第三十四話 本気のエンシェントドラゴン
「……おい、止まれ」
死地へと踏み出そうとしていたナタルの言葉に、スターシャは驚いたように目を丸くした。
「……どうしたの、ナタル? まさかエンシェントドラゴンを前にして怖気づいた……なんて冗談は言わないわよね?」
「戯言を」
ナタルは凶悪な笑みを引っ込め、呆れたように短く息を吐いた。そしておもむろに近くの平らな岩塊へと歩み寄ると、そのまま無造作に腰を下ろした。
「腹が減った。……それだけだ」
「……は?」
呆然とするスターシャをよそに、ナタルは腰のバックパックから保存食の干し肉と水袋を取り出す。
かつて追放された直後のボロ布一枚の身から、スターシャが「野暮用」で調達してくれた丈夫な備品類だ。
「……ちょっと、ナタル! 目の前で空間を圧砕するような化け物が今か今かと待ち構えているのよ!? この状況でメシ食う奴がある!?」
「喰らう前に『喰う』……それの何が悪い」
ナタルは淡々と干し肉を噛みちぎり、水を一口含んだ。
どれほど『器』を最適化し、概念を吸収して疲労を吹き飛ばそうとも、人間としての肉体活動に必要な基礎的なエネルギー補給までは省略できない。理不尽な質量の暴力を前に、僅かでも万全でない状態で挑むほどナタルは愚かではなかった。
「はぁ……本当、あなたという男は……」
スターシャは呆れて肩を落としたが、すぐにくすくすと楽しそうに笑い出した。
気配遮断を徹底したままナタルの隣に腰掛け、自らも優雅に小さな水筒を取り出す。
「まあいいわ。400年を生きてきたけれど、最深部のボスの目の前でピクニックを始める人間なんて、後にも先にもあなたくらいよ」
「ピクニックではない。ただの準備だ」
暗澹たる闇の奥から漂う圧倒的な威圧感と地鳴りのような咆哮を背景に、二人の間にはどこか奇妙で静かな時間が流れていた。
第二十四話 開戦、理不尽の咆哮
「……始めるぞ」
干し肉を飲み込み、黒い手袋を深く締め直したナタルが立ち上がる。
次の瞬間、迷宮の最深部を覆う暗澹たる闇が爆発的に弾け飛んだ。
『グガァアアアアアアアアアアアッ!!!!』
大断層全体を物理的に揺るがす、咆哮という名の破砕衝撃波。
闇の奥から姿を現したのは、全身を蒼黒い重力結晶の甲殻で覆い、背に無数の空間歪曲翼を蠢かせる巨躯——第二のセキュリティコア『嵐龍』。
1体目と異なり、最初から『特定危険コード(ナタル)』の消去命令を受信し、完全な迎撃モードへと移行した「本気の防衛プログラム」だ。
「来たわ、ナタル! 空間そのものが細切れに殺到してくる……!」
スターシャが叫ぶ間もなく、嵐龍が翼を一振した。
『万物絶対切断』と『不可視の超風圧領域』の重複展開。
スキルという概念すら介在させず、圧倒的な風圧の質量と音速を超える真空刃の嵐が、大断層の回廊ごとナタルたちを磨り潰さんと襲いかかる。
「フハッ……前と同じ手が通用すると思うなよ!」
ナタルは避けるどころか、身体の表面に『超密度肉体構造』と『局所超重力場』を瞬時に展開!
ズガガガガガガガガッ!! と全方位から叩きつけられる切断刃の嵐を、極限まで硬化・重力偏向させた肉体で真っ向から食破していく。
足元の岩盤が千々に砕け散り、身体の至る所から赤黒いノイズが激しく噴出する。だが、1体目の翼の風圧にただ叩き伏せられたかつてのナタルは、そこにはいなかった。
「ワイバーンロードの『空力制御』……そして1体目から奪った『空間歪曲』!」
ナタルは風のベクトルの隙間を看破すると、襲い来る超風圧を逆に推進力へと変換。弾丸のごとき速度で空間の断層を跳び越え、嵐龍の喉元——その「本気の核心」へ向かって一直線に肉迫した。
嵐龍の蒼く光る冷徹な瞳が、侵入したバグ(ナタル)を捉え、全概念を消去する崩壊光線を集束させ始める。
「遅い!! お前の理不尽、まとめて俺の『器』の糧となれ!!」
爆音と共に、ナタルの拳が『本気のエンシェントドラゴン』の眉間へ向けて叩きつけられた!
「……チッ、何だ……!?」
嵐龍の頭骨に両手を突き立て、管理者ログの深層へアクセスを仕掛けたナタルの眉間が、わずかに苦痛に歪んだ。
脳内に雪崩れ込んでくるはずの「世界の真実」——そのデータラインが、突如として激しい高周波ノイズと共に途絶したのだ。
【緊急警告:管理者アクセスログへの違法アクセスを検知】
【特定危険コード(ID: Lv.1_Nataru)によるハッキングに対し、緊急防衛プロトコルを起動】
【セキュリティコア『嵐龍』の該当データ領域を物理切断します——】
「な……ログが……消えていく!?」
ナタルの視界を埋め尽くしていた青いコードの濁流が、まるで焼きちぎられるフィルムのように黒く塗りつぶされていく。
1体目のエンシェントドラゴンを喰らった際、ナタルに管理者ログをハッキングされた「高次元の管理者」どもが、今回アクティブ化させた『嵐龍』には**「ハッキング検知時の自己データ消去(自爆)ギミック」**をあらかじめ仕込んでいたのだ。
「グオオオオオオオオオッ!!」
嵐龍の体内の重力結晶が蒼から禍々しい赤紫へと変色し、その頭骨から急速に『情報』の存在感が失われていく。
ナタルは強引にアクセスを維持しようと『概念吸収』の出力を引き上げたが、奪えたのは嵐龍の圧倒的な戦力(能力)のみ。その最奥に隠されていた管理者へ繋がるアクセスログは、跡形もなく消去・遮断されてしまった。
バチバチと赤黒いスパークを散らし、中身を失った嵐龍の巨躯が、ガラガラと崩れ落ちて消滅していく。
「……逃げたか」
ナタルは消え去る嵐龍の残骸を見下ろし、忌々しそうに吐き捨てて手袋をはめ直した。
「ナタル! 無事なの!?」
駆け寄ってきたスターシャに、ナタルは硬い表情のまま首を振った。
「権能と能力データはすべて奪い、奴の理不尽な強さは完全に俺の『器』へと取り込んだ。だが……向こうの管理者が一枚上手だったな。アクセスログの領域だけを物理的に自爆させやがった」
「なるほど……あちらも一度あなたのハッキングを許したことで、警戒レベルを極限まで上げていたのね」
スターシャが真剣な面持ちで頷く。
アクセスログの奪取には失敗したものの、2体目のセキュリティコアを喰らい、その暴虐な権能を手に入れたナタルの『器』はさらに強大で底知れぬ領域へと達していた。
「ハッ……ログを消して逃げ回ったところで、残りのセキュリティコアはあと『10体』。すべてを強引に引きずり回して喰らい尽くせば、いずれ向こうから面を出しに来るさ」




