第十二話 封じられた翼
完結保障、全68話。
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メイルが立ち上がり、顔で促した。明日じゃ遅い、と言ったその顔は笑っていなかった。
(……さっきタリスが言っていた、守らなきゃいけないもの)
リサは子供たちに「また今度ね」と言って腰を上げた。
メイルは村の北側へ回った。集落を抜けてしばらく歩くと小高い山があり、大木に挟まれた山道の先に重い木の扉があった。頑丈な鉄の錠前が二つ、扉の上下を締めている。ここだけ村の他の場所とは明らかに造りが違う。
錠前だけが新しかった。扉にも壁の古い文字にも似合わない、ありふれた鉄だ。
「なんだ? ここ、開かないよ、これ」
アレックが錠前を見て言った。メイルが扉の前に立ち、右手の人差し指を立ててゆっくりと一回転させた。
カチン。錠前が音を立てて外れた。二つとも同時に。
扉の奥は洞穴になっていた。
「ここ、知ってた?」
「知ってた。ずーっと前から」
メイルはそう言うと先に穴の中に入り「早く来なさいよー」とみんなを誘う。入口の脇の松明にメイルが慣れた手つきで火を点けた。橙色の光が狭い通路に広がる。クルは入口で一度立ち止まり、鼻を上げて中の空気を確かめてから後に続いた。
松明の光が壁を照らす。石の壁に古い文字が刻まれていた。読めない。美月の記憶にある言葉でもない、もっと古い模様みたいな文字だ。
通路を下ると、外からは想像つかないような広さの最深部に突き当たった。天井が高く、松明の光が届かない隅がある。冷たい空気が満ちていた。
その中央に、それはあった。
台座の上に立つ、人の形をした石像。背中から広がる、折り畳まれた翼。顔は静かで、目を閉じている。眠っているように見えた。
近づいた瞬間、リサの肌がざわりと粟立った。魔力とも違う、もっと根本的な何かがこの石像から出ていた。クルが静かに唸った。ナイアが小さく言った。
「怖い。ううん、ちょっと違う……」
「ふふ。胸が苦しいかしら? トキメキに近いかもね」
メイルが石像を見たまま続けた。
「そうなる人もいる。感じる人間と感じない人間がいる。あなたは感じる側よ」
「これは何?」
アレックが石像を見上げたまま聞いた。メイルは少し間を置いてから語り始めた。
「さーて、お教えいたしましょうか。ずーっと昔、人族はとても大きな力を持った物を作った。その力が突然暴走した。もともとは人族同士の争いが原因。暴走を止めたのは天の者と地の底の者。それが済むと、人族は二つともまとめて閉じ込めた。自分たちの都合でね」
「天の者と地の底の者?」
「白い翼を持つ者と、黒い翼を持つ者。人族の言葉で言えば天使と悪魔。この石像はその時の封印の一つ。閉じ込められた力の半分が、ずっとここで眠っている。……全部がここにあるわけじゃないけどね」
「なぜ人は天使を封印したの?」
リサが聞いた。メイルが少し間を置いた。
「戦争に勝ちたかったから。天使がいると敵の兵士の傷まで治る。いつまでも勝負がつかない。だから封印した。天使は何も悪いことをしていない。ただ、人族の戦争の論理に合わなかった。悪魔なんて人族に利用されただけなのにね」
松明の火だけが静かに揺れている。
(敵の傷まで治る、から)
リサの頭の中で、それが冷たく像を結んだ。ただ救うだけの存在を、救うという理由で檻に閉じ込めた。善意さえ邪魔なら消す。
妹を山へ送ろうとした夜の、大人たちの顔を思い出した。あの人たちも悪人ではなかった。みんな、怖かっただけだ。
指の先まで冷えていく感じがした。
ナイアがゆっくりと石像に近づいた。足が先に動いていた。火口の夜と同じ動き方だった。
「ナイア!?」
ナイアは立ち止まらなかった。石像の前に立って、静かにそれを見上げる。クルがゆっくりとナイアの隣に来た。石像の前に並んで立つ。二つの気配が重なった瞬間、何かが変わった。
クルが一声、低く鳴いた。
「ワオーン」
呼びかけるような声。その瞬間、石像が淡く光った。かすかな発光だ。翼の輪郭が薄く白く滲んでいる。
その光が、ナイアへ向かった。糸を引くようにナイアの身体へ吸い込まれていく。ナイアは身じろぎもしない。石像を見上げたその横顔が、一瞬、年齢に合わない静けさを帯びた。
石像の表面に細いヒビが走り、集まって一本の裂け目になった。そして、光が消えた。さっきまで皮膚をざわつかせていた根本的な何かが、跡形もなく失せている。力の抜けた器だけが静かに台座の上に立っていた。
クルが短く鼻を鳴らした。ナイアが呟く。
「私……」
「何もしていない」とリサが先回りするように言った。「でも、何かがあった」
ナイアが頷いた。メイルだけが小さく笑って、呟いた。
「やっと出てきたわね。ふふ」
地上に戻ると、子供たちの歌声がまだ聞こえていた。最後に出たリサが扉を閉じると、外れていた錠前が二つ、ひとりでに元の位置へ戻って噛み合った。カチン、と、来た時と同じ音がした。
振り返ると、メイルはいなかった。いつの間にか消えていた。足跡すらなかった。
ナイアは夕方まであまり話さなかった。夜、並んで寝床についてからナイアが言った。
「私は何もしていない。像の傍にいただけなのに。それなのに、何かが変わった気がする。私の中で。荒野で、アレックの傷に手を当てた時も、少しだけ似てた。あの時も、私は何もしていない」
それが何なのか、リサには分からなかった。
「分からないままでもいいと思うよ」
ナイアが眠ってから、天井を見た。ナイアの中に何かがいる。嫌な感じではない。前からそう感じていた。でも今日、それがナイアの方へ、少しだけ近づいた。ナイア自身にも気づかれないくらい、静かに。
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六日目の朝、行商人が来た。荷物を売りながら情報も置いていく。ベッサが男と話すのを少し離れて見ていると、その顔が変わったのが分かった。杖を握り直す。
話が終わるとベッサはまっすぐこちらへ歩いてきた。
「帝国の斥候が近くにいる。この道を調べているらしい」
「どのくらい近く?」
「北の道をこちらへ下ってきておる。二日もあれば、ここに来る」
(今日のうちに、とメイルは言った)
昨日の言い方の意味が、少し遅れて重なった。アレックがリサを見た。リサはナイアを見た。ナイアは頷いた。
「早く出た方がいい」
ベッサが言った。表情は変わらないが目がさっきとは違う。
「斥候はセリア国から脱けた弓使いを追っているらしい。お前さん方がここにいると分かれば匿ったとして村が咎められる」
「分かった。明日の朝に出る」
「北の方に廃墟がある」
ベッサが続けた。
「帝国が大勢の人間を入れて、地面を深く掘っていると行商人が言っておった。何を掘り出そうとしているかは、わしには分からん。気をつけろ」
昨日、洞窟の中でメイルが言っていたことと何かが繋がる気がしたが、まだ形にはならない。
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翌朝早く、村の門前にリサたちは立っていた。ベッサが杖をついて見送りに来た。
ベッサは布に包んだ固パンと干し肉、それに小さなチーズの塊をアレックに押しつけた。
「働いてもらった分だ。貸し借りはない」
それからベッサはリサを見た。杖の先が、北の山の方角へ短く向いた。
「北の扉に行ったな」
リサは息を止めた。
「……はい」
「錠は?」
「閉まっています」
ベッサはしばらく黙っていた。
「中がどうなったかは聞かん。わしらは中身を知らずに守ってきた。知らんまま守るのが、この村の仕事だ。だが、いつか誰かが来て中身を持っていくとも聞かされておった。持っていった者が何に使うかは、その者が決める。それも、この道を歩いて帰ってくる者が決めることだ」
リサは頭を下げた。長く下げた。
もう一人、老人が来た。アレックの前に立ち、アレックの腰の使い古した短剣を一瞥して、何も言わずに鞘ごと剣を差し出す。
「狼が来た夜、礼を言いそびれていた」
それだけ言って背を向けた。アレックは短剣を懐にしまい、渡された剣を腰に下げた。
タリスが走ってきた。息を切らして、リサとナイアとアレックを順番に見て、それからクルを見た。
「また来る?」
クルがタリスの顔に鼻先を近づけて一度だけ舐め、耳元で低く短く「クーン」と鳴いた。タリスが目を細め「返事してくれたね」とつぶやいた。
「行くぞ」
アレックが言った。リサたちは石畳の道を麓へと向かった。振り返らなかった。
タリスの声が後ろから聞こえた。
「兄ちゃんはいつ帰ってくるのー?」
アレックが後ろ手に手を振り、少しだけ足を遅くした。それからまた、同じ速さで歩き始めた。
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道を歩きながら、アレックがリサに話しかけた。
「どこへ向かう?」
「斥候と逆の方向へ。帝国の方向は避けたい」
「ナイアは?」
「わからない。ここにいられないならまずは歩くしかない」
クルが先を歩いている。山道の先を確認するように鼻を上げて、耳をそばだてて。時折、短く鼻を鳴らしながら。
「決まりだ。このまま下っていこう。ペルネア村を避けて海に出られるはずだ」
帝国の整備した新しい道がどこまでも伸びている。斥候がその道を来るなら、リサたちは道を外れて逃げるしかなかった。
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村から少し離れた木立の陰で、メイルは三人と一匹の後ろ姿を見送っていた。山を下っていくリサたちの姿だけを、はっきりと視界に捉えている。
「ナイアったら、まだ目覚めが浅いわね」
声は誰にも届かないまま、木立の隙間を抜けていった。
駒は動き始めた。すべて、メイルの望んだ方向へ。
それだけ確かめると、メイルはくるりと踵を返し、木々の合間から覗く木漏れ日に吸い込まれるように、足音もなく消えていった。




