表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吸血鬼の手のひら返し  作者: 緑名紺
本編 ヴィオン
2/16

2 吸血

 人類が高度な魔術を開発し、莫大な魔力を持つ魔族と対等に戦えるようになって百年。

 世界各地で人魔戦争が起こり、大量の血が流れている。


 魔族は人間を食らって己の糧とするために。

 人類は悪しき魔族を打ち滅ぼさんとするために。


 二つの種族が共存する未来はあり得ない。

 この戦いはどちらかの国が滅ぶまで続くだろう。



 私――ヴィオン・フロストルは戦災孤児だ。


 私が十歳頃、両親は王国の招集に従って吸血鬼族との戦争に参加した。二人とも平民の中では優秀な魔術師だったが、遺体すら戻らなかった。母は食われ、父は自爆したと聞いた。

 そんな私が魔族を憎み、“魔狩人”を目指すのは自然な流れだった。


 魔族殺しに特化した魔術師、それが魔狩人である。


 私は死に物狂いで勉強して難関の選抜試験を突破し、名家の子息令嬢に混ざって王立の魔狩人養成学校に通い、三年間にわたる厳しい生活に耐えた。

 そして十六歳の冬、卒業試験。

 座学は首席、実習も好成績だった私は、卒業後に王太子殿下ライル様直属の部隊に配属されることが決まった。

 王族が指揮する部隊に平民の女性の起用は例がなく、大変名誉なことである。






 卒業を数日後に控えたある日、私は養成学校の隣にある研究施設にいた。ライル様直々の招待だ。


「ごらん、ヴィオン。これが貴血種ロワイトの姫だよ。おぞましいだろう?」


 私はガラスケースの前で息を飲んだ。

 ライル様の言葉とは裏腹に、私は「なんて美しく哀れな子だろう」と胸が震えた。


 ケースの中に吊るされた少女の名はシオン。

 数週間前に国境の山奥で捕えられた最高位の吸血鬼だ。


 私の暮らすジェルトーラ王国は、大陸東部に住む吸血鬼族と争っていた。吸血鬼は人間を攫って飼い殺しにする怨敵だ。滅ぼさねばならない。

それに、東部に広がる肥沃な平野は農耕地として大変魅力的である。

 魔族に抵抗するようになり、人類の人口は増加傾向にある。このままでは、近い将来食糧難に悩まされるだろう。

 それを解決するためにも、吸血鬼を駆逐し、新たな土地を手に入れなければならない。


「初めて見ました。貴血種……最強の魔の貴人」


 シオンは今、緊縛呪術で生きながら責苦を味合わされている。薄く開かれたアメジストのごとき瞳にはすでに生気がなく、唇は青く変色していた。

 彼女の長い銀髪に混じる一房の紅の髪――これが貴血種の証だ。


 貴血種は強靭な肉体と無尽蔵の魔力を持つ。魔族の中でも生まれにくく数は少ないが、貴血種が参戦する人魔戦争の被害は甚大なものになる。

 実際シオンを捕えるために、百人以上の魔狩人の精鋭が犠牲になっていると聞く。


 シオンはまだ幼さの残る華奢な体つきをしていた。

 しかし垂れた瞳と泣きぼくろは色っぽく、男を魅了するのは容易そうな絶世の美少女である。魅了は吸血鬼特有の能力で、異性を虜にして服従させる。彼女はその魔性で何千人もの男の血をすすってきたという。ちなみに実年齢は百歳を超えているらしいけど。


「実験の首尾はどうだ?」


「ええ。九割がた魂は壊れております。あと数週間もあれば完璧な傀儡となりましょう」


 ライル様は満足げに頷いた。

 

 私は研究員の手元の魔術式を盗み見た。

 予想通り、死体を操る屍術の研究をしているようだ。

 魂が完全に抜けたことが確認されたら、シオンは屍術をかけられ、その膨大な魔力と驚異的な身体能力で仲間を殺して回る。ようするに生物兵器となる運命だ。


「どうした、ヴィオン。顔色が悪いようだが」


「いえ……ちょっと私には刺激が強くって」


 魔族は災害よりも恐ろしい人類の敵。

 しかしこうして捕えられ、自分と変わらない姿の少女がむごい仕打ちを受けているのを目の当たりにすると、胸がもやもやする。

 私の目にはこの実験が非人道的なものに映ってしまうのだ。


 ライル様が私の肩を叩いた。


「怯えて震える姿は愛らしいが、そんなことでは困るぞ。人と同じ姿をしていても、奴らは血の涙もない化け物だ。か弱き民のためにも、我々はどんな手を使ってでも必ず魔族を滅ぼさねばならない」


 その凛々しいお顔に思わず見惚れてしまった。


 ライル様は優しい王子様だ。

 自国の民のため、尊き身でありながら自ら剣を取り、戦場では先陣を切って戦っている。

 二十三歳という若さだが、王国でも三本の指に入る魔狩人で、養成学校の生徒はみんな彼に憧れを抱いていた。もちろん私も。


 彼は私にとって恩人でもある。

 私がいた孤児院に多額の寄付をしてくれた。魔術の才能を見出し、魔狩人養成学校へ推薦してくれた。入学後も学校に視察に来られるたびに声をかけ、不自由のないように計らってくれた。

 とても尊敬している。彼の部隊への配属が決まったときは、飛び跳ねるほど嬉しかった。


「お前には期待している。奴らへの情けなど捨て、私とか弱き民のために力を使ってほしい。次の戦場には共に行こう」


 その言葉に私は歓喜した。

 ライル様のためなら命も惜しくない。


 それに、これ以上私のように魔族に親を殺される不幸な子どもを増やしたくない。そのために魔狩人になったのだ。

 敵に同情するなんてどうかしていた。そもそも吸血鬼だって人間を攫って餌として飼う。非道なことをしているのはお互い様だ。


 私はガラスケースの中の姫君を睨み付けてから、ライル様に頷きを返した。


「はい! 必ず期待に応えて見せます! 次の戦争では、私が貴血種の首を獲ります! こんな兵器には負けませんよ!」

 

 元気よく答えると、ライル様は眩しい微笑みを浮かべた 



 



 数日後。


「なんだか懐かしいな」

「えぇ、今思うと、楽しいことばかりだったわね」


 卒業式を前日に控え、私は級友と校舎を巡って思い出を語り合っていた。

 三年間の学生生活はあっという間だった。

 宿舎を抜け出して買い食いしたり、あり得ない量の課題に悲鳴を上げたり、交流会でダンスを踊ると知って冷や汗をかいたり、いろいろなことがあった。

 

 入学してすぐは「こんなところではやっていけない」と毎日泣いていた。

 自分で言うのはおこがましいけれど、私は親譲りの魔術の才能を持っていた。平民出身ということでどうしたって目立ってしまい、嫉妬の的にされたのだ。

 貴族の子息令嬢から目の敵にされ、嫌がらせを受ける日々が続いた。

 

 私は歯を食いしばって耐えた。

 報復はせず、平民だと弁えて謙虚な姿勢を心がけた。

 全ては魔族への復讐のため、ライル様へ恩返しするため、他の平民出身の生徒を巻き込まないため、ただひたすら勉学に励み、堅実に実力を示していった。

 

 入学して半年が過ぎた頃、ようやく私は周囲に認められ、受け入れられた。

 身分など気にせず友と呼んでほしいと言ってくれる尊い人々にも出会えた。

 それからの学校生活は楽しかった。一週間にわたるサバイバル実習のときは、みんなに頼られ、途方もない達成感を覚えたものだ。


 この人たちと一緒なら、魔族との命がけの戦いも怖くない。

 そう思っていたのに……。



 日が沈みかけ、寮に戻ろうとしていたところだった。

 穏やかな空気をぶち壊すように警報が鳴り響く。


「これは……魔族の侵入か?」

「そんなっ! なぜ!?」


 魔狩人養成学校は、魔狩人総本部に隣接して建てられている。先日ライル様に連れて行っていただいた研究棟も同じ敷地内にあった。

 襲撃の理由は分かる。ここは魔族にとって敵地。主要機関が密集する場所。

 狙う価値は十分すぎるほどあるだろう。

 しかしそれゆえ、この辺り一帯には強力な魔術結界が張られている。この数十年一度も魔族の侵入を許したことはない。


「まさか、結界を破れるほどの魔族が来たの……っ?」


 ぞっとした。

 今まで実習で倒してきた下級の魔族とは違うのだ。


 私たちは逃げた。一応、避難訓練は毎年実施されていたので、教えられたとおりに避難シェルターへ向かう。

 卒業式の前日、それも放課後ということもあって、他の生徒の姿はいつもよりうんと少ない。それでも至るところで我先にと逃げようとパニックが起きていた。


「落ち着いて! こんなときに人間同士で争ってどうするの!」


 私が声を張り上げると、後輩たちは押し合いをやめて慎重に先に進んでいった。

 この子たちはまだ一年生だ。守らなくちゃ。私は腰に下げた銃のグリップに触れた。

 もしものときは、命を懸けてでも――。


「きゃあっ」


 そう覚悟した矢先、バルコニーのガラス戸が粉々に砕け散り、三体の魔族が廊下に着地した。おそらく吸血鬼だ。

 真ん中の少年を目の当たりにした瞬間、全身の血が凍りついた。


 艶やかな長い黒髪に混ざる、一房の紅の髪。

 結界が破られたのも納得である。


「貴血種……」


 この世に、こんなに美しい男がいるなんて。


 現実逃避からか、私はその少年の美貌に素直に感嘆した。

 実年齢はだいぶ上なのだろうけど、外見年齢は私とそう変わらない。背が高くすらりとしていて、切れ長の瞳が印象的な整った顔立ち。礼服に黒いマントを纏い、腰に鞘も柄も黒塗りの剣を下げている。

 翡翠のような瞳は冷ややかで、何を考えているのかまるで読めない。分かるはずもなかった。卑劣な魔族の考えなんて。


 左右の二人がぴょこんと前に出た。


「やったー。女の子だ。それも超美味しそー……」


「こら、ヤナギ! よだれを拭きなさい。トキワ様の前でだらしないですよ!」


「えー? いいじゃんよー。だってだって、久しぶりの美味しいご飯だもん。ヒノキだって頬がゆるんでるじゃーん」


 瓜二つの顔立ちの少年だった。双子だろう。まだ十二、三歳くらいに見えるが、やはり私よりもずっと年上のはず。


 貴血種の少年がトキワ、ゆるい少年がヤナギ、真面目そうな少年がヒノキ。

 敵の名前なんて、どうでもいいことを把握してしまった。


 この距離で逃げられるとは思えない。私は銃を抜き、戦う道を選んだ。

 ……そして友に裏切られ、囮として三人の前に蹴り倒されたわけだ。敬愛するライル様にも見捨てられたらしく、もう抵抗する気力もない。


「哀れな娘だな。せめて我が糧としてやろう」


 床に張り付いたままの私に声をかけてきたのはトキワだった。冷たい顔立ちとは裏腹に人類に同情する心はあるらしい。それとも今の私はそんなに可哀想なのだろうか。


 なけなしの矜持が私を奮い立たせた。


「触らないで!」


 伸ばされた手を振り払い、私は後ろに飛びのいて銃の引き金を引いた。


「っ!」


 確かに命中したはずなのにトキワは無傷だった。服も汚れていない。私の魔力では、彼が無警戒の状態で垂れ流している魔力すら突き破れない。その力量差に戦慄を覚えた。


 こうなったら、覚悟を決めなければ。

 彼らは私の血肉を食い、魔力を吸収するつもりだ。ただでさえ強い敵がさらに強くなってしまう。憎き魔族に力を与えるなんてまっぴらだ。実際、戦場でも魔族に食われるくらいなら爆散して死ねと教えられている。

 

 自爆魔術を唱えようと息を吸い込んだ瞬間。


 鋭い痛みで呼吸が止まった。ヤナギが私の太もも――制服の都合上露出していた部分――に噛みついていた。


「人間風情が、トキワ様になんて無礼をっ!」


 一拍遅れて、ヒノキも私の右手を噛み砕いた。銃が落ちる音が廊下に虚しく響く。


 あまりの痛みに私は声にならない悲鳴を上げた。

 彼らの鋭い牙が肌を突き破り、どくどくと血が流れ出ていく。

 双子は夢中で私の血を貪っている。血濡れの音と牙と舌が当たるざらりとした感覚に、全身が硬直した。


 今更思い知った。本物の吸血鬼の恐怖を。死が間近に迫る恐怖を。

 自爆の術式は頭の隅に飛んでいってしまった。


「お前たち……俺を差し置いて餌にがっつく奴があるか」


 トキワのやや呆れた声に、ヒノキが我に返り、口から滴る血を拭った。


「も、申し訳ありません! この人間があまりに生意気だったものでついっ!」


「トキワ様ー、この子超美味しいよー。今まで食べた人間の中で一番かも……」


 愚直に頭を下げるヒノキとは裏腹に、ヤナギは太ももに唇を寄せたまま報告する。

 トキワは「ほう」と目を細め、私の前に立った。

 我に返って逃げようにも、双子が足と腕を拘束していて動けない。

 

「これから大仕事がある。お前で腹ごしらえをさせてもらおう」

 

 制服のリボンをはぎ取られ、首筋を大きく露出させられた。

 聞いたことがある。吸血鬼は頸動脈を噛むのが大好きだと。そして血を飲みつくした後、一番のご馳走である心臓を食い破る。


「いや……やめて……」

 

「怖がる必要はない」


 私の情けない涙混じりの声が、彼の加虐心に火をつけたのかもしれない。

 頭を鷲掴みにして固定され、まず唇を奪われた。それもかなり激しく。

 驚きのあまり喉の奥がひっくり返る。

 初めてだった。そして多分、人生最後のキス……いや、カウントしたくない。


「あ……血が甘くなった。さすがトキワ様」


 彼の唇が離れた瞬間、脳がくらりと揺れた。酸欠と貧血のせいだけではなさそうだ。

 体が熱に浮かされ、双子に噛まれた部分の痛みが消え、微睡むような心地よさを覚える。


 ぼんやりとした私の瞳を見つめ、トキワがふっと微笑んだ。実に艶美だ。

 これが吸血鬼による魅了……分かっていても抗えない。


 もう自力で立っているのが難しく、気づけばトキワの腕の中に倒れ込んでいた。

 首筋に冷たい感触。トキワの牙が当たっている。

 強い痛みに一瞬体が震えたが、すぐに何も感じなくなった。


「ふん、確かに美味いな。見た目も悪くない。持ち帰って飼いたいくらいだが、残念だ……」


 熱かった体は鼓動の度に冷え、動かなくなっていく。まるでじわじわと氷づけにされている気分だった。

 結局、私はなすがまま魔族の糧になってしまった。


 憎い。悔しい。まだ死にたくない……っ!


 体はなぜか幸せに酔っていたが、頭の中ではずっと醜い呪詛を唱えていた。

 憎しみは私を殺す魔族ではなく、裏切った級友たちに向けられた。


 信じていたのに。一緒に戦う約束をしたのに。


 彼らは口では対等な友だと言いながら、心の中では私のことを平民だと罵っていた。

 きっと利用されていただけなのだろう。

 ライル様に目をかけられていた私と仲良くしておけば恩恵にあやかれる。彼らにとって成績優秀な平民の女なんて、使い勝手のいい捨て駒くらいにしか思っていなかったのかもしれない。


 ライル様もそう。貴血種から助け出すほどの価値を私に見出してはいなかった。

 それもそうか。私の代わりは腐るほどいるけれど、王太子殿下に代わりはいない。そんな危険は冒せない。

 諦めが胸に広がった。


 人間は残酷だ。平気で仲間を裏切り、あっさりと見捨てる。

 血も涙もない魔族と何が違うというの?

 私はなんのために生きて、なんのために死ぬの?


 目を閉じると涙がポロリと頬を流れた。心音が遠のいていく。

 そして、私の十六年の人生は無惨に幕を閉じた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ