【天武】の試練 鏡界を舞う
「さぁ、行くぞッ!!」
悪鬼も裸足で逃げ出しそうな顔でローザネーラと言葉を交わしていたヴェンデッタは、勇ましく声を上げると翼を広げて飛び立つ。
鏡に囲まれた空間に躍り出るは、小さく可憐な死神。
小悪魔然とした愛らしい顔に、戦鬼もかくやという壮絶な笑みを浮かべ、真紅の大鎌をゆるりと構えた。
その視線は、周囲の鏡をなぞるように巡らされる。
鏡の中に、標的たる魔猫の姿はない。しかし、ヴェンデッタは構わず空いている手を勇ましく掲げた。
「鏡に引き籠って安全だと思ったか? ――――なら、無理やり引きずり出してやるよ! 【闇矢】! 【火矢】! 【雷矢】! 【重力弾】!」
放たれるは暗黒、炎、雷撃の矢、そして、重力の魔弾。
威力は控えめだが、速度と弾数に優れた魔法が少女を中心として全方位にばらまかれる。
狙いは適当。しかし、標的たる鏡は四方八方にずらりと並んでいる。
飛翔する魔法が鏡に命中し、甲高い音を立てて割れた。
「まだまだぁ! 【ブーメランサイス】!」
魔法の後を追うように、ヴェンデッタは大鎌を投擲する。
真紅の円盤となった大鎌が弧を描くように飛び回り、派手に鏡を破壊していく。
・うお、耳がぁ!?
・ぎゃああぁ! ガラスが割れる音が連続で……
・だけどこれはアリなんじゃ?
・鏡が厄介なら壊しちまえばいい!
・うーん、ド脳筋
・ヴェンデッタちゃんならさもありなん
Q.無数の鏡より降り注ぐ魔法の雨の対処法は?
A.鏡を全部壊せ。
非常にインテリジェンスの高い解答を見せたヴェンデッタ。
割れた鏡の破片が舞い散る中で、唇の端をつり上げる。
しかし。
『にゃんっ』
舞い散る破片の一つに、猫が映る。
チェシャキャットが短く鳴いた。
瞬間――一瞬の閃光の後、破壊された鏡が一瞬で復元される。
宙を舞っていた破片すら消え去っていた。
『にゃふん』
別の鏡に映ったチェシャキャットが、もう一度鳴いた。
今度は少し声高く。
まるでヴェンデッタの行為などすべて無駄だと嘲笑うかのようだった。
・は? あの一瞬で……?
・この速度で直されたら、壊しても無駄だろ!?
・これがネームド……
・ジャバウォックもヤバかったけど、チェシャキャットも大概だろ
・ヴェンデッタちゃん、どうする!!?
・ッ!? まだ終わってない!
鏡を直すだけで、ネームドボスの行動が終わる筈もない。
『にゃあぁっ!』
明確に敵意のこもった鳴き声が響き、魔力が胎動する。
空を舞っている標的――不遜にも【鏡界】を破壊しようとした小娘に向かって、チェシャキャットは雨あられと魔法を打ち込んでいく。
純白の誘導弾――【白兎の魔弾】
漆黒の棘散弾――【棘鼠の魔弾】
檻状の拘束魔法――【赤の女王の檻】
楕円状の衝撃爆弾――【魔の卵の崩壊】
チェシャキャットが扱う《御伽魔法》――それは御伽噺になぞらえた効果を持つ、特別な魔法だ。
それらが、ジャバウォックの頃とは比べ物にならない数と勢いでヴェンデッタへ襲い掛かる。
「ははっ! そのくらいで俺を落とせると思うなよ! 《魔纏装》――【闇】」
しかし、魔法の雨に晒された本人に、一切の恐怖はない。
真紅の大鎌に漆黒の闇を纏わせ、翼を大きく広げる。
そして襲い掛かってくる魔法へと、獰猛に向かっていく。
「はあああああああぁっ!!」
気合一閃。
闇を纏った刃が宙に線を描き、それに重なった魔法が斬り裂かれた。
《魔纏装》は、纏わせる属性によって発揮される効果が変わる。
闇属性に備わるは非常に高い魔法抵抗力――すなわち、黒を纏った刃は、魔法を斬り裂く性質を帯びる。
魔法攻撃主体のチェシャキャットに対して有効な一打だ。
『にゃふぅ……にゃああぁ!』
自慢の魔法を打ち消された魔猫は、意地になったように魔法を連発する。
そして、その魔法は周囲の鏡に吸収され、また別の鏡から飛び出してくる。
別の鏡から別の鏡へ――それを幾度となく繰り返した後に出来上がったそれは、まるで魔法の万華鏡。
ヴェンデッタの周囲を余さず囲うように迫りくる魔法の弾幕だった。
白と黒と赤と――色彩豊かなそれに照らされて、ヴェンデッタは光に呑み込まれそうになっている。
大鎌での斬撃で斬り払うには数が多く、飛翔による回避をしようにもその隙間がない。先ほどのように【斥力】で周囲ごと薙ぎ払おうにも、詠唱時間がネックとなる。
――――万事休すか?
「甘い……なっ!」
微塵も怯むことなく、小さな影は動き出す。
襲い掛かってくる魔弾幕を睨み、辛うじて先が見える箇所――つまり、弾幕の薄い部分を見抜く。
そこに向かって《エア・ステップ》。
翼の羽ばたきも加えて加速すると、素早く大鎌を回転させた。
闇を纏った刃が円形の盾となり、飛翔の勢いを乗せて魔法と激突する。
「今だ――【斥力】!」
大鎌の盾と魔法が拮抗した――その一瞬の隙を使って、ヴェンデッタは魔法を完成させていた。
放たれた力場が、大鎌と競り合っていた魔法を消し飛ばす。
そして、弾幕に空いた風穴から、ヴェンデッタが飛び出た。
・うおおおおぉ! すげぇええええ!?
・あの物量を……抜けられんのかよ!?
・けど迎撃したり避けたりで、ぜんぜん攻撃出来てないぞ?
・このままじゃジリ貧になるんじゃ……
・バカ言え! このくらいでヴェティちゃんが止まるかよ!
「ふぅ……全然だな」
危機を乗り越えたヴェンデッタは、くるりと宙でターンをし、鏡の中に引き籠っているチェシャキャットを見下ろした。
「全然足りないぞ?」
フードの下からのぞく可憐な顔に、好戦的かつ挑発的な笑みを浮かべて、トントンと大鎌の柄で肩を叩く。
「俺を落としたいなら、今の三倍は撃って来い」
鏡の中からねめつけてくるチェシャキャットの瞳と、ヴェンデッタの真紅の瞳が交錯する。
真紅の瞳が、にやりと細まる。
猫目に明確な怒りが宿る。
「それでも、落ちてはやらないけどなっ!」
『にゃああああああぁっ!!』
チェシャキャットが毛を逆立てながら、無数の魔法を展開する。
そこから始まるは、目も眩むような魔法の乱舞と、小さな死神による死線を躱し続ける複雑な飛翔の舞。
幾重にも弧を描き迫る【白兎の魔弾】を僅かな体捌きで回避し、全身を穿とうと殺到する【棘鼠の魔弾】、その中でも致命となる数本だけを大鎌で斬り払い、【魔の卵の崩壊】の爆風を背に加速して、【赤の女王の檻】の隙間を紙一重ですり抜ける。
花火のように弾け、瞬く星のように輝く無数の魔法の中を、漆黒が駆け、潜り、掠め、捻って、昇って、降って。
ひらり、ひらり。命を確かに削られながらも、笑みを絶やさずに飛び続ける少女の姿は、どこか退廃的な美しさすら感じるほど。
刹那、須臾、玉響の世界を駆け抜けて、ヴェンデッタは踊り狂う。
それはまるで、墜ちることすら恐れず太陽を目指したイカロスの飛翔のようだった。
彼女の勝利を疑わず、ここから魔猫を倒してくれる――そんな期待を胸に見守るものどもも、この死の舞踏に少しずつ不安を募らせていく。
・な、なぁ……これ、本当に大丈夫か?
・ヴェンデッタちゃん……
・ぜんぜん攻撃できてないじゃん
・デケェ口叩いといてこれとかww
・変なの湧いて来たな
・無視しとけ、触ると面倒だ
空で舞う少女に、誰もが釘付けになっている。
チェシャキャットの殺意も、視聴者の心配も、荒らしの嘲笑も。
全て全て、あの矮躯に注がれている。
だから。
――――ヴェンデッタが口元を歪ませた意味を、誰も理解できなかった。
・あ? ……なんだ?
・なんか、画面が変に……?
・気のせい、じゃない?
最初に気付いたのは、コメント欄の視聴者たち。
・なんか……赤くね??
そして、遅れてチェシャキャットも。
『にゃぁ……? ――――ふにゃ!?』
いつの間にか――世界に、深紅が満ちていた。
幻想的な鏡の世界を埋め尽くすように、深紅の霧が辺りを覆っている。
この異常事態に、思わず鏡から顔を出したチェシャキャットは、悲鳴を上げながら前脚で鼻を押さえた。
魔猫の嗅覚を襲ったのは、ゾッとするほどに濃い――鮮血の芳香。
「ははっ! 流石は俺の相棒!」
赤く、紅く、深紅い。
そんな世界を見下ろしながら、いくつもの傷を刻まれたヴェンデッタは、ピストルの形にした指先を己のこめかみに押し当てる。
「――――やっちゃえ、ローザネーラ」
囁いて、笑みを一層深めて、「ばーん」と悪戯っぽく頭を打ち抜く振りをした。
「まったく、かんたんにいってくれるじゃない。ばかますたー」
「でも、いいわ。ワタシも、あのねこにははらがたってたし」
「ついでに、ワタシのことをなめてるぐみんどもに、みせつけてやろうじゃない」
「――――【煌血】のながもつしんのちから、めにやきつけなさい?」
「――――【|断罪の槍よ、咎人貫き穢血を啜れ《カズィクル・ベイ》】!!」




