第3話 放課後の誘い
銀の装飾が施された厚い扉が、静かに軋んだ。
カリグレア魔術学院、Sクラス専用棟──最上階。
床には光が反射し、整然と並ぶ机。
その静けさの中で、誰かが舌打ちした。
「なーにやってんだよ、ノア。見学中に暴発とか、マジで勘弁してくれよ」
商家の御曹司、キース・ローゼンベルクが悪態をつく。
対面で座るノアは顔を伏せ、机の木目を見つめていた。
指先が微かに震えている。
「やめてやれよ」
隣で腕を組んだジーク・ヴァルフォアが低く言う。
「お前だって、暴発しかけたことあるだろ」
「……しかけただけで、したわけじゃない」
教室の隅の少女がそのやり取りを見ていた。
マリアン・アロイス。黒髪の少女が頬杖をつき、窓の外に視線をやる。
「なーんか、見たことあるのよね。あの男。どこでだったかしら……従兄さまに聞いたほうがいいわね」
誰も返さない。
ただ、全員が同じ“あの男”を思い浮かべていた。
レオン・ヴァレント。
詠唱なしで魔術を切り裂いた新入り。
──“機械より冷たい人間”。
「レオンは、とっとと帰ったみたいだな」
エルマーが空席を見やる。椅子の背には外套が掛けられたままだ。
「Eクラスにでも行ったんでしょ」
マリアンが軽く言った。
「は? Eクラス?」
ジークが眉をひそめる。
「なんでまたそんな最下層に」
「知らないの? よく行ってるみたいよ。女の子に会いに」
一瞬、空気が止まった。
「……はぁ?」
キースが間抜けな声を出す。
誰もすぐには笑えなかった。
Sクラスの者が、Eクラスの人間と関わる。
それはこの学院では、“下賎に堕ちる”に等しい。
「Eクラスって、今、元Sクラスのエリックもいるんだろ?」
ジークが呟く。
「どうなってんだよ、あのクラス……」
「さあね」
マリアンの唇が笑った。
だがその目は笑っていなかった。
***
放課後のEクラス棟は、夕陽が差し込んでいた。
レオンは無言で歩いていた。
教室の外から中を覗くと、レナが帰り支度をしているのが見えた。
小柄な背中が、机の上の荷物をまとめている。
視線に気づいたのか、レナがぱっと顔を上げた。
そして、あからさまに焦った様子でカバンを掴み、
椅子をぶつけそうになりながら駆け寄ってくる。
「SクラスがEクラスに来たら……目立つってば。 だから言ったのに、門の前で待っててって……」
レオンは、わずかに眉を動かしただけだった。
「俺がどこにいようと、誰にも関係ないだろ」
「あるの! もう……ほんとに……」
レナが半ば呆れ、半ば困ったように溜息をつく。
その時、教室の奥から陽気な声が飛んできた。
「おーい、レナ! 放課後、みんなでカードゲームやろうぜー! 今日、新作持ってきたんだ!」
声の主──エリック・ハーヴィルが顔を出す。
その笑顔が、一瞬で固まった。
廊下のレオンと目が合う。
空気が凍る。
レオンの視線が、無音のままエリックを射抜いた。
青の瞳が冷たく光り、殺気とも取れる圧が廊下を満たす。
ほんの数秒、それだけで誰も動けなかった。
「……ご、ごめん。今日は無理かも」
レナが慌てて答える。
エリックは苦笑いを浮かべながらも、レオンから目を逸らさずに言った。
「……わかった。また誘うよ」
その声には、明らかに“牽制”が混じっていた。
レオンは一言も返さず、レナの手を取った。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って、まだ……」
レナの言葉は途中で掻き消えた。
二つの影が、廊下の向こうへと消えていった。
***
学院の近くの魔術専門用品店。店頭のワゴンには古い魔術書が乱雑に積み重なっていた。
「ちょっと寄っていっていい?」
レナがそう言ってレオンは頷き、二人は店内に入る。
棚にはずらりと魔術書が並んでいた。魔術補助の道具が所狭しと置かれている。
「白魔石どこかなー?授業で使うんだよね。……ん?」
レナはふと、ガラスケースに入っているほんの欠片ほどの赤魔石を見た。それは鮮やかな赤色で、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。
「あれは……」
レナの表情が一気に曇っていく。その時、店員がレナに気づく。ガラスケースの下にある価格を見て、驚いているのだと店員は思ったようだった。
「いらっしゃいませ〜。あっ、値段に驚きました?赤魔石は貴重ですからね〜。この赤魔石は光り方からして新しい物だと思いますよお〜」
店員が説明を始めて、レナは動揺しながら俯く。
「これさえあれば詠唱不要、誰でも高位魔術を撃てる。ファウレス家の血に感謝ですねえ、命を代償に強力な兵器になってくれるんですから〜」
その様子をレオンは横目で見ていた。
「レナ、早く買い物をすませて外に出よう」
促されて、レナは白魔石を買うとすぐに店を出た。
「ご、ごめんね。私、すごく動揺してるよね。赤魔石が売られることは頭では分かってたんだけど……。あの輝き方からして……時期的にお母さん、じゃないかなって……。」
「別にいいよ。あの赤魔石、どうしたい? 手に入れたいのか?」
「そ、そういう訳じゃない。きっと集めることは不可能だから。ただ、見るのが辛いだけだよ。自分の未来を突きつけられてるように思えるから」
「自分を重ねるなよ。あんな未来にはならない。俺がさせない」
レオンは静かに手を伸ばし、指先で彼女の髪をかすめた。
魔術用品店を出てレナは俯いて黙って歩く。
「レナ。この辺りに、美味いカフェがあるんだ。……よかったら行かないか」
レオンの声は、少しだけ優しかった。
それが、逆に怖いほどに。
「そ、そうだね。行きたいな」
彼の歩調に合わせながら、レナは思った。
──この穏やかさが、永遠に続けばいいのに。
けれど世界は、そんな願いを残酷に壊してしまうことも分かっていた。