同じものが、ドラヴァルにもある。
リサは弓を握ったまま、しばらくそこに立っていた。




