第20話 クレープデート+魔物出現
◆レナ視点
甘い香りが漂うクレープ屋前の小さな丸椅子に並んで腰掛ける。焼きたてのクレープを受け取ったレナは、目を輝かせて口元をほころばせた。
「ん……これ、すごく美味しい……!」
さくっ、もちっ、とした音を立てて頬張るレナの横で、レオンは肩を落とし気味に、しかしどこか安心したような表情でそれを見ていた。
「お前、本当に甘いの好きだな」
「好き。大好き。疲れが飛ぶよ。レオンも……ねえ、ちょっと食べてみる?」
そう言って、レナは自分のクレープを持ち上げる。
「はい、あーん」
笑顔のまま、レオンの方に差し出した。
レオンは明らかに一瞬、固まった。
「……あ?」
「あーん」
レナは悪気など一切ない純粋な瞳で、もう一度言った。レオンは周囲の視線が気になるでもなく、むしろ戸惑いのほうが大きいようだった。
「……お前なあ……」
そう言いながらも、彼はほんのわずかに表情を崩し、結局そのまま小さく口を開いた。レナが差し出したクレープの端を咥え、ゆっくりと咀嚼する。
「……甘いな」
「でしょ? 美味しいよね!」
レナは嬉しそうに頷いた。レオンは小さく息を吐き、それから手元のもう一つのクレープを少しだけレナに差し出した。
「……こっちも食べるか?」
「え、いいの?」
「甘さ控えめだ。お前のはちょっと……味が濃すぎる」
「そう? でもありがと、もらうね」
クレープを受け取ったレナが、またぱくりと口に運ぶ。その頬には、どこまでも素直な幸福の色が滲んでいた。
やがてクレープを食べ終え、二人が店を出る頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。沈む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
レナは青魔石の入った買い物袋を持ち、隣を歩くレオンの横顔をそっと見上げる。いつもより、少しだけ柔らかい表情をしていた。
「……レオン、今日はありがとう。塔からの見晴らし、すごく綺麗だった。それに、クレープも、青魔石も買ってもらって……」
レナが口にすると、彼は視線を向けぬまま答えた。
「別に……礼を言うことじゃない。俺が勝手にやってることだ。青魔石、使い終わったらまた言え。補充するから」
その声はいつも通りのそっけなさだったが、レナには、ほんのわずかに照れてるように聞こえた。
二人は夕暮れの公園の前を通りかかる。通りには、まだ多くの人が行き交っていた。
そのとき、大気を裂く轟音とともに地面が揺れ、空気が震えた。
何かが空から落ちた。
「……え……?」
レナは思わず立ち止まり、振り返る。
公園の花壇と噴水のある広場の中央に、それはいた。
人のような上半身に、猛禽の翼と獣の脚を持つ異形の塊。角と牙がねじれたように生え、全身から紫がかった瘴気をまき散らしている。
複数の生物を無理やり繋ぎ合わせたかのようなキメラが、二体いた。
レナはすぐに新聞記事のことを思い出した。
「……なんで、こんな街中に……?」
呟いた瞬間だった。
「レナ、下がってろ」
その声がしたときには、レオンはすでにレナの前に立っていた。
買い物袋が地面に転がり落ちる。
「っ……!」
レナは息を呑む。
レオンは無言のまま半歩前へ出て、広場とレナの間に自分の身体を滑り込ませる。制服の裾が風に揺れ、金の髪が斜陽を反射した。
右手は剣の柄へ伸び、その顔から感情が消えていた。恐れも迷いも、ためらいさえもなく、まるで最初からそこに立つことが決まっていたかのようだった。
「……作られた魔獣か。魔術式が混じってるが、雑だな」
レオンの低い声が、獣の唸りのように響く。
目の前のキメラがレオンに気づき、唸り声を上げた。
刹那、澄んだ金属音が街の空気を切り裂く。
剣を抜いたレオンは、夕陽の下斜めに伸びた影の中で、その姿はまるで戦場に立つ騎士のようだった。
***
◆目撃者視点
剣が抜かれると同時に、空気が変わった。
レオンの碧眼はどこまでも冷たい。氷の底に沈んだような光には、激情も怒りもなく、ただ排除するための意志だけがあった。
「……そこから動くなよ」
背後のレナに向けたその一言を最後に、レオンはキメラへ向き直った。
次の瞬間、剣閃が走る。
誰も、その動きを見切れなかった。
黒い制服の裾がひるがえった一閃で、最初のキメラの首が落ちる。遅れて巨体が地面へ倒れ、紫の瘴気が噴き出した。
レオンは一歩も退かず、血の飛沫を払いもせず立っている。
「……速すぎる……」
公園の遠くでは、逃げ遅れた数人の市民が口元を押さえて立ち尽くしていた。悲鳴すら喉に詰まっている。
「人間……なのか、あれ……」
ざわめきが走ったが、それも二撃目で凍りついた。
レオンは振り返りもせず、二体目のキメラへ接近していた。
剣を構えるより早く、キメラが鋭い爪を振り下ろす。
だが、その爪が裂いたのは、そこにいたはずの少年の残像だった。
とっくに、レオンはキメラの背後にいた。
地面が赤黒く染まり、突き立てられた剣が背骨ごと内側から肉を引き裂いている。キメラは喉の奥で泡を吹き、震えるように仰け反った。
レオンは光のない目で、淡々とそれを見下ろしていた。まるで虫でも踏み潰すような、無機質な視線だった。
「こんな物が、研究の成果かよ」
その言葉とともに剣を横へ払う。
肉が裂け、骨が砕け、血が霧のように舞った。
広場の中央には、血の霧に包まれたレオンだけが立っている。剣から滴る赤黒い血が、石畳を濡らしていた。
あまりにも静かな光景だった。
そこに立っているのは英雄ではなく、死を当然のものとして受け入れている人間に見えた。
「……やばい……あの男、魔物より……」
「なんだよ、あいつ……人間じゃ……ない……」
立ち止まっていた目撃者たちが、後ずさる。
ふとレオンの碧眼がそちらへ向いた瞬間、彼らは本能的に目を逸らした。
命を助けられたはずなのに、誰もが恐怖を滲ませている。
目を合わせてはいけないと、本能が告げていた。
彼の周囲だけが異質で、まるで彼だけがこの世界に属していないようにさえ見える。
彼は守ったというより、自分にとって不要な危険因子を処理しただけなのかもしれない。
レナが見守る中、レオンは静かに剣を収めた。
血の滴る音だけが、響いていた。




