Fated Oath ─血に抗う者たち─

第1話 Eクラスの少女

二章から読める版（短縮版）をスタートしました。

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　　夜空が──赤く、染まっていた。

　村は、業火に包まれていた。

　崩れ落ちる家々。響き渡る叫び。折れる木々と、泣きじゃくる声。

　鼻を突く、血と煙の匂い。

　空気は熱に焼かれ、地面すら燃え上がる勢いだった。

　そのとき、レナは、まだ十一歳だった。

「このリュックを持って。絶対に、離さないで。レナ」

　母が震える声で言った。

　彼女の手には、レナには少し大きなリュック。

　中には、手紙。書類。緊急の薬やお金。家族の形見、小さな〈赤い魔石〉──そして、レナが大切にしていたネックレスが放り込まれていた。

「お母さんは……？」

「行って。お願い、レナ。あなたは生きて。絶対に、生きて」

　外で、何かが砕ける音がした。

　木が倒れたのか、誰かの悲鳴だったのか。もう、わからなかった。

　レナは、母の手を離した。

　玄関の扉を開けた瞬間、そこに広がったのは──

　燃えさかる夜の村だった。

　そして、家の前に三人の少年たちが立っていた。

　そのうち二人は、深くフードを被って顔が見えなかった。

　ただ一人、眼鏡をかけた少年だけが、無表情でこちらを見つめていた。

　彼らの姿からは、どこか“人間ではない異質さ”が滲み出ていた。

　そのとき──誰かが、レナの手を掴んだ。

「こっちだ！　走れ！」

　レナより三つ年上の少年。ソラトだった。

「ソラト……？」

「迷ってる時間はない！お前も、お前の母ちゃんもあいつらに狙われてる！」

　振り返ると、母が誰かと魔法を撃ち合いだした。

　赤と青の火花が弾け、建物が崩れ、悲鳴が掻き消えた。

　ソラトはレナの手を強く引いて、駆けだした。

　夜風が火の粉を巻き上げ、燃える村がすべてを飲み込んでいく。

　──そして。

　村の外れに、またしても、あの〈フードの少年〉が立っていた。

　剣を持って、魔法を詠唱しかけている。

「くっ……！　行け、レナ！」

「でっ、でも──！」

「ここは俺が引き止める！　絶対に振り向くな、いいな！」

　レナの喉が震えた。泣きたかった。でも、泣いてはいけない気がした。

「行け！」

　ソラトの叫びが、胸に突き刺さる。

　レナは──走った。涙をこぼさず、ただ、走った。

　土を蹴り、石につまずき、それでも前だけを見て、森の中をひたすらに──

　──その時だった。

　家の前にいたはずの、もうひとりのフードの少年が、森の影に立っていた。

　動かない。

　その手には剣。

　魔力の気配が滲み出ていて、今にも攻撃が来ると思った。

（……気づいてない？）

　息を呑み、レナはほんの一瞬で進路を変えた。

　彼を避け、別のルートへと駆けだす。

　背後から、追ってくる気配はなかった。

　ただ、風の音と、遠くに響く爆音だけが、耳に残った。

　やがて、森を抜けた。

　草の生い茂る丘の上。

　振り返ったレナの目に映ったのは──

　燃え盛る、村の光景だった。

　まるで空が裂けたような、真っ赤な炎。

　誰の声も届かない。

　誰の祈りも、意味をなさない夜。

　あの日。

　レナは、すべてを失った。

　母も、家も、日常も。

　そして──愛した村も、そこにいた人々も。

　炎の向こうで、誰かの声が重なった気がした。

　──二度と、戻れない。

　──二度と、あの場所には。

　それが、レナの“始まりの夜”だった。

＊＊＊

　あれから、数年後。

　今度は、森を焼いたのは彼女自身だった。

　その時、大地が裂けた。空が悲鳴を上げるように、揺れた。熱風と衝撃が森を薙ぎ払った。地表はえぐれ、円形に削られた巨大なクレーターが出現した。すべての草木は燃え、石すらも熔けていた。爆心に、ただ一人──少女が立っていた。

その血が、魔力と共に暴発していた。

　あの日、彼女の巨大な魔力反応は、確かに、世界中の“探していた者たち”の網に引っかかっていた。

　ただ、普通に生きたかっただけなのに。

　＊＊＊

　魔術学院、Eクラス。この学校に入学した者が必ず通る最下層のクラス。進級出来ない者もまた、ここにいる。

　廊下で掲示板の張り紙をレナ・ファリスは見ていた。小柄な体に、赤毛の髪と琥珀の瞳。張り紙には、Sクラス特別見学のお知らせと書いてあった。

「またEクラスなんだな」

背後から声がして振り向いた。金髪に青い瞳、整った顔立ちの少年が立っていた。レオン・ヴァレントだった。

「私は魔法苦手だし。戦うのも、向いてないから。せめて卒業までここにいれたらいいよ。レオンは、Sクラスだっけ？すごいね。最高クラスだよ。昔は一緒のクラスだったのに、遠くなっちゃったなあ」

レナは寂しそうに微笑む。

「お前は今のままでいいよ。ああ、そういえば今日の午後、特別見学があるらしいぞ」

「ああ、これだよね。Sクラスの実技が間近で見れるってやつ？」

　掲示板の張り紙を指差す。

「そう。俺も初めてだから知らないが、Sクラスの実戦は危険らしいから。見学も気をつけろよ」

「うん、ありがとう」

　レナが微笑んだ。

「レナ！もうすぐ授業始まるぞー」

　廊下の向こうから明るめの茶髪に緑の瞳の少年がレナを呼ぶ。

「あっ、エリック。もうすぐ行くよ」

　レオンは冷たい瞳でエリックを睨むように見ていた。レナはその視線に気付かず手を振る。

「うん、それじゃあね」

　＊＊＊

　Eクラスの実技室。レナが準備をしていると隣から声をかけられる。

「レオン、Sクラスになったんだってな」

　実技のパートナーであるエリック・ハーヴィルだった。

「うん、試験は簡単に通ったみたいだよ。出席日数は少し足りなかったみたいだけど」

「まあ、あいつならSクラスになれるだろうな。待遇は桁違いだぞ。生活にはまず困らない。実技室は特別仕様だし、教室も……まあ、Eクラスなんかと比べ物にならない」

「さすが元Sクラス」

　レナの素直な感想に、エリックは肩を竦める。

「俺も異例の大出世だったんだけどな。初登校の日、家から手紙が届いたんだ。“うちの子がそんなに出来るはずがない”ってさ」

　思い出し笑いを混ぜた声に、レナは小さく笑った。しかし、エリックはすぐに口元を引き締める。

「……でもな、あのクラスはやっぱり異常な奴も多い。金や待遇じゃ割り切れないわけよ」

「異常な奴？」

「中でも……今は休学中だけど、“オルフェ”は合わなかった。顔は綺麗だし頭も切れる。……けど、性格がな。人を人とも思わない。平気で実験台にするような奴なんだよ」

　そこで彼は言葉を切った。冗談めかした調子は消え、声の奥に微かに嫌悪が滲んでいた。

「ねっ、何話してるの？」

　新たにEクラスにやってきた、長い髪を後ろに一括りにした少女がレナに声をかけてきた。

「あ、サラさん……」

レナが言いかける。

「サラでいいってばー！私堅苦しいの好きじゃないし！お昼からSクラスの特別見学があるんだって？レオンがいるんだよね。楽しみだなー」

　サラの明るい声が響く。

「楽しみ？そんなもんじゃないぞ。Sクラスの実技って。毎年見学中に一人二人事故で怪我したり下手すると死ぬようなやつだし」

　エリックは呆れるような声を出す。

「は……？そんな怖いこと言わないでよ」

　サラは背中に寒気を感じた。

「大丈夫だよ。今までも見たことあるけど、本当に稀だし先生が助けてくれるから」

　レナが元気づけると、サラはホッとしたようだった。

　＊＊＊

　午後から始まった、Sクラス専用実技場での特別見学。

　レオンが実技場に行くと、Eクラスの生徒はもう後方に集まっていた。実技場は淡く揺らめく光の膜が覆ってある。多層結界という特殊な術式は観客の安全を守るためのものだった。

　その透明な壁の向こう、Eクラスの生徒たちがいた。ざわめきの中に、レナの赤毛がちらりと揺れる。レオンは視線だけでそれを確かめると、歩く。結界の内側、訓練用の石畳を踏みしめる音が、静かに響いた。

　黒い制服のSクラス生がすでに並んでいる。Sクラス在籍はレオンを入れて七名。今は一人が休学中で、実際にいるのは六名だった。

「おい、お前、遅いぞ。新人」

　低く響いた声に、レオンは目線だけを上げた。

　ジーク・ヴァルフォアは軍人一家生まれ。硬い声を出し腕を組んでいた。まるで訓練前の兵士のようにレオンを見据えている。

「時間通りだ。秒単位で言うなら、まだ授業開始前だ」

　レオンは小さく息を吐くと、事実を淡々と述べる。

　そのとき、鐘が鳴った。

　漆黒の外套を纏った教師──Sクラス担当の監督官が、中央に立つと説明を始めた。

「これより、Sクラス実技訓練を開始する。

　今日はEクラスの特別見学日だ。基本的な攻防訓練をする。下位階級の者たちに、“格”というものを見せてやれ」

　観客席がざわつく。Eクラスの生徒たちが、期待と不安の入り混じった視線を投げていた。レナの後ろに座っているサラがこっそりと話しかける。

　「なんか、思ってたより空気が違うんですけど。レオン、立ってるだけなのに怖いし」

「そうだね。これが、Sクラス……」

レナは結界越しに見える金髪の少年を見ていた。彼の立ち姿は静かすぎた。感情を押し殺して、全ての物事を冷静に測っている。冷たいはずなのに、その内面には熱のようなものを感じた。

「さて、組み合わせを発表する」

　教師が名簿を掲げ、名を読み上げていく。

「ジーク・ヴァルフォア、エルマー・リーベルト。

　レオン・ヴァレント、ノア・シュタルク──」

　名前を呼ばれて、レオンとノアは規定の位置に着いた。

「“例の新入り”くんか。前の実技では手加減を知らず、教官の防壁を破ったって噂だね」

「覚えてないな」

　レオンは淡々と返答する。

「ふふ。いいね。君とは、退屈しなさそうだ。それじゃ、始めようか」

空気が軋み、結界がわずかに震えた。

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