第25話 名もなき揺りかご
◆学院上層部(群像)視点/会議室
石造りの会議室に、重い沈黙が落ちていた。
机上の報告書は乱れ、ランプの小さな炎だけが紙面を照らしている。
「……あの少年が動けば、マンティコア程度なら抑え込めたはずだ」
年配の教官が歯噛みする。
「だが通達以来、レオン・ヴァレントからの反応は一切ない。
学院のために剣を振るう気は、もう失せたのだろう」
「当然だろう。“規律違反者”扱いされたのだからな」
別の幹部が吐き捨てるように言った。
「皮肉な話だ……守った者が罰せられ、罰した者が助けを乞うことになるとは」
軍部からの連絡が机を震わせた。
「……軍では抑えきれません。次は中央区が危険だと」
王都からの圧力。失墜する学院の威信。
いまや「街」を守れる者は一人だけだった。
「レオンに頭を下げても遅い。切られた後だ」
押し殺した声が重なり、再び沈黙。
その静寂を破ったのは最年長の理事だった。
「……ならば、呼ぶしかあるまい」
視線が一斉に上がる。
誰もが理解していた──その名を。
忌避され、監視され、
それでもなお規格外の戦力。
オルフェ・クライド
「禁忌の魔術師」
学院最後の切り札。
***
◆学院側(使者)視点/研究棟最奥
間もなく、学院の研究棟の最奥。
扉を叩く音が冷えた空気に響いた。
「……オルフェ・クライド。頼みたい」
教師の一人が言葉を絞り出す。
中にいた青年は、白衣の裾を翻しながら顔を上げた。
「頼む?」
紫の瞳が細められる。
微笑は浮かんでいたが、その気配は鋭利な刃のように張りつめていた。
「君の結界術、禁術の知識……いま学院に必要なのは、それだ。軍も、我々も……もはや防ぎ切れない」
「……つまり」
オルフェは静かに言葉をなぞった。
「君たちでは無理だったから、俺にやらせると。随分と勝手のいい話だ。俺が犯人だと噂されていたのに、君たちは名誉のために黙殺した。“元学院生”の名を、公表しなかった。」
教師の顔に羞恥と悔恨が入り混じる。
それでも、背に腹は代えられなかった。
「……すまない。だが、今はそんなことを言っている余裕がない。頼む」
沈黙とともにオルフェは視線を外し、机に置かれた封印式のペンダントへと手を伸ばした。
「──いいだろう。君たちのためじゃない。俺はただ、“確かめたい”だけだ」
***
◆オルフェ視点/夜の研究室
夜の研究室。
魔力灯の淡い光だけが灯る静寂の中、
ガラス器具と魔術図の並ぶ机の前で、オルフェ・クライドはひとり立っていた。
窓の外には月も星もない。
ただ、研究室の奥で微かに震える封印式ペンダントの揺らぎだけが、静かな呼吸のように存在していた。
(──いつからだろう)
禁術を始めようと思ったのは。
命に触れ、魂に干渉することに、何のためらいも持たなくなったのは。
カリグレア学院に入学するまで、
ずっと“孤児”と呼ばれて生きてきた。
(生まれたときから、母はいなかった)
孤児院の前に捨てられていた。
封印式の魔術が刻まれたペンダントと、薄くほつれたタオルに包まれて。
「あなたは拾われたのよ」
「お母さん? きっともう亡くなってるわね」
先生たちはそう言った。優しい嘘だと思った。
信じたくなかった。
だから、調べた。
魔術文献を読み漁り、街の記録を漁り、医術と封印魔術に没頭した。
何年も、何年もかけて。
辿り着いた答えは──
「本当に、もう死んでいた」
(……遅かった)
それを知ったとき、胸の奥で何かが静かに崩れた。
絶望というにはあまりに乾いていて、涙も出なかった。
ただ、その日から確かに、オルフェは“生者の領域”に未練をなくした。
母に会って、話してみたかった。
この手で触れてみたかった。
「なぜ捨てたのか」と、「名前を呼んでほしかった」。
けれどそれは、生きている限り叶わない。
だから、始めた。
死者蘇生の研究を。
「ネクロマンサー」──そう呼ばれることもあった。
だが、オルフェ自身はそれとは違うと思っていた。
ただ、“会ってみたかった”。
それだけだった。
魂の呼び戻し。
器の再構築。
魔力中枢の複写。
どれも理論上は完成に近づいたが、肝心の“命”だけが戻らなかった。
幾度も禁術を試みた。
人間を使ったこともあった。
生きた素材を“器”に変える試みも、何度も。
模造の魂なら、作れるようになった。
だが、“本物”ではなかった。
所詮は記録に近い。残響に過ぎない。
(偽物はいらない。俺が欲しいのは、唯一の、たったひとつの……“本物”)
そして、行き着いた。
ファウレスの血。
レナの血に流れる、あの異常な魔力の構造。
命と魔力の接点を越える純度。
通常の魔術とは異なる、根源的な“魔の因子”。
(あの血なら、母の魂をつなぎとめる“核”になれる)
その思考は、もはや狂気の域に近かった。
だが、オルフェにとってはこれまでで一番、正しい計算だった。
「……レナ」
誰にも届かない声が、実験室の壁に溶けて消える。
「君は、俺に“理解”させてくれるだけでいいんだ」
視線が、封印式ペンダントに落ちる。
脈動するその中心には、彼が今も持ち続ける唯一の“接点”があった。
母と魔術と、彼自身の原点すべてが今、レナに向かって収束しようとしていた。




