第51話 鬼紅葉
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎み、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅鋏鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。襲撃の紅鬼たちの中では一番の巨躯を誇る。性格は横暴を極め、手にした巨大なやっとこ型の鋏で、人間たちの舌を狙い暴れ回る。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━綾麿の眼前に迫る、熊手型の鬼紅葉。
その五つの刃先の全てが、まるで鷲掴みしようとする指先のように鋭く折れ曲がり、殺傷力や攻撃力を更に増している。
刃先はまさに人間を斬り裂こうとする巨大な鬼の手、五つの爪のようだった。
「⋯⋯変幻自在の刃、⋯⋯か」
その狂気の五つの爪が額に届く⋯⋯、
その寸前、綾麿は宙をふわりと舞うように後方へと大きく飛び退き、紙一重の差で危機を脱していた。
その綾麿の動きを、すぐさま紅斬鬼は目で追う。
その銀の瞳が妖しく煌めいた。
《うふふふふ! この鬼紅葉はな、私の想像した通りに刃の形を変える! 五爪の型だけだと思うな!》
紅斬鬼の瞳から発した邪気が紅の波動になって、目から腕、腕から掌、そして握る鬼紅葉へと伝わっていく。
再び振りかざされた五つの爪は、またたく間にまた元の鬼紅葉の刃へと戻っていた。
そして紅斬鬼は離れた間合いを一気に詰め寄ろうと、綾麿に向かって疾走り出した。
すると鬼紅葉は、また新たに奇怪な変化を遂げる。
紅斬鬼の加速する疾走りに合わせて、肩に掲げた鬼紅葉の切っ先が、今度はどこまでも長く長く、長く伸びていったのだ。
《⋯⋯変幻自在だけじゃねえ! 伸縮も自由自在だ! この長槍の型、逃れるものなら逃れてみな! 六歌戦!!》
「⋯⋯⋯⋯」
紅斬鬼の魔性を帯びた瞳と奇怪な刃が、綾麿に今再び迫る。
突きか。
横の薙ぎ払いか。
それとも太刀筋を変化させての、上段振り下ろし、か。
普通の剣客ならば間違いなく混乱するだろう、この状況と攻撃予想の選択肢の多さの中でも、綾麿は鎌足と対峙した時と同じように、落ち着き払っていた。
接近する紅斬鬼に対し、右手に真刃、そして左逆手に鞘刃を持ち、両の腕をだらんと下げた。
「⋯⋯紅斬鬼、そして鬼紅葉か。恐るべき魔剣よ、⋯⋯だが」
そして左逆手の鞘刃だけを、ゆっくりと胸の位置まで上げていく。
右手下段に真刃、左手中段に鞘刃。
それは先程の鎌足との戦いの最中には見せなかった、綾麿の攻防一体の構えだった。
《⋯⋯鞘で防御をしてから、刀で斬りかかろうって腹か!? ⋯⋯ふん、そんな見え見えの手が、この鬼紅葉に通用すると思ってんのか!? ⋯⋯馬鹿め!!》
綾麿に最接近した紅斬鬼が、次の攻撃のために鬼紅葉を握る掌を強めた⋯⋯。
⋯⋯その時だった。
綾麿と紅斬鬼の間に、一人の警備兵が吹っ飛んできた。
「⋯⋯⋯⋯!」
《⋯⋯っ、何だ!? 私の戦いを邪魔するのは!?》
綾麿だけではなく、紅斬鬼の方も一瞬刻が止まる。
綾麿と紅斬鬼の間に転がり、既に亡骸と化している警備兵。
その顔面は潰され、凹み、裂かれ、血だらけだった。
歪みに歪んだ苦悶の表情からも、死ぬ直前まで恐怖と苦痛を味わったことが読み解けた。
そして、そんな悲惨な警備兵の亡骸の口には⋯⋯。
⋯⋯舌が無かった。
《⋯⋯ぐっはははは、紅斬鬼よ、これで舌は今宵三つ目だ。だが⋯⋯、まだまだまだまだ、満足には程遠い》
乱戦の土埃りの中。
先端の血に塗れた鋏を舌舐めずりしながら、右手に鋏、左手に人間の舌を握りしめ、紅鋏鬼が大きな身体を揺らしながら現れた。
《生きた人間の舌がこんなに美味いなら、六歌戦の舌はどれくらい美味いかなあ? ⋯⋯ぐへへ》
そして手にしていた舌を全て口へと運び、美味そうにむしゃむしゃと食べだした。
《⋯⋯っ、邪魔するな! 紅鋏鬼! 六歌戦は私の獲物だ!》
《ああん? ⋯⋯そう堅いことを言うな、紅斬鬼、六歌戦の美味しい生舌の豪華料理。独り占めなんてさせるか。戦った後に舌を引っこ抜くのを、俺も楽しみにしてたんだ。⋯⋯ぐへへ、それに折角の久々の人間界だ。もう喰えねえってくらい満腹になるまで、思う存分に舌鼓を打ちてえ、⋯⋯ってわけよ》
紅鋏鬼は、紅斬鬼の返事を待つこともしない。
手にした“やっとこ”の先端の鋏を、何度も左右を広げては閉じ、閉じては広げる。
開閉のたびに、身の毛もよだつ凶暴で威圧的な衝撃音が、その場に鳴り響いた。
そして不満を露わにする紅斬鬼を余所に、その凶悪な鋏を高々と掲げて、地の玉砂利を弾き飛ばしながら綾麿に突進していく。
《⋯⋯舌、舌、舌、舌、舌、舌、舌、舌をよこせぇ!!》
「麿の身体をその禍々しい鋏で掴み、引き裂く気か。⋯⋯ふん、邪悪な紅鬼め。⋯⋯いくら御所では口数が少ないとは言え、麿の舌は御前如きにくれてやるほど安くはない」
胸元で水平に構えた鞘刃。
その横に並んで見える綾麿の鋭い瞳が、土煙をあげながら迫る紅鋏鬼の姿を映し、妖しく煌めいた━━━━。
━━━━二鬼の修羅と対峙する綾麿と同じく、鎌足も残り一鬼の修羅、紅閃鬼と乱戦の中で相見えていた。
《⋯⋯私の扇ぐ串と、紅影鬼の針。どちらが正確に亡者を射るか、どちらが多く亡者に血を流させるか。どちらが亡者を悶え苦しめさせるか。⋯⋯よく競い合ったものだった。⋯⋯それはそれは、愉しいひとときであった》
紅閃鬼の鉄扇は、無数の鉄の串の骨組みでできているのだろうか。
不気味に笑みを浮かべる紅閃鬼が、長襟や羽織を揺らし、鉄扇を大きく扇ぐ度に、その先端から無数の鉄串が乱れ飛ぶ。
その鉄串の一つ一つが、鎌足の首筋、左胸、腹など、急所を的確に狙っていた。
(⋯⋯ッ!? 止まったら狙い撃ちにされる!)
左に右に、時には斜めに。
立ち止まらないように鎌足は全速で疾走り、時には宙に跳び上がり前方回転しながら、その串の雨を身体ぎりぎりでかわしていく。
(⋯⋯ッ!? 今は奴の間合いの中だ、⋯⋯あの鉄扇の能力は分からないけど、見た所、あいつは遠隔攻撃を主とする紅鬼のようだ⋯⋯! ⋯⋯よしッ! どこまで通じるかは、一か八かの賭けになるかもしれないけど、接近して間合いを崩し、私の間合いに引き込んでやる! そして奴が怯んだ隙に一気に⋯⋯、決めてやる!)
攻撃こそ最大の防御。
そう判断した鎌足は、鬼切丸をまたすぐに抜けるように、一旦左腰の帯へと納めた。
と同時に、流れるような動きで脚と腰の鎖を即座に外し、解き放たれた鎖分銅を構える。
「伊賀流鎖鎌、十四ノ鎖刃『旋風壁』⋯⋯!」
鎖をくるくると回す鎌足の腕が、凄まじい速さで鎖を操り始める。
自身の周り四方八方に鎖を勢いよく振り回し、鎖の壁を作りながら、紅閃鬼目掛けて突っ込んだ。
『鎖防陣』が防御に専念した型だとしたら、この『旋風壁』は、まさに”攻撃は最大の防御“を地でいく型だった。
攻防一体を貫いた技。
しかし積極的に前に出るぶん、『鎖防陣』よりは防御力は落ちてしまう。
ともすれば、“捨て身”にも映る型。
防御一辺倒だった紅影鬼戦での反省。
そして、目の前のこの紅鬼を一刻も早く退け、警備兵たちの支援に回らなくてはならない。
そうした焦りもあったのかもしれない。
この鎌足の選択が吉と出るか、凶と出るか。
その答えが既に見えているのか。
『旋風壁』を待ち受ける紅閃鬼だけは、冷静に涼やかな笑みを浮かべ続けている。
《⋯⋯ほう? これは変わった技ですね⋯⋯》
途切れることなく襲ってくる、鉄串の雨。
その狂気の雨を鎖の旋風で弾き、かわし続ける。
そして確実に一歩ずつ前へ、紅閃鬼の元へと近付いていく。
(⋯⋯よしっ、あと一歩半⋯⋯、⋯⋯一歩、⋯⋯半歩)
狙っていた得意の間合い。
その一線ぎりぎりを越えたことを、鎌足は確信した。
鎖の回転をほんの僅かに緩める。
鬼切丸での攻撃の前に、紅閃鬼を怯ませて鉄扇の扇ぎを止めるため、いよいよ分銅での反撃に転じようとした⋯⋯。
⋯⋯その瞬間。
「⋯⋯あ、⋯⋯ぐぅ⋯⋯!?」
⋯⋯鎌足の右肩を、鉄串が貫いていた。
《⋯⋯的の方から近付いてくるとは。⋯⋯愚かとしか言えませんね、⋯⋯元の場所に戻りなさい》
鉄串の勢いに圧され、鎌足は”くの字“になって吹き飛ばされる。
落ちた先は、『旋風壁』を繰り出す前に居た場所。
手にしていた鎖も、腰の鎌ごと弾き飛ばされていた。
紅閃鬼は鉄扇の乱発攻撃ではなく、鎌足の鎖が緩んだ部分だけを的確に狙っていた。
狙いを定めた一本の鉄串だけを、鉄扇の先端からまるで長い爪のように伸ばして、鎌足の右肩を貫いたのだ。
「⋯⋯ッ、ぐッ!?」
《⋯⋯伸縮自在は、鬼紅葉だけではないのですよ、⋯⋯ふふふ》
紅閃鬼の鉄扇から伸びた串槍が、紅閃鬼の微笑みと共に、ゆっくりとするすると鉄扇の骨の部分へと戻っていく。
放たれた鉄串の“槍”は、鎌足の肩を貫通していた。
鎌足は肩を押さえながら、転がり退く。
そして素早く傷口の状態を確認した。
昨日の針の傷も相当に痛みを伴ったが、この鉄串の傷口は更に太く広く、鎌足に激痛を与えていた。
(⋯⋯痛⋯⋯ッ⋯⋯、⋯⋯っ、早く身構えないと⋯⋯、次の鉄串が⋯⋯来る)
ゆっくりと処置をしている暇は無い。
流れる血を手で抑え、必死に痛みを堪え、紅閃鬼の次の攻撃と防御に備えて、抜いた鬼切丸を手に鎌足は身構えた。
そこに背後から唐突に迫る、禍々しい影。
この乱戦を物語るように、刀を乱暴に振り回した紅鬼が一鬼、鎌足に襲いかかってきた。
(⋯⋯ッ!? ⋯⋯く、くそっ)
乱戦を物語る、不意の攻撃。
鎌足は無我夢中で、鬼切丸でその刃を弾き飛ばし、大きく跳躍した。
《⋯⋯敵に背を向けるとは。⋯⋯笑止なり》
紅鬼に気を取られた、その一瞬だけ、鎌足は紅閃鬼から目を離してしまっていた。
紅閃鬼に再び目をやった鎌足は、自分の目を疑った。
「⋯⋯な!?」
まるで花札でも優雅に広げているように、紅閃鬼の左右の手には、いつの間にか幾枚にも幾重にも数多くの鉄扇が広げられていたのだ。
《⋯⋯秘技『鬼扇乱舞』、⋯⋯受けてみますか、小童》━━━━。
━━━━一方、乱戦の一角では、紅鋏鬼の鋏の先端の二つの刃が、左右から綾麿の眼前に迫っていた。
綾麿が腕を交差させる。
そして村雨の右の真刃で鋏の右を、左逆手の鞘刃で鋏の左を受け止める。
刃と刃のぶつかる激しい衝撃音と共に、綾麿と紅鋏鬼との間で立ち込める、蒼い熱気と白い冷気。
その残響や残煙の中、紅鋏鬼がその圧倒的な怪力を見せつける。
《そのままその身体を挟んで、引き千切ってやるわ!》
紅鋏鬼は左右の腕に力を込め、後はただ力任せにぐいぐいと鋏を締め付けていく。
「⋯⋯⋯くっ」
《⋯⋯舌もついでに、挟んでやろうじゃねえか!》
力勝負では流石に、体格で圧倒的に勝る紅鋏鬼に分があった。
だが綾麿はそれも想定済だった。
敢えて腕を十字に交差させて、紅鋏鬼の左右の鋏を抑えていた。
綾麿は手首を捻り、鞘刃の鳳凰の彫りに、交差している真刃を引き擦る。
すると鞘と刃からは、蒼白い氷炎が迸った。
村雨を出処として、今までとは比べものにならないくらいの凄まじい熱気と冷気に包まれる、綾麿と紅鋏鬼
その冷熱の勢いは、熱が鉄を伝わるように、先端の鋏から紅鋏鬼の持ち手にまで伝導していく。
《⋯⋯あちっ、あちちちちっ、⋯⋯ちべてぇぇ!!》
蒼白く燃え上がる鋏の冷熱に、思わず力を緩めてしまう紅鋏鬼。
その隙を見逃さず、綾麿は鋏を弾いて上空に跳び上がると、真刃と鞘刃を振りかざし、紅鋏鬼の頭上から斬りかかった。
《⋯⋯ごらぁ! てめぇ! ⋯⋯どうなってんだぁあ!? 熱くて冷たいじゃねぇかぁぁぁあぁぁ!!⋯⋯》
思いもよらない手で逃げられた紅鋏鬼が、怒りの雄叫びを上げる。
そして手にしている“やっとこ”の先端の鋏、その二つの刃を左右に切り離した。
猪突猛進の力の象徴とも思えた鋏は、意外にも柔軟さも持ち合わせていた。
鋏は分離して今、鋭い刃先を持つ変形した鉈のような、二つの異界の凶器と化していた。
この二本の禍々しい凶器で、紅鋏鬼は頭上から迫る真刃と鞘刃を力強く弾き返し、村雨の刃ごと綾麿までをも弾き飛ばした。
《⋯⋯やるじゃない、紅鋏鬼。⋯⋯でも六歌戦のあいつは、それしきの攻撃じゃあ、くたばらないみたいだね》
《⋯⋯あぁん!?》
鬼紅葉を肩に担ぎながら呟く紅斬鬼の視線の先に、紅鋏鬼も目を送る。
紅鋏鬼の凄まじい怪力によって、三十間(※50m)以上は後方まで弾き飛ばされていた綾麿だったが、その身体は自由も余裕も戦意も失ってはいない。
空で身体を軽々と翻して後方宙返りすると、庭園の池に掛けられた小橋の上に、優雅に着地していた。
そして村雨二刀をだらりと下げ、口元を緩ませ、小橋の上から不敵に紅鋏鬼を挑発した。
「⋯⋯どうした? 紅鋏鬼とやら。⋯⋯麿の舌はまだ、此処にあるぞ」━━━━。
━━━━時を同じくして、警備兵たちと紅鬼の羅刹たちが戦う乱戦の中では、無数の鉄扇の鋭い刃先が、射抜かれた右肩を庇いながら駆ける鎌足を襲い続けていた。
紅閃鬼の両手から、次々と放たれる鉄扇。
鉄扇を投じると共に、紅閃鬼は風を生み出すように、軽く息を吐いた。
鉄扇はその吐息にも乗り、上空をひらひらと舞うように飛び、不規則にゆらゆらと揺らめきながら、鎌足の跳ね逃げる先々の地に、次々と舞い落ちていく。
鎌足は鬼切丸でも鉄扇を弾き続けた。
空を舞う時は、軽く見える鉄扇。
しかし鉄扇は地に突き刺さる時は、まるで鎧兜でも落としたような、激しく重々しい音を立てていた。
そして地に突き刺さっては、紅閃鬼の吐く奇怪な風に乗って、命が甦るようにまたふわりと宙に舞い上がる。
逃げ惑う鎌足にとって、この鉄扇の浮遊は、無限の数にも感じられていた。
動きが不規則かつ止まることもなく、また連続して投じられているため、一つの鉄扇が二つにも三つにも見えてくる。
実際は何枚投じられたのかは分からない。
ただ恐るべきことに、紅閃鬼の左の手にも右の手にも、鉄扇はまだ幾重にも無数にも広がっていた。
「くそっ、逃げてばかりじゃ埒が明かない! ⋯⋯ッ、しかし今はこうするしか手立てがないッ⋯⋯」
傷を受けていない左の腕、左手で地を叩いて跳ねる。
避けたのは何枚目になるだろうか。
そんな考えがちらりと頭を過ぎった、その時。
足元に突き刺さる鉄扇を避けた鎌足の横から、突然鋭い槍を手にした紅鬼が襲いかかってきた。
既に何人かの警備兵の血を吸ってきたのか。
その槍の先端は、赤黒い血肉で染まっている。
「⋯⋯ッ!!」
鎌足は左腕を軸にして身を屈めて回転し槍を避け、そのまま紅鬼の足元に滑り込んだ。
その滑り込んだ勢いのまま、鬼切丸で紅鬼の左の足首を切断する。
そして叫び声を上げながら体勢を崩していく紅鬼の背後に回り込むと、その喉元を鬼切丸で一気に引き裂いた。
「⋯⋯やった!? 斃したか!?」
しかし喜びに浸る暇は無かった。
紅鬼が喉を抑えて苦しむ場所にも、尚も容赦無く降り注ぐ、紅閃鬼の鉄扇の不規則な雨あられ。
「⋯⋯わわっ、⋯⋯くそっ!」
咄嗟の判断だった。
鎌足は今喉を斬り裂いたばかりの紅鬼の身体を盾代わりにした。
だがその紅鬼の”盾“にも、容赦無く鉄扇の刃は突き刺さっていく。
《⋯⋯グガガガガガガアァァァ!!》
断末魔の叫びと共に、紅い霧と化していく紅鬼。
その紅霧の霞の向こうで、紅閃鬼は幾重にも広げた鉄扇を揺らめかせながら、鎌足を嘲笑い続けている。
《鬼扇乱舞 舞。⋯⋯四、五枚もあれば、十分と思ったんですが。⋯⋯ふふふ、逃げることだけは一丁前ですねえ。こんなに子供みたいに小さくて、すばしっこい的を射るのは久々。⋯⋯何かぞくぞくしてきましたよ》
地に伏せた鎌足の目の前、空に浮かび回転し続ける紅の渦⋯⋯羅生門。
その一つが、揺らめきながらゆっくりと地に向かって降下し、粉々に消滅していく。
(⋯⋯っ、やはり! あの渦は紅鬼の命と直結しているんだ! 間違いないっ!)
鎌足がざっと空を見渡す限り、紅の羅生門はまだ三つか四つしか消滅していない。
即ち、鎌足以外はほとんど誰も、まだ紅鬼を斃してはいない⋯⋯ということになる。
そんな鎌足の後方から、また一人の警備兵の絶命を予感させる、壮絶な叫び声が聞こえてきた。
(⋯⋯まずい、このままだとすぐに⋯⋯)
紅鬼の暴れ方の凄まじさや、加えて修羅が三鬼までいる情勢。
どう判断しても、圧されているのは確実だった。
戦いが始まってまだ間もないというのに、もう既に何人もの警備兵たちが命を失っていることだけは、周りを見る余裕が無い鎌足でも容易に想像ができた。
(⋯⋯全滅してしまう。⋯⋯帝の御命も⋯⋯)
⋯⋯それは、圧倒的劣勢。
地の玉砂利を思わず握りしめる音と、鎌足の悔しさに満ちた歯軋りが、その場に虚しく響いた。
そんな鎌足に向けて、紅閃鬼は首を横に振りながら、冷ややかに呟いた。
《⋯⋯逃げているだけでは私には勝てませんよ? ⋯⋯さて、紅影鬼の仇討ちを終わらせるために、そろそろ涼やかな”風“を扇ぐのも、また終わりとしましょう。⋯⋯鬼扇乱舞 舞から、⋯⋯鬼扇乱舞 閃へ。⋯⋯次は少し“風”が強くなりますよ?》━━━━。
━━━━「⋯⋯うおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!」
この激しくも一方的な乱戦の中、近衛大将兼季は、一鬼の紅鬼と真っ向から斬り合っていた。
《⋯⋯死ネェ! ⋯⋯日本ノ剣士ヨ!》
「⋯⋯そう何でも思い通りにはさせるか! そして大将の私を舐めるな! 紅鬼! ⋯⋯武官の意地、鞍馬一刀流の斬れ味を見せてやるッ!」
力負けすることを知る兼季は、刃を受けない。
紅鬼の剣戟をかわしたその一瞬の隙を突いて、兼季は紅鬼の懐に近づくと、刃を斬り上げるようにして紅鬼の首筋に閃光を走らせた。
村雨や鬼切丸を持たない兼季にとって、紅鬼を仕留めるには、首を切断するか、心の臓を貫くしか手立ては無い。
この兼季が放った渾身の一撃は、見事に紅鬼の首をはねていた。
「⋯⋯や、やった! はははは⋯⋯、一鬼やったぞ!!」
空を舞った紅鬼の首が、世にも悍ましい唸り声を上げる。
その断末魔の声を最期に、紅鬼の身体も首も、紅い瘴気の霧に包まれて、夜の帳が下りた庭園の空を漂い、そして消えていく。
この紅鬼の消滅と共に、やはり空の紅の渦の一つもまた、小刻みに扇動しながら地に落下しながら消滅していった。
それは人間たち帝護衛側にとって、鎌足の斃した三鬼と合わせて、やっと四鬼目となる撃退だった。
人間たち、警備兵たちにとっては本当に細やかで、局地的な勝利の余韻。
しかもまた戦いの最中。
それでもその兼季の勝利に喜び勇んだ警備兵が一人、兼季の後ろへと駆け寄った。
「凄いです! やりましたね! 大将様っ!」
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯くそっ、だが如何せん、敵の数が⋯⋯、多すぎる。⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ、⋯⋯っ、このままだとすぐに清涼殿、帝の夜御殿にも、⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯、紅鬼たちは、雪崩込もう⋯⋯」
⋯⋯その時。
まだ息の激しい兼季の背後を、一筋の閃光が走った。
その光と共に、人間の断末魔の叫びが三重奏で突き抜けていく。
⋯⋯兼季に今しがた声をかけた警備兵の吐息も、既にその場から消えていた。
「⋯⋯う、⋯⋯な、⋯⋯何だ、⋯⋯次は何が!?」
振り返った兼季に目に飛び込んできたもの。
それは、未だかつて見たことがない程長く長く伸びた、巨木を割いて打たれたような野性味溢れた刃。
そしてその刃と共に、物干し竿に吊られたようにぶら下がる、三つの衣。
その三つの衣は、見知った警備兵の防具だった。
しかもその衣の袖や裾や襟からは、血だらけの腕や足や頭など、今しがた絶命したばかりの人間の三つの身体が覗いていた。
《⋯⋯ふん、紅鋏鬼の戦いを見てるだけじゃつまんねえから、ちょこまかしてる他の奴等に、ちょっかい出してみたけど⋯⋯、だめだな、脆い身体は突き刺し甲斐も全然無いし、やっぱり雑魚はつまんねえわ》
⋯⋯その刃の正体は、鬼紅葉。
紅斬鬼が伸ばしに伸ばした長い鬼紅葉の刃で、三人の警備兵を串団子のようにまとめて串刺しにしていたのだ。
がっかりした溜め息と共に、紅斬鬼が警備兵を貫通していた鬼紅葉を、元の長さに一気に戻す。
すると刺されていた三人の警備兵たちは、まるで支えが無くなった人形のように、ばたばたと地に倒れていった。
《⋯⋯お? ⋯⋯私をさっき射ようと命令した、兄さんじゃねえか。⋯⋯御前、何か衣が違うな。⋯⋯はーん、ひょっとしてお偉いさん⋯⋯か? ⋯⋯はっはっは、ならちょっとは愉しめ⋯⋯ないだろうなぁ。顔に”大したことない“って書いてあるぜ》
「⋯⋯な、⋯⋯ッ! 何だと!? それにその手にしているのは、伸縮自在の刀⋯⋯、か!?」
団子ように斃れた三人の警備兵たちを、紅斬鬼は一人ずつ指差しながら嘲笑する。
《⋯⋯ったく、それにしても弱い、御前も弱い、御前もだ。弱すぎる! ⋯⋯全く張り合いがねぇ、どいつもこいつも私たち紅鬼の力には、遠く、遠〜く及ばない》
そして再び深い溜め息をついた⋯⋯。
⋯⋯その時。
⋯⋯篝火が焚かれたこの夜の庭園内に、何処からともなく優雅な女の声が響きわたった。
《⋯⋯あら? 蒼鬼には、劣ると思うけど?》
その声を耳にした紅斬鬼の顔が、明らかな不快感と警戒心で満たされていく。
《この耳障りな声⋯⋯、聞いたことあるな。⋯⋯まさか》
《⋯⋯久しぶりね、紅斬鬼。妾たちの仕掛けた葬魂の術からの疑心暗鬼の計、⋯⋯江戸京都、憎さ百倍、同士討ち大作戦。⋯⋯もうちょっとで成功だったのに、貴女たち紅鬼のお陰で、台無しよ。⋯⋯この報い、その安い命で贖ってもらうしかないわね》
その謎の声が終わるや否や、内裏にとてつもない地響きが起きた。
桜の木々が揺れ、池の水面は激しく波打つ。
泳ぐ鯉までもが驚き飛び跳ねる程に大地が激しく揺らぎ、庭園の至る所が隆起したり陥没したりしていく。
戦闘中だった警備兵は勿論のこと、紅鬼たちまでもが辺りを見回し警戒し、激しく動揺している。
「⋯⋯な、何だぁ!? こ⋯⋯、この揺れは!?」
紅閃鬼と対峙している鎌足もまた、未だ体験したことのない揺れにただ驚愕の表情を浮かべるしかなかった。
紅鋏鬼の鋏の分離二刀、そして自身の村雨二刀。
この四つの刃による激しい交戦の真っ只中だった綾麿もまた、この大地の異変をすぐに察知していた。
鎌足と紅閃鬼の間の大地にも、そして綾麿と紅鋏鬼の間の大地にも、同様に至ると所にひびが入っていく。
突然の異変を前にして、紅鋏鬼と紅閃鬼も激しい憤りを見せていた。
《⋯⋯ああ? 何だぁ!? こいつは!? 下舌からか!?》
《この嫌な気配は⋯⋯、⋯⋯ふん、蒼鬼達ですね》
鬼紅葉を握りしめながら、紅斬鬼は苦々しく、そして鬱陶しく呟いた。
《ちぃっ、蒼妖鬼か。⋯⋯あの醜女ぇ、ふざけた真似を!》
部分部分に裂けた大地は、徐々に数を増やし、またその一つ一つが急速に広がりを見せていく。
いつの間にかその渦は、人間たちと紅鬼との乱戦をぐるりと取り囲むような、円⋯⋯数珠の形を描いていた。
そしてその穴の中にも、紅の空と同様に怪異が潜む。
一つ一つの穴からは、まるで地獄への入り口のように蒼い霧が噴き出し、蒼い渦が巻いていたのだ。
それは空から見れば、まるで大地に突如現れた無数の蒼い目。
その蒼い渦は、数にして二十と三。
激しく回転する渦といい、噴き出す瘴気を帯びた霧といい、様相は空に浮かぶ紅鬼の羅生門と全く同じだった。
違うのは、生まれ出でた場所が空か地か、ということ。
⋯⋯そして、その”色“だった。
「まさか⋯⋯! 今度は地からもか⋯⋯!?」
紅鬼たちの動きも一斉に止まり、戦いが始まる前に戻ったかのように再び大混乱を見せる警備兵たちの中、鎖鎌を拾い上げて構え直した鎌足が狼狽する。
⋯⋯混乱と混沌。
しかしこの場に居る人間たちの中で唯一人、綾麿だけは、今から何が起ころうとしているのかを既に確信していた。
「⋯⋯これは、⋯⋯蒼の羅生門、邪道」
円を描く蒼の渦。
そこから立ち上ぼる蒼い霧は、数を四つ減らした空の紅の霧をも打ち消し、辺り一面に充満していた。
「な、何だ⋯⋯、視界が蒼くぼやけて見えないッ!?」
鎌足の狼狽の後、ほんの暫らくの刻を置いて、立ち込めていた蒼霧が次第に晴れていく。
⋯⋯その晴れた視界の先には。
乱戦の綾麿や鎌足や兼季、警備兵や紅鬼たちをぐるりと取り囲むように、数々の武器を手にした、蒼い肌の異形の怪物⋯⋯蒼鬼の群れが姿を現していた。
「⋯⋯あ、蒼鬼だ、⋯⋯今度は蒼鬼が来た、鬼の援軍だ⋯⋯」
「⋯⋯紅鬼だけじゃなくて、蒼鬼まで⋯⋯、⋯⋯も、もうだめだ」
あちらこちらで警備兵の驚きと落胆、動揺の声が響いた。
闇に煌めく、四十六の角。
その容姿も紅鬼同様に、どれも醜悪で、口は裂け、耳は尖り、目は蒼く血走っている。
ただ、その輪の正面⋯⋯御所側に当たる位置に陣取る三体だけは、他の二十の蒼鬼たちとは違っていた。
額には、やはり鋭い角を持っている。
しかしその外見は、人間と全く同じだった。
まず真っ先に目に付くのは、刃先の鋭い薙刀を脇に構えた、中央の鬼。
それは紅斬鬼と同じく、若い女鬼だった。
そしてこの女鬼は、この世のものとは思えない程の美貌を誇っていた。
きらびやかな着物の打掛の上半身部を腰に巻きつけた、俗に言う“打掛腰巻”姿で、鉢巻で長い髪を留めて、ひとつ結びの髪を背中に華麗になびかせている。
まだ幼さも残る美しい顔、そしてその薙刀を構える凛々しい立ち姿は、思わず警備兵たちが吐息を漏らしてしまう程だった。
⋯⋯その女鬼の左右にも、二鬼。
異彩を放つ男鬼が、この美しい女鬼の両脇を固めていた。
女鬼の向かって左には、紅鬼の紅鋏鬼の体格を上回る、平均的な人間の身長の三倍から四倍はゆうにある、天を脅かすような巨大な鬼が立っていた。
鉄兜を被り、胸当て以外は上半身は筋骨隆々とした身体を剥き出しにして、両腕両脚と腰回りは籠手(※手甲)や脛当、草摺(※腰の前掛け)で武装している。
絶対的な存在感を与えているのは、その巨躯だけではない。
そのただでさえ大きな手に握られた、巨大な金砕棒もまた、触れるもの全てを破壊するのではないかと思ってしまう程の、凄まじい威圧感を放っている。
そして向かって右には、三日月型の鉤爪を彷彿とさせる、歪に湾曲した刃を背中に二刀、蝶の羽根のように交差させて背負った鬼が立っていた。
その顔は細面の美形と言っても良いくらいだが、瞳は妖しく鋭くぎらつき、身体は痩せこけていて、細い身体に忍の鎖帷子のような防具を身に着けている。
その上から着ている衣も、まるで亡霊の纏う衣装のように、その端々は擦り切れ破れてぼろぼろになっていて、乱れた長髪と合わせて、見るからに不気味な様相を呈していた。
⋯⋯完全に陽の暮れた御所内。
篝火の松明、満月に近い月灯り、そして空の紅の渦。
三種の明かりに照らされた、この三鬼⋯⋯蒼の『修羅』たちの薄蒼い眼と、銀色の瞳が妖しく煌めく。
中央に構える蒼鬼の女⋯⋯蒼妖鬼が、人間も紅鬼も関係なく、その場に居る全員に向けて、優雅に華々しく、”本当の恐怖の宴“の始まりを告げた。
《⋯⋯はじめまして、こんばんは。⋯⋯蒼鬼二十と三鬼、御所及び京都制圧のため、只今、推参。⋯⋯人間も紅鬼も、どちらも仲良く、此処で滅んで頂こうかしら》━━━━。
第51話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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50話突破を記念して、今度別アプリで配信するので、良かったらぜひ遊びに来てください。
次回第52話「蒼の羅生門」は、4月21日投稿予定です。




