【八十八点】子孫のあるべき姿
「……あいつの言った通りになったな」
話は終わった。
なるべく早く動けるよう用意を進めると言葉を残し、東雲と俊樹達は既に別れている。今は悟も混じった三人が横並びで歩き、彼の部下の居る資材倉庫を目指していた。
俊樹の口に出した言葉に悟は精悍な顔を不思議そうなものに変える。あの場で衝撃の情報を齎し、そして知っていたのは間違いなく怜だけだ。
ヴァーテックスが、四家が知らない内容を元一般人である俊樹が知る筈もない。実際、あいつの言った通りという言葉には俊樹自身が知っていた部分があるようには思えなかった。
「あいつとは、どのような人物なのでしょうか?」
今の悟は怜達の部下であり、俊樹の従者でもある。
本人が従うことを決め、四家に対して無かった忠誠を俊樹に向けた。輝く黒真珠の如き目は生の光に満ち溢れ、熱意や情熱といったもので燃えている。
向けられた側である俊樹は鬱陶しい顔を隠しもしない。忠誠が欲しかった訳ではないし、そのような好意的な目を向けてほしかった訳でもないのだから。
それでも、拾ったのは彼だ。動物を最初に保護した者にこそ一番の責任が有り、彼はその責任を果たす立場にある。
怜も東雲も直接的には悟の支配者ではないのだ。あらゆる命令を下しても良いのは、他ならぬ未だ青年の身である俊樹だけである。
「怜。 言っても?」
「好きなようにしろ。 別に一々私の許可を貰わねば動けん子供ではないだろう?」
「っち、一言多い奴。 ……この事は口外するなよ」
「御意」
どうしたって悟とは今後一緒に行動することになる。
となれば、自然と彼が知らない情報を耳にすることになるのは必然だ。そうなった時、何も知りませんでは醜態を晒すだけになる可能性はあった。
そうなるくらいならば、言ってしまう方が何かと都合が良い。四六時中隠し事をするなど面倒極まりないとも言うが。
俊樹の創炎。その特殊性と、どうして彼自身にだけ初代の炎を使うことが出来るのか。
同時に、何故女帝である怜が彼と行動を共にする必要があるのか。如何に後継者として指定されているとはいえ、何時も近くに居る必要は本当は無い。
全てを進みながら、声量を落して伝える。
悟からすれば情報過多でしかなく、中身を知れば知る程に四家に属していた場合の未来を想像して絶望を抱く。仮にあの場で生き残って撤退が出来たとしても、多少遅れるだけで悟は死んでいた。
俊樹が出せる炎は四家内では常に疑問ではあったが、これは後継者であるからというだけで使えるものではない。
創炎を最初に作った怜が認めただけでは、二人が屋上で戦った時程の出力も技量も無かった。内部に居る大英雄と波長が合ったが故に、あの炎は真なる日輪へと変貌を遂げたのだ。
「まぁ、あいつが怜の動きを予想したんだ。 五百年前の仲間達は確かに戦力になるが、そうするには生産装置の管理を放棄することになる。 そんな真似を彼女が許す筈も無いだろうってな」
「ふふ、実に彼らしい予測だよ。 普通はもっと酷薄な予測をするものだがね」
「以心伝心。 夫婦の仲は良好な訳だ」
「そのようだ、良いことだよ。 本当にな」
互いに互いの考えは解っている。
事実を事実のまま俊樹が伝えると、怜は悟の前にも関わらず柔らかい微笑を浮かべた。そこに氷の女帝としての姿は無く――誰もが見惚れる美しき女性の顔だけがある。
太陽とは、ただそこに居るだけで誰かを照らすことが出来るのだ。
当たり前の常識。しかし人がそれを成している事実は普通に出来ることではない。誇るべきことであり、今の悟には出来ないことだ。
ましてや、女帝の氷を溶かした上で人並みの幸福も彼は与えている。男として勝てる要素を探す方が至難だ。
改めて、初代とは今とは格が違うことを知った。彼等と比較すれば腐っていると言われても仕方がない。
「まぁ、そういう訳だ。 今も様子だけは見ているみたいだが、あまり気にしなくて良いからな。 逆に気にされる方が迷惑まである」
「御意に」
「その堅苦しい言い方も止めろ。 お前はそういう言葉遣いをする前に、部下を制御することに注力してくれ」
「……そう、ですね。 解りました」
資材倉庫の前に三人は到着した。
ここからは悟の仕事となる。理由は解っているとはいえ、彼等は降伏したのだ。手当をされて回復に向かっている者など決して酷い待遇を受けてはいないが、今後の選択以下によっては四家に居た頃よりも生活は苦しくなるだろう。
良いこともあれば悪いこともある。世の中はギブアンドテイクであり、悟は彼等のリーダーとして善き道を示さねばならない。
倉庫の重厚な扉をノックし、悟を先頭に中に入る。
巨大な正方形の内部は広く、床は緑のタイルに覆われていた。天井は高く、強力な蛍光灯が中を満遍なく照らしている。
決して暗い訳ではない。同時に明る過ぎる訳でもなく、脇に動かされた多くの金属製のラックが最も多くの面積を占有している。
部屋の四隅にはヴァーテックスの黒い隊服を着込んだ人間が居た。彼等は揃って小型火器を持ち、油断無く中央に居る者達と三人に視線を向けている。
その目にあるのは警戒。事前に東雲の部下である大将位の人物から説明を受けたが、それで安心出来る程彼等は心の緩い集団ではない。
常に警戒を。上に行けば行く程、常在戦場の心得を忘れることはない。
「悟様ッ!」
部屋の中央。無数の衝撃吸収用のマッドの上には怪我人を含めた悟の部下が居る。
彼等は悟を目にした瞬間に立ち上がり駆け出していた。俊樹は初めてその部下達を確りと見て、奇妙なまでに層がバラバラであることに気付く。
老若男女問わず、子供から老人までが同じ黒衣に身を包んでいる。流石に赤子や五歳くらいの子供の姿は無いものの、中学生程の男女まで見えた。
「すまない、待たせたな」
「いえ、我々も休息が取れました。 怪我人も手当をしていただき、死亡者の数は想像を遥かに超えて少ない状態です」
「死んだ者については深く考えるな。 ――どだい、あのままなら我々は全滅する筈だった」
「悟様――!?」
彼等は今日この日に自身達が全滅することを僅かも考えていなかった。
いや、正確に言えば自分は死ぬだろうと考えていたのだ。誰かが生き残って後を引き継いでくれれば、悟の従僕として未来を繋いでくれれば、自身の死にも意味は残ると信じて。
彼等は底辺の中の底辺。四家の身の回りの世話や護衛をする家系で、特に何の才能も意味も無しに存在する者達だ。擦り減らされることを基本とした集団は、故に希望も未来も無い。
そんな彼等は総じて、悟に手を差し伸ばされた。
救いの手を、あるいは叱咤の手を。この現状を覆したいと語る男の思想に皆が賛同したのだ。
誰が、どれだけ、どんな風に死のうとも。
悟は足を止めてはならない。死を選ぶことは勿論、考えを変えることさえも。
その悟が全滅を語った。自身の夢はあのままだったら潰えていただろうと正直に語り、大小少ないまでも全員に衝撃を残す。
だが、あのままであればだ。最早そんな未来は訪れることはない。
「私の夢は変わらない。 あの四家をそのまま残してはならない。 ……けれど、どうしたとて手札に欠けている。 量があっても質が足りないのだ。 それはお前達も解っているだろう」
悟の静かな言葉は残酷に満ちている。
苦味を多分に含め、毒をぶち込んだような味が口内に広がった。
元々質が無い集団なのだ。数だけあっても、結局反抗すれば四家の誰かに蹴散らされる。
必要なのは質。誰も彼もが相手にならない、圧倒的な個。
「私は今日負けた。 だが、負けて良かったと思っている。 初心を思い出し、その上で魂を燃え上がらせてくれる相手を見つけた。 彼と共に在れば私達は何処までも夢を突き進めると確信したのだ」
言葉に熱が籠る。
種火に燃料が注がれ、徐々に激しいものへと変化していく。その熱量は、嘗ての悟には無かったものだ。
「私達は四家を脱する。 戻ったところで粛清されるのなら、降伏した上で真の後継者殿の為の足になろう。 そこにきっと、我々の求める未来がある」




