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第1話 リケジョ、愚痴をこぼす

カクヨムにも掲載。

遅筆ですが頑張ります!

 授業終わりのチャイムが鳴った瞬間、真鍋まなべ理乃りのはポケットの中のスマートフォンをそっと取り出した。

 理科室から自分の教室に戻るほんの三分間の廊下移動。

 その間だけ、さっきの実験で出た二酸化炭素の発生量のデータをメモアプリに打ち込んでおきたかった。授業中でもない。誰かに迷惑をかけているわけでもない。


 ――のに。


 「真鍋」

 

 背後から聞こえた低い声に、理乃の指がぴたりと止まった。振り返らなくても分かる。生活指導担当、福原の声だ。

 低音で抑揚がなく、まるで自動音声のように無機質。理乃はこの声を聞くたびに、なぜか理科室の実験器具が発する電子音を思い出す。


 「……はい」

 

 「スマホ、出せ」


 振り返ると案の定、福原が腕を組んで立っていた。廊下の窓から差し込む午後の光が、彼の眼鏡に反射しているせいで表情はよく見えない。それが相まって、まるで感情を持たない審判のようだった。

 

 「休み時間です。授業中じゃないです」

 

 「校内では原則禁止だ。理由はいらない」


 理乃は、思わず廊下の端に目をやった。

 同じタイミングで隣のクラスの男子二人が、スマホで部活の連絡を取り合っているのが見える。しかし、福原はそちらを一瞥もしない。


 「……あそこの二人は」

 

 「何か言ったか?」

 

 「いえ……何も」


 理乃は諦めてスマホを福原に差し出した。手のひらの上で、画面がまだうっすらと発光している。実験データを途中まで打ち込んだメモが、そのまま宙ぶらりんになる。

 福原はそれを無造作に受け取ると、胸ポケットから取り出した小さな回収カードに理乃の名前と日付を書き込んだ。手慣れた仕草だった。まるで、これが日課の一部であるかのように。


 「――理不尽だと思います」


 気づいたら、一度は堪えた感情が、勝手に口からこぼれていた。

 福原の眉がわずかに動く。


 「校則だ」

 

 「男子は黙認されて、女子だけ厳しく取り締まられてる気がします。それも、理由がないならなおさら」

 

 「屁理屈を言うな」


 福原はそう言い残すと、踵を返して去っていった。理乃はその背中をしばらく睨むように見つめていた。だが、睨んだところでスマホが戻ってくるわけでもない。ため息をつき、教室に向かって歩き出す。


 ――あの回収カード、去年から様式変わってないな……。


 福原の後ろ姿を見ながら、理乃はふと、そんなどうでもいいことに気を取られた。理系の頭というのは、こういうときに限って余計な観察をしてしまう。

 回収されたスマホは、たしか職員室の書庫の施錠式の戸棚にまとめて保管される。去年の文化祭の準備で、たまたまその電子錠の暗証番号を目にしたことがあった。


 ――いや、まさか。


 理乃は頭を振って、その考えを追い払った。悪戯を企むタイプでは断じてない。

 理科室の温度管理と、模試の偏差値と、たまに読む科学雑誌――それが真鍋理乃の世界のほぼ全てだった。

 放課後、理乃はいつものように図書室へ向かった。目当ての相手は大抵そこにいる。


 「理乃、また没収された?」


 文野ふみのしおりは、本のページから顔も上げずに聞いてきた。

 思えば、栞との付き合いはもう六年以上になる。

 小学四年生のとき、理乃は休み時間になると教室の隅で拾ってきた石を並べたり、水たまりの油膜を飽きずに眺めたりする「変わった子」だった。

 周りの子どもたちが遠巻きにする中、初めて声をかけてきたのが栞だった。

 

 「それ、何してるの?」


  ――その一言から始まった関係は、今も変わらず続いている。


 そんな幼馴染であり、大親友でのある栞に向かって、理乃は「なんで分かるの」と尋ねる。


 「歩き方。ちょっと悔しそうな、やられた時はいつもその歩き方してる」


 どうやら理乃の足音だけで状況を察したらしい。

 栞は文学少女らしく、他人の些細な仕草から驚くほど正確に感情を読み取ることができた。理乃は、その観察眼を時々恐ろしいと思うことがある。


 理乃は、栞の向かいの席にどさりと座った。


 「福原の見回り、絶対女子ばっかり狙い撃ちしてる。さっき、隣のクラスの男子が普通にスマホいじってるの見えたのに完全スルーだった」

 

 「気がする、じゃなくて……それ、たぶん事実だよ」


 栞は静かにページをめくりながら言った。


 「去年の生徒会アンケート、覚えてる?  『校則の運用に男女差があると感じるか』って設問で、七割近くが『感じる』に丸してた。集計結果、生徒会だよりの隅にちっちゃく載ってたの。……理乃、読んでないでしょ」

 

 「読んでない……というか、そんな記事あったんだ」

 

 「理乃はそういうところ、詰めが甘い」


 からかうように笑う栞に、理乃はむっとした顔をしたが、反論の材料は特になかった。

 しばらく二人の間に、図書室特有の静けさが流れた。

 ページをめくる音、遠くの部活動の掛け声、エアコンの低い唸り。理乃はその静けさの中で、さっきから頭の隅にこびりついていた「どうでもいい考え」を、つい口にしてしまった。


 「ねえ、栞。もし……仮に、の話なんだけど」


 「うん」

 

 「あの戸棚からこっそりスマホを取り戻す方法があったら……どう思う?」


 栞は今度こそ本から顔を上げ、理乃をまじまじと見つめる。


 「理乃がそんなこと言うの、珍しいね」


 「柄じゃないのは分かってる。でも――」


 「盗む、って意味じゃないんでしょ?」


 「うん。盗むんじゃなくて、交換。同じ型のスマホに、壊れた基板だけ詰めたダミーを用意して、それを本物とこっそりすり替える。福原が確認するのはたぶん、電源が入るかどうかくらいのはずだから……誰にもばれないし、誰も損しない」


 自分で言いながら理乃は、少し恥ずかしくなった。理屈としては筋が通っているが、口に出すとただの子供の悪戯にしか聞こえない。

 栞はしばらく理乃の顔を見つめたあと、ふっと噴き出した。


 「面白いこと考えるじゃん」

 

 「笑うところ?」


 「笑うところだよ、こんなの。理系女子がこんな回りくどい計画立てるなんて」


 「馬鹿にしてる?」


 「褒めてる」


 栞は机の上のノートを一枚破ると、いつもの几帳面な文字で何かを書き始めた。


 「作戦名、決めよっか。こういうのは名前をつけると締まるものだよ」


 「大袈裟だなあ……でも、まあ、なんかいいかも」


 「じゃあ――」


 栞のペンが一瞬止まった。窓の外は、部活動を終えた生徒たちのざわめきと、傾き始めた夕陽で満ちていた。


 「作戦名は、『ダミースマホ作戦』。ありきたりだけど、どう?」


 理乃は、思わず小さく笑ってしまった。


 「悪くない」


 その一言から、彼女たちによるあまりにも些細な「反乱」が始まった。

読んでくださりありがとうございます!

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頑張ります!

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