↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
84/108

第84話 冷えた殺意

 ◆レオン視点

 

 同時刻、学院の寮。


 レオンの部屋は暗かった。机の上には、開かれたままの教科書と、すっかり冷めた紅茶が残っている。レオンは椅子に座ったまま、もう長いこと動いていなかった。


 レナが、今日は寮に戻っていない。図書室にも、中庭にも、いつもの場所のどこにも姿がなかった。そのことを、レオンは夕方の時点で把握していた。


(……遅い)


 時計の針が、また一つ進む。


 レナが視界から消えること自体は、珍しくない。こっそりバイトに行くこともあれば、エリックやサラと出かけることもある。だが今日は違った。理由は単純だ。ここ数日、レナの周囲では異常が続いている。噂、いじめ、退学の圧、あの男子たちの一件。その渦中にいる人間が、何の連絡もなく消えた。それだけで、十分すぎた。


 レオンが、立ち上がる。


 その時、机の上の通信石が、かすかに震えた。


 淡い光が、暗い部屋に滲む。発信者の魔力は、エリック・ハーヴィルのものだった。


 レオンは、一瞬だけ目を細める。エリックから連絡が来る、それだけで用件はほとんど決まっていた。


 通信石に触れる。だが、耳に届いたのはエリックの声ではなかった。


『レオン』


 穏やかで、どこか薄い声。オルフェ・クライドだった。


 レオンの目から、温度が消える。


「……なぜお前が出る」


『説明している時間が惜しい。エリックもここにいる』


 背後で、かすかにエリックの声がした。


『レオン、落ち着いて聞け。レナがいない』


 その一言で、部屋の空気が変わった。


『レナの魔力反応が遮断された。場所はまだ確定じゃない。ただ、リゼの館に繋がる痕跡がある』


「リゼ……」


 声に、感情はなかった。


『最低限、伝える。正確な場所を割るまで――』


 通信石の声が途切れる。レオンは、最後まで聞いていなかった。


 部屋を出る足取りは、静かだった。走らない。焦らない。ただ、その目だけが、もう人間のものではなくなっていた。


 寮の出口で、一度だけ足を止める。首元に手をやると、レナから贈られた赤魔石のネックレスが、指先に冷たく触れた。


 目を閉じたのは、一瞬だった。


(……待ってろ)


 扉を開けると、夜の空気が頬を刺した。


 夜の街を、レオンは歩いていた。


 呼吸は乱れず、鼓動も異様なほど一定だった。

 街灯が石畳を淡く染め、酒場から漏れる笑い声が遠くで弾けている。

 日常の匂い、人の営み。

 そのすべてが、薄い膜を一枚隔てた向こう側にあるように感じられた。


 同じ世界にいるはずなのに、自分だけが、別の場所を歩いている。


 頭の奥に、最後に見たレナの顔が浮かぶ。

 蒼白で、不安を隠しきれず、それでも誰かを巻き込むまいと微笑っていた、あの表情。


 思考が、鋭く研ぎ澄まされていく。


 怒りは、もう燃えていなかった。激情の段階は、とうに過ぎている。校舎裏で男子の手首を握り潰そうとした時にも、あの夜、廃倉庫で「処理」をした時にも、まだ怒りがあった。燃えるものがあった。


 今は、ない。


 代わりにあるのは、氷のように冷え切った殺意だけだった。

 感情を削ぎ落とした分だけ、判断は正確になり、そして残酷になる。

 殺すべき者、排除すべき敵、奪い返すべきもの。

 それらが、迷いなく分類されていった。


 それが、今のレオンの秩序だった。


 ふいに、幼い頃の記憶が掠めた。

 屋敷の暗い廊下で見た、兄の背中。


 イリア・ヴァレンティア。


 あの人は、いつもこうだった。何も持たず、何にも揺れず、ただ正確に壊していく。幼いレオンは、それを見て恐怖した。あれにだけは、なりたくないと思った。あの空洞にだけは。


(……兄さんに、似てきたな)


 その自覚は、嫌悪でも恐怖でもなく、ただの事実として浮かんだ。


 通信石が、再び震える。


 レオンは足を止めなかった。石畳はいつしか土の道に変わり、家々の灯りは背後へ遠ざかっている。


 通信石を取り出すと、淡い光が指の間に滲んだ。今度も、発信元はエリックだった。だが、声はやはりオルフェのものだ。


『場所は、君のよく知っている場所だ。リゼの屋敷。』


 レオンは答えない。


『ただし、正面から入るな。外周に人がいる。結界も張られてる。今、俺たちも――』


 通信石の向こうで、エリックが何か叫んだ気配がした。


『待て、レオン。単独で入るな。リゼは君の反応を――』


「余計なことを」


 通信石を無造作に地面へ叩きつける。

 乾いた音がして、欠片が散った。

 今のレオンにとって、あの声はただの雑音でしかない。


 古い煉瓦塀の続く坂を、レオンは下りていく。

 賑わいから一本入っただけで、街はこんなにも静かになる。


 この道を、レオンは知っていた。

 幾度も、仕事でリゼの館を訪れた。

 あの女から情報を買い、あるいは始末を請け負った。

 勝手知ったる道のりのはずだった。


 なのに今は、同じ風景が、まるで別の世界に見える。


 やがて、通りの先に黒い鉄門が見えた。

 蔦に半ば覆われた門扉。

 その奥に、古びた洋館が静かに佇んでいる。


 レオンは、無言でそれを見上げる。


 あの中に、レナがいる。それだけでよかった。必要なのは、ただ一つ。奪い返すこと。


 ざわ、と風が動いた。


 夜を裂くように、重く冷たい気配が広がっていく。それは人ひとりが放つにはあまりに異常で、理性や感情といった枠を、とうに踏み越えた殺意だった。



 ***



 ◆館外警備の男


 館の外周を巡回していた男達の一人が、異変を察し、顔を上げる。


「……ん? 誰か、いるか?」


 返事はない。

 隣の男も、同じものを感じ取ったのだろう。

 手にした灯りが、わずかに揺れていた。


「違う、これは……ッ!」


 言葉が形になる前に、理解だけが先に追いつく。


 人間の気配ではない。


 獣だ。


 そう思った。


 だが、すぐに違うと悟る。


 獣なら、こんなに静かに殺意を整えない。


 次の瞬間、闇が踏み出した。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。