第7話 炎の記憶
◆ Sクラス棟・最上階
銀の装飾が施された厚い扉が、静かに軋んだ。
カリグレア魔術学院、Sクラス専用棟──最上階。
床には光が反射し、整然と並ぶ机。
「Sクラスもどうなるんだろうなあ、あんな化け物二人いて」
ジークがボソリと言う。
話題はこの前の模擬戦の二人。
レオン・ヴァレント。
オルフェ・クライド。
「レオンは、とっとと帰ったみたいだな」
ジークが空席を見やる。
「Eクラスにでも行ったんでしょ」
マリアンが軽く言った。
「は? Eクラス?」
ジークが眉をひそめる。
「なんでまたそんな最下層に」
「知らないの? よく行ってるみたいよ。女の子に会いに」
一瞬、空気が止まった。
「……はぁ?」
ジークが間抜けな声を出す。
誰もすぐには笑えなかった。
Sクラスの者が、Eクラスの人間と関わる。
それはこの学院では、“下賎に堕ちる”に等しい。
「Eクラスって、今、元Sクラスのエリックもいるんだろ?」
ジークが呟く。
「どうなってんだよ、あのクラス……」
「さあね」
マリアンの唇が笑った。
だがその目は笑っていなかった。
***
放課後のEクラス棟は、夕陽が差し込んでいた。
レオンは無言で歩いていた。
教室の外から中を覗くと、レナが帰り支度をしているのが見えた。
小柄な背中が、机の上の荷物をまとめている。
視線に気づいたのか、レナがぱっと顔を上げた。
そして、あからさまに焦った様子でカバンを掴み、
椅子をぶつけそうになりながら駆け寄ってくる。
「SクラスがEクラスに来たら……目立つってば。
だから言ったのに、門の前で待っててって……」
レオンは、わずかに眉を動かしただけだった。
「俺がどこにいようと、誰にも関係ないだろ」
「あるの! もう……ほんとに……」
レナが半ば呆れ、半ば困ったように溜息をつく。
その時、教室の奥から陽気な声が飛んできた。
「おーい、レナ! 放課後、みんなでカードゲームやろうぜー! 今日、新作持ってきたんだ!」
声の主──エリック・ハーヴィルが顔を出す。
その笑顔が、一瞬で固まった。
廊下のレオンと目が合う。
空気が凍る。
レオンの視線が、無音のままエリックを射抜いた。
青の瞳が冷たく光り、殺気とも取れる圧が廊下を満たす。
ほんの数秒、それだけで誰も動けなかった。
「……ご、ごめん。今日は無理かも」
レナが慌てて答える。
エリックは苦笑いを浮かべながらも、レオンから目を逸らさずに言った。
「……わかった。また誘うよ」
その声には、明らかに“牽制”が混じっていた。
レオンは一言も返さず、レナの手を取った。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って、まだ……」
レナの言葉は途中で掻き消えた。
二つの影が、廊下の向こうへと消えていった。
***
◆ 学院外・夕暮れの通り
学院の近くの魔術専門用品店。
店頭のワゴンには古い魔術書が乱雑に積み重なっていた。
「ちょっと寄っていっていい?」
レナがそう言ってレオンは頷き、二人は店内に入る。
棚にはずらりと魔術書が並んでいた。
魔術補助の道具が所狭しと置かれている。
「白魔石どこかなー? 授業で使うんだよね。……ん?」
レナはふと、ガラスケースに入っているほんの欠片ほどの赤魔石を見た。
それは鮮やかな赤色で、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。
「あれは……」
レナの表情が一気に曇っていく。
その時、店員がレナに気づく。
ガラスケースの下にある価格を見て、驚いているのだと店員は思ったようだった。
「いらっしゃいませ〜。あっ、値段に驚きました?
赤魔石は貴重ですからね〜。この赤魔石は光り方からして新しい物だと思いますよお〜」
店員が説明を始めて、レナは動揺しながら俯く。
「これさえあれば詠唱不要、誰でも高位魔術を撃てる。……いや、まあ、表向きは“合法流通品”ってことになってますけど。需要があるんですよ、戦争だの儀式だの、趣味の悪い 用途までねえ」
言い終えてから、店員は自分の口に気づいたように笑って誤魔化した。
「あはは、失礼! 冗談です冗談!」
その様子をレオンは横目で見ていた。
「レナ、早く買い物をすませて外に出よう」
促されて、レナは白魔石を買うとすぐに店を出た。
***
◆ 学院外・通り/夕暮れの風
ふたりは並んで歩いていた。
穏やかな風が吹いていたが、どこか焦げたような匂いが鼻を刺す。
「……ん?」
レオンが顔を上げる。
遠くの通りの向こう、黒い煙が空へ昇っていた。
炎が家屋の壁を舐め、ぱちぱちと乾いた音を立てている。
風が熱を運び、肌を灼く。
その瞬間、レナの足が止まった。
「……っ」
肩が微かに震えていた。
唇を噛みしめ、視線が炎に釘づけになる。
「どうした?」
レオンの声に、レナはかすかに首を振る。
だが、震えは止まらなかった。
「ご、ごめん……。昔を思い出して……」
「昔?」
レナの声が掠れる。
その目には、もう今の炎ではなく、遠い過去が映っていた。
「……昔、村にいたんだけどね。ある日、皆、殺された。家も、村も……全部、燃やされた。アロイス家の刺客に襲われて……だから……炎を見ると、怖いの」
レナは俯き、拳を胸の前で握りしめる。
レオンは立ち尽くしていた。
表情は変わらない。
(知ってる。村を焼いたのも、お前の母を殺したのも──)
ただ、黙って立っているしかなかった。
炎の光が、レナの頬を照らす。
その震えを見た瞬間、レオンは無意識に手を伸ばしていた。
「レナ。……もう、思い出さなくていい」
レオンはその手を握った。
レナが何かを言いかけたが、レオンは強く引き寄せる。
火の粉が散る道を離れ、暗い路地へと足早に歩いた。
背後ではまだ、炎の音が聞こえていた。
***
◆ 寮・レナの部屋/深夜 ― レナ視点
レナは寮の部屋に戻った。
夜は静かだったが、胸の奥はずっとざわついていた。
その夜、悪夢を見た。
炎の中、逃げても逃げても、誰かの足音が背後から近づいてくる夢。
息ができないほどの熱気と、焦げた匂い。
──あの火事を見たせいだろうか。
記憶の底に沈めていた映像が、ひび割れたガラスのように蘇ってくる。
(私は、いつまで“日常”を過ごせるんだろう……)
森での暴走を思い出した。
ただの“魔物痕跡調査”のバイトのはずだった。
血の匂いで魔竜が目覚めるなんて、誰が想像しただろう。
──レオンに助けられなければ、今ごろ国の調査団に捕まっていた。何をされていたか考えるだけで、背筋に冷たいものが走る。
「……お母さん」
小さく呟いて、机の引き出しを開けた。
そこには、古い木の箱。
蓋に指をかけると、かすかな音と共に開いた。
中には、赤い宝石のネックレスが二つ。
母が生きていた頃、母が自分の血で作ったもの。
そして隣には、母とレナが一緒に仕上げた赤い魔石のペンダント。
「私は……いつまで生きていられるのかな」
そのペンダントを手に取り、胸に当てた。
冷たい石の中で、かすかに何かが脈打つような気がした。




