第13話
平安京の夏は相変わらず蒸し暑い。道端に植えられた木々の葉は時が止まったかのように動きもしない。清高は貴族の屋敷の塀の影を選んで歩く國足の後ろについて歩いていた。
(平安京は久しぶりだけど、あまり懐かしさは感じないな)
世の中狭いようで広い。清高が悲田院にいた時には行かなかった場所であるということもあるが知り合いに会うことはなかった。よしんば会ったとしてもあの頃とは違い綺麗な衣を着ているので気づかないかもしれない。
心うちを明かして以来、國足はなにかと清高を引き立てて使ってくれる。それを友達のトキはずるいと言った。だが、清高はただ國足の好意に甘んじていただけではない。清高は自ら進んで物品の目利きや仕分け、管理方法を学び取っていったし、速く円滑に商売が進むように倉内の整頓や掃除を買って出た。それが実を結んだのか、國足は今日初めて清高に貴族の屋敷への同行を許してくれた。
「見かけは大事だ。それが初対面ならなおさらだ。初めの印象は後々まで尾を引くからな」
國足はそう言って今着ている新しい衣も仕立ててくれたのだ。
「どこかの貴族の御曹司みたい」
ユウはうっとりとそう手放しに誉めてくれたが、トキは何も言わず、ふいと横を向くとどこかへ行ってしまった。
清高はトキの態度に傷ついた。が、同時に怒りも涌いてくる。妬むくらいなら、トキも清高と同じようにやればいいのだ。國足は努力すれば必ず報いてくれる。清高にしてみれば何もしないでただ人を羨むトキの方が遙かに『ずるい』と思う。清高には名を挙げて清夏を迎えに行く目的がある。夢の中での清夏は笑顔で清高を迎え入れてくれ、抱き寄せれば清夏も抱き返してくれる。それを現実のものにしたい。だから、トキが変わらない限り清高は彼と歩調をあわせることは出来ないし、あわせるつもりもなかった。
今日は藤原藤主とか言う貴族の屋敷へ商談に来たらしい。國足は建物の中へ入り、清高は裏へ回った。同行は許されてもまだ國足と一緒に屋敷内へ入ることは認められていないので屋敷の雑色たちと話をする為だ。噂話のような何気ない話にも商売の種が眠っている、と國足はいう。
裏には子供達しかいなかった。が、清高は國足に真似た笑顔で近づき、遊びの輪に難なく入った。子供達に囲まれた清高は持っていた木の実と刀でコマを作って見せた。清高の作るコマはよく回る上に、刀で表面を削って柄をつける為、見た目にも綺麗なのだ。
「兄ちゃん、器用やなあ」
子供達の歓声を聞きつけた雑色が清高に声をかけた。
「子供に好かれるといい人に思われるのだろうな、大体大人も心を開いてくれる」
そう言っていた國足の言葉を清高は思い出していた。それ以来清高は荷物の中に刀と木の実を忍ばせておいたのが役に立った。悲田院にいた頃よく清夏にせがまれて作っていたし、その頃も上手いと誉められていたので子供の心を掴む自信はあった。そして國足の言うとおり、雑色の方から清高に声をかけてくれた。
「なあ、國足さんは武器とかも扱うのか?」
雑色は暫く雑談をした後、清高にそう聞いた。武器とは穏やかではない。
「頼まれれば出来ない事もないですけど…何かあるんですか?」
「ここだけの話だがな」
そう前置いて雑色は声を小さくした。
「もうすぐ今上側と上皇側で戦になるかもしれんのだ」
「戦ぁ!?」
「声が大きい!」
雑色はあわてて辺りを見回し、子供達以外庭先にいないのを確認して再び続けた。
「昨晩殿さんのお父上の仲成様がこの屋敷にやってきたのだ。人払いされたのだが、ちょっとした好奇心でな、つい聞き耳を立ててしまったのだ。そうしたらそんな話がでているではないか。私も妻子を持つ身、戦から守らねばならん。だが、内緒で聞いた手前誰にも相談できん。…何か知らぬかと思ってな」
期待に満ちた目で雑色に見つめられたが清高には初耳の事だったので正直に知らないと答えた。
それからも雑色と話を続けたが、清高は戦の話が頭から離れず上の空だった。
「帰るぞ」
國足に声をかけられ、雑色に別れを告げると國足の元へ駆け寄った。國足の荷物を受け取ると二人は並んで歩き出した。
「面倒くさいことになりそうだ」
門を出て暫く歩いた後、ため息交じりに言う國足に清高は機敏に反応した。
「戦ですか?」
「よく知っているな」
目を見開いた後、國足は満足そうに口端を上げた。
「戦となれば商売の機会は増えるが、あまり気が進まないな。それに商売先を間違えるとこちらもとばっちりを食う。さて今上側につくか、上皇側につくか、黙して時が過ぎるのを待つか…」
清高は軽く息を呑んだ。
「真夏は上皇側ですよね」
清夏が身を寄せている藤原真夏という人物を清高はいつも気にしていた。彼の屋敷へ出入りしている他の仲間から何気を装って清夏の話を聞きだしていたのだが、彼はかなり清夏を可愛がっているらしい。清夏の細やかな気配りを真夏は重宝がり、屋敷にいるときはもっぱら清夏に世話を任せているそうだ。
清高にはその全ての話が気に入らなかった。清夏の良さや彼の温もりを知るのはこの世の中でただ一人、自分だけでなくてはならないのだ。
「真夏、と呼び捨てとは敵愾心丸出しだな」
國足の苦笑に清高はばつの悪い顔を見せた。
「すみません。でも本当に戦になって上皇側が負けたら、真夏…様はどうなるのですか?」
「まあ、どれだけ加担したかにも寄るが、重くて死罪、軽くても配流は避けられないだろうな」
死罪か配流。真夏が死のうが流されようが清高の知ったことではないが、真夏の屋敷にいるというだけで、清夏に何かしらの災難が降りかかるのだけは防いでやりたい。
「親方はどちらが勝つと思いますか?」
真剣に問いかける清高に國足は苦笑した。
「おいおい、まだ戦になると決まったわけではないぞ。それに、お前の気にしている真夏の中将様は上皇一辺倒ではなく、今上の皇后嘉智子様の親族とも婚姻を結んでいる。どっちに転んでも上手く切り抜けられる札はもっているんだ」
「世渡り上手なんだな」
再び気に食わない声丸出しで呟く清高に國足は立ち止まって振り向き、やれやれとばかりに首を振る。
「自分に枷をかして頑張るのもいいが、あまり意固地になると手に入るはずのものも逃してしまうぞ」
國足のため息混じりの言葉は清高を黙らせるのに十分だった。彼にははっきり清高の不安がみえるようだ。今でも清夏は自分の為に毎日南門に立ち、噂話を聞いては探しに行ってくれているという。しかし、國足の言う通り、ずっと会わなければ清夏はだんだん清高の事を忘れてしまうかも知れない。
(それだけは嫌だ)
清高が清夏を想っているのと同じ感情まで望まなくとも、清夏の心にいつも自分の姿を住まわせておいて欲しい。
(ようやく今日初めて國足について客先を回れるようにはなった。しかし、まだ貴族の屋敷に入ることは許されていない程度だ。こんな調子ではまだ清夏に会うわけにはいかない)
なんとか会わずに清高の存在を知らせたい。
(もし、自分が生きている事が分ったら、清夏は真夏の所なんか出て、悲田院に帰るかもしれない)
そう考え付くと、清高は居ても立っても居られなくなった。
「親方、木津の屋敷にもどったら、少しだけお暇をいただきます」
伺いを立てるのではなく言い切った。もちろん奈良の都へ行く為だ。駄目だといわれても今の自分なら行くだろう。
それを分っているのか國足は一言、上手くやれよ、と言っただけだった