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プロローグ

 



 放課後の教室で一人、机に突っ伏していた。


「んっ」


 丸まっていた背筋を伸ばし、頭の後ろで右腕を左手でつかみながら右手を天井に伸ばした。立ち上がり、教室の窓を開けた。そして、先程と同じように机の上に両腕を置き、顔を伏せた。


 開けた窓の外からは、部活動に勤しむ生徒の声が聞こえてくる。風が頬を撫でる感触が心地よい。

 静かな空間も好きだが、少しぐらい周りから音が聞こえていた方が落ち着く。かといって、誰かに見られていたり同じ空間にいるのは嫌なので、誰もいなくなった放課後の教室は一人の時間を過ごすのにとても気に入っている。


 放課後の教室で一人、目を瞑ってからすぐに眠りに入った。




 空木柊は高校一年生だ。これと言った趣味もなく、特徴のないごく普通の…もしかしたら何もないのは普通ではないのかもしれない。


 クラスでは人畜無害な男子高校生として過ごしているつもりだ。もちろん、誰かに無害かどうかなんて聞いたことはないので勝手に自分が思っているだけだ。ただ、いつも空気として生きることで何かに干渉しないようにしているので、無害だと信じている。信じたい。

 そのため、日常生活で誰かと交流することというのは少ない。義務以外での会話というのは多分ない。


 自分から誰かに話しかけることなんてもっとない。

 誰かに話したいことはないし、人と話すのは好きではない。…それ以前に話す能力がない。上手く話せないから話すのが好きではないというのも理由の一つだと思う。だからか、無自覚に人とのコミュニケーションを避けているきらいがあるとも自覚している。


 しかし、独りが好きだから、話したいことがないから人との交流を完全に絶つことは出来ない。最低限のコミュニケーション能力は生きていく上で必要なことはわかっている。それでも、それ以上に人と関わりたくない理由がある。まだ数年しか生きてないが、思うことがあった。


 いつも周りから聞こえてくる会話。

 空気を読むだけの会話。次に何て言うかなんて容易に想像ができる。誰も本当のことは言わない。かといって面白い話が出来るわけでもない。全員が同じ方向に同じように流れる、流されるだけ。中身なんてものは最初からない。


「自分の意見を表に出せ」「他人に流されるな」「人の気持ちをお前の価値観で推し量ろうとするな」

 思うことも、言いたいことも、山ほどある。


 まあ、そんなこと口が裂けても言えないけど

 言ってしまったら今度は冷遇されて独りになる…あれ?おかしいな、あんまり状況変わってないな


 …だから嫌いだ。人と話すのも、あれだけ罵った人間と自分は同じなんだと直面させられるこの状況も。結局、自分じゃ何も変えられないのだと思い、逃げる自分が。


 でも、例外も存在する。




 意識がぼんやりと戻り始め、両腕からほんの少し顔を離したところで固まった。


「起きた?」


 右隣から、よく聞きなれた女性の声が聞こえた。


 ぼんやりしていた意識が段々と覚醒し始める。閉じたままの目から感じる光が眩しく、もう一度机に顔を伏せ、そのまま横を向いた。


 目を開けた先にある隣の席には、雨間夢が座っていた。彼女もまた、横をむいてこちらを覗き込むように僕を見ていた。




 雨間夢は、クラスメイトの一人だ。黒色の髪は肩の下まで伸び、前髪は目の上で切り揃えられている。瞳は深い黒で、まつげは長いように見える。身長は自分とあまり変わらない。制服は標準通りで乱れがない。そして、顔つきはとても整っている。


 彼女は、人当たりが良く、成績優秀で、生徒にはもちろん教師にも好印象を持たれている。クラスでも信頼されている人間だ。群がられているとまでは言わないが、誰かに話しかけられていたり、頼られているのをよく見る。「典型的な優等生」の型がしっくりと当てはまる、そんな人間だ。


 しかし、本人はそれをあまり良い風には思っていないように見える。話しかけられたり頼られたりするのを迷惑そうにしているような気がする。もちろん、露骨に態度に表してるという事はなさそうが。

 それに、彼女の対人関係にはどこか距離があるように感じる。近づいても一歩下がられて、距離は一切縮まらない。むしろ離れていく一方。表に拒絶が出ないから、勘違いして近づこうとすると更に距離が遠くなっていく。だから、彼女の内側に入れる人を見たことがない。


 対人関係に距離があっても僕のような人間とはわけが違う。人から好かれて人を避けながら生きるなんて理解しようとしても出来ない。それは相手に対して僭越だ。

 だから、僕が雨間夢のような人間になることも、なりたいと思うことも、恐らく一生ないだろう。それ以前に理解することも、理解することを許されることもないだろう。


 しかし、彼女は僕と正反対な立ち位置の存在であると同時に、僕がまともに会話をすることが出来る唯一のクラスメイト…いや、関わることを自分自身の意思で決めた「例外」でもある。(話しかけられるとは言っていない)

 そう、別に僕はまともに会話が出来ないわけではないこともない。関わりたいと思わないだけだ。

 その影響で人と話すときに口ごもったり、言葉が考えられなかったり、目を見て話せなかったり、会話がすぐに終わってしまうだけだ。だから、決して人とは会話が出来ないなんていうことはないと思っている。


 それはともかく、彼女の会話は他の人と話すのとは何かが違った。何を考えているのかが、何を意味しているのかが、肚の中が読めないからこそ面白いと思えた。関わりたいと思えた。だから、彼女は例外だ。


 それに、何故か彼女と話すと自然と言葉が出てくる。これは、相手が完璧に空気を作っているからだろうか。もしくは、会話を続けたいと思える自分がいるからかもしれない。

 彼女と話すと、と言ったが、別に普段は自然に言葉が出てこないという意味ではなく…とにかく「彼女」は関係ない…関係ないはずだ。


 でも、彼女が話しかけてくるからこそ思うことがある。典型的な優等生だからこそ思うことがある。

 それは、彼女の正義からなる義務なのではないかと。空木柊が孤独に見える存在だからこその慈悲なのではないかと。


 まあ、こんなことを考えたところで何も生まない。答えが出ることはない。そうわかっていながらこうして考え続けている自分が、段々と馬鹿馬鹿しくなってくる。




「…おはよう」


 寝起きだからか、口が乾燥しているせいで低くかすれた声が出た。

 体が思うように動かずだるい。それと、目が圧迫されて痛い。恐らく机に突っ伏したまま寝ていたせいだろう。何度か強く瞬きをした。


(…?)


 光に慣れてきたので顔を上げると、右の頬がヒリヒリと痛いことに気付き、右手で触った。

 記憶が正しければ、寝るときも起きるときも右の頬が上になっていたはずなので、何かに触れていて痛む原因は無いはずなのだが…まあ、特に気にする必要はないか


「どうかしたの?」

「いや、なんでも―――」


 ―――そういえば、彼女の用事が済むまで教室で待っていたはずだったのだが、今は何時なのだろうかと思い壁に掛けられていた時計を確認すると、最終下校の時間がすぐそこまで迫っていることに気が付いた。いつから寝ていたかの記憶が全くない。


「もしかして結構待った?」

「ん~…結構待ったかも」


 彼女は、少し迷ってから言った。残念ながら、気を利かす言葉を考えていて迷っていたわけではなかったようだ。

 待っていた側だとしても余計に待たせてしまったことは申し訳ないと思った。


「待たせてごめん」

「気にしなくていいよ、おかげで退屈はしなかったから」

「どういうこと?」

「ううん、なんでもない」


 夢は、少し頬を赤くして何かをごまかした。


(まあ、本人がいいならいいか)


 僕は、机の上に置いてある閉じたままのノート、教科書、筆箱を急いで鞄の中に入れて、帰る準備をした。

 何故、置いてあるだけで使われた形跡が一切ないのかは触れないでほしい。


「意欲の演出だけは達者だね」

「…」


 夢の言葉に対し、僕は清々しいほどの無視を続けた。特に返す言葉もないのだが。


(なんとでも言え)


 すまないが、こんな軽い煽りに乗ってやるほど僕の心は広くないんでね


 グサグサっと何かが臓器に刺さる音に耐えながら準備を進めた。

 それにしても、何故彼女の言葉には過剰にダメージを負ってしまうのだろうか。他の人にならある程度何を言われても何も感じないのに。べっ、別に何かが心に刺さっているわけではないが、ただ気になっただけだが。




 校舎の外に出ると、空が一部赤みがかっていた。もうすぐ夏ということもあり、遅い時間だというのに空はまだ明るい。


 彼女と出会ってから何かがあったかというと、特に何も起きていない。彼女が僕のことをどう認識しているのかはとても気になるが、残念ながら確かめる術も勇気も持ち合わせていないのが現状だ。


 でも、確かに一つはっきりと言えることがある。

 何を考えているのか全くわからない、そんな異質さが僕にとっては特別な存在に思えた。だから関わりたいと思えた。(関わりにいくとは言っていない)

 もちろん、僕と彼女が一緒に行動していて、どう見てもつり合ってない自分の存在を疑問に思われているのも、自分自身が思っているのもわかっている。

 だからなんだ?周りは関係ない。それに流される自分なら消えた方がましだ。


 だから僕は―――




「え?何?」


 視線を感じると思ったら、夢がこちらをずっと見続けていた。

 前を向いて歩いてくれないと少し心配だ。


「…いや、なんでも…ない」


 彼女の方に視線を向けると、何故か急にそっぽを向いてしまった。


(は?)


 何か嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。というか、彼女の行動一つ一つに本当に何かの意味はあるのだろうか。もしないなら、あまり深く考えるのは無駄なのかもしれない。

 しかし、「なんでもない」がなんでもない風には聞こえなかった。ただ、この気まずい空気を作ったのは僕ではないはずなので、しばらくそっとしておこうと思う。




 ―――よくよく考えてみると、特別だとか、面白いとか、そんなことはどうでもいい。誰であろうと何を考えているのかわからない人間は等しく怖ろしい。だから夢も怖ろしい人間だと思う。これが僕の考えだ。




 結局僕は、このよくわからない空気の中、何一つ状況が掴めないまま帰路に着いた。

 誤魔化す自分には目を瞑ることにした。




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