第21話 模造された赤魔石
◆レオン視点
それは、そこにあってはならないものだった。
レオンがキメラの胸部へ目を向ける。裂かれた肉の奥、骨と臓腑の狭間。本来なら生命の鼓動があるべき場所に、赤く濁った魔石が押し込められていた。
「……赤魔石……?」
呟いた声に、珍しく戸惑いが混じった。
(ありえない。こんなもので動いていたなんて。それにこのキメラには人間が使われている)
レオンは剣先でそれを軽く突いた。触れた刃へ、びり、と鈍く濁った魔力が逆流してくる。
確かに魔石だった。だが、これは──。
(淀んでいる……魔力が死臭を放ってる)
本物の赤魔石が持つ透明な輝きはどこにもない。内部の魔素はどろりと濁り、怨念の塊のようだった。
「……気持ちが悪いな」
吐き捨てるように呟き、レオンは靴の踵で模造赤魔石を踏み砕いた。
パリン、と乾いた音がして、濁った光が一瞬だけ弾け、そのまま闇に吸い込まれるように消えた。
不意に、場違いな拍手が響く。パチン、パチン、とゆっくり手を叩く音。
「わあ、すっごいね君! ほんと、あれ倒しちゃうなんてさぁ!」
軽い調子の声が、無遠慮に割り込んできた。
レオンが顔を上げると、公園の柵の上に、ラフな格好をした青年が笑顔のまま足をぶらつかせて座っていた。
絹でも麻でもない異国の織物。毒々しい幾何学模様のシャツに、ほつれた藍染めの厚布のズボン。この国では誰もが二度見するほど場違いな装いだった。
だが、顔立ちは妙に整っている。切れ長の一重に通った鼻筋、笑みを浮かべる口元。そのちぐはぐさが、目を離しづらい不快な魅力を放っていた。
「……誰だ」
レオンが問うと、青年は肩をすくめて笑った。
「俺? ああ、名乗った方がいい? ……ま、いいか」
ひらひらと手を振り、旧友にでも挨拶するように言う。
「ザイラス・カイゼル。よろしく」
声は明るいのに、目だけは笑っていない。
「今のアレさ、俺が作ったんだ。でもさ、やっぱ失敗だね〜。自我が邪魔でさ〜、すぐ暴走しちゃう。扱いづらいよね」
言葉の端々に、罪悪感の影は欠片もなかった。ペットが檻を壊して逃げ出した程度の軽さで話している。
「君さ、すげえじゃん。びっくりしちゃった。あ、そうだ。赤魔石も見たんだっけ? まあ、濁っちゃってハズレだったけど。三人分まとめて小さくしたし、コスパはいいんだよ?」
ザイラスは人差し指と中指、薬指を立てて、ひょいと掲げる。
「圧縮率いいでしょ? 特殊な血なんて要らないんだよ」
レオンの表情が消えた。
(……こいつは、壊していい)
ザイラスはそれすら楽しそうに見守り、にやりと笑う。
「うわ〜、怖っ。そういう顔、いいね。そんな君に……こっちはどうかな?」
無邪気な笑みと共に、ザイラスが指を鳴らした。公園の奥から、重い地響きが近づいてくる。
夕闇の向こうから現れたのは、一頭の異形──マンティコアだった。
獅子のように逞しい胴体の背には、蝙蝠に似た巨大な翼。蠍そのものの太い尾が蠢き、先端では黒く輝く毒針が揺れている。真紅に濁った目は凶暴な光を放ち、泡混じりの唸り声を漏らす口から、鋭い牙が剥き出しになっていた。
***
◆レナ視点
「っ……なに、あれ……」
レオンが背後を振り返る。
レナは思わず一歩後退していた。伝説に語られる怪物を前にして、身体が本能的に拒絶している。
それでもレオンは微動だにしなかった。金髪が風に揺れ、碧眼は冷え切ったままだ。
「伝説級の魔物……いや、出来損ないの偽物だな」
公園にいた人々は、すでに悲鳴すら上げられなくなっていた。
レオンは剣を構え、そのまま前へ出た。その歩みには恐怖も迷いもなく、何の感情も持たない処刑人のようだった。
マンティコアが唸りを上げ、翼を広げる。巻き起こった風で石畳が抉れ、次の瞬間には地面を蹴ってレオンへ突進した。
「ッ!」
レオンが刃を弾き上げ、真正面から牙を受け止める。金属と肉がぶつかる轟音が響いた。
レオンは表情一つ変えず、剣を滑らせて喉元へ斬り込もうとする。だが横から蠍の尾が襲いかかり、毒針が空を裂いて頬すれすれを通過した。
彼は即座に身を翻すと、尾の軌道をいなしながら剣を叩き込む。
刃は深く通らなかった。硬質な鱗が、防壁のように斬撃を受け止めている。
「硬いな……この構造、自然じゃない。補強されてる……」
冷静に分析する間にも、マンティコアは地を蹴り、羽ばたき、牙と爪を振るって暴れ狂う。
木々がなぎ倒され、噴水が砕けた。水飛沫と石畳の破片が入り混じり、広場へ降り注ぐ。
その中で、マンティコアの赤い眼がレナを捉えた。
「……え?」
気づいたときには、獣が方向を変えていた。一直線に、レナへ向かってくる。
目を閉じかけたとき、黒い衝撃波のような斬撃が空気を裂き、獣の進路を断ち切った。
レオンが割って入っていた。それまで冷え切っていた碧眼に、初めて明確な感情──殺意が浮かんでいる。
「俺の前で、手ェ出してんじゃねぇよ」
その声と同時に、剣が振り抜かれた。
先ほどまで刃を弾いていた鱗が、今度は音を立てて断ち割られる。
レナには何が変わったのか分からなかった。ただ、レオンから溢れる魔力が、先ほどまでとは明らかに違っている。
レオンが地を蹴った。
剣が唸りを上げ、獣の前脚を叩き斬る。その勢いのまま跳躍し、翼の根元を斬り裂くと、さらに蠍の尾を掴んで捻り潰した。
断末魔の悲鳴が、公園中に響き渡る。
マンティコアは地面を這うように後退した。背中から黒い血を噴き出し、四肢を震わせながら、今度はレオンを恐れるように見つめている。
「うへえ、あいつ強すぎるじゃん。……やっば」
柵の上で、ザイラスが口笛を鳴らした。
レオンが追撃しようとした瞬間、マンティコアの身体が光に包まれる。地面を魔力の糸が走り、転移の術式が淡く浮かび上がった。
「学院のSクラスか? 最近のガキは優秀だね。俺がいた頃なんて退屈で死にそうだったのに」
光の中で、ザイラスが片手を振る。
「じゃあね! 次はもっと強いマンティコア作ってくるから! 楽しみにしててねー!」
ふざけたような調子のまま術式が収束し、ザイラスとマンティコアの姿は掻き消えた。
広場に静けさが戻り、風に漂うのは血と焦げたような臭いだった。
目撃者たちは恐怖に顔を強張らせたまま、誰も声を出そうとしない。
レナもまた、その場に立ち尽くしていた。ただ、レオンの背中を見つめることしかできなかった。




