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吸血鬼の手のひら返し  作者: 緑名紺
本編 ヴィオン
3/16

3 共鳴

 

 思えば寂しい人生だったな。

 どうせなら友の本心を知らず、ライル様を信じたまま死にたかった。みんなのためだと言い聞かせて死にたかった。

 こんな終わり方は嫌だ。


 私、まだ死にたくない……。






「なんということだ……魂を壊されたか」


 動揺に滲む声が聞こえてきた。

 体に違和感があって意識がはっきりしない。頭が割れるように痛む。経験はないけど、まるで二日酔いになったかのよう。

 ぼんやりと見開かれた私の目に、トキワの顔が映った。


 またか。またあなたか。


 彼を認識した瞬間、胸がきゅんと跳ねた。会えて嬉しい。……まだ魅了の効果が残っているようだ。


 私は床に座り込み、トキワに背中を支えられていた。

 殺されなかったのだろうか? お持ち帰りされた?

 周囲の景色はぼやけてよく見えない。知っている場所な気がするけれど、分からなかった。


「シオン、今、楽にしてやる……」


 それ、誰の名前だっけ? 痛みで頭が痺れて、上手く働かない。

 トキワから向けられる眼差しは、先ほどとはまるで違った。冷ややかでも艶美でもなく、ただただ悲しそうな瞳。


 どうしてあなたが私をそんな目で見るの?

 ただの餌でしょう?

 

 私を優しく壁にもたれさせ、トキワが立ち上がった。そして腰の剣を鞘から引き抜く。光を拒絶しているかのごとく、刀身まで黒一色の剣だ。

 魔剣・万葉華。私はなぜかその剣の名前を知っていた。

 

 トキワは剣を胸に掲げ一礼した後、構えた。

 

「許せ、我が未来の妃よ。お前とともに戦った百年の時は決して忘れぬ。……安らかに眠れ」


 ちょっと待った! やっぱり殺すつもりなの!?

 その瞬間、頭痛が吹き飛び、意識が急激に鮮明になった。


「やめて!」


 叫んでから驚き、むせた。

 私の声は、私のものではなかった。聞いたことのない美しい声だ。


 トキワも目を見開き、呆然としていた。

 私は恐る恐る自分の体を見る。長い銀髪に紅の髪が視界に入った瞬間、全身から血の気が引いた。


「嘘っ」


 信じられなくて顔と体を触りまくる。明らかに私の体ではない。特に口の中の鋭い犬歯は信じられなかった。


 五感が機能し始めた。

 ここは数日前にライル様に連れて行ってもらった研究室だ。貴血種の姫、シオンが入っていたガラスケースは粉々に砕けている。

 部屋には血の匂いが充満していた。気持ち悪さはない。むしろ血の匂いが甘美すぎて、口の中に唾液が溢れてくる。


「え? え? もしかして、私、シオンの……? どうして?」


「貴様、何者だ!」

 

 トキワが再び剣先を向けてきた。疑念と怒りがふつふつと彼の体から立ち昇っている。

 一方、私は死の恐怖を思い出し、腕で顔を覆った。


「や、やめて……知らない。気づいたらこんなことに……私、死んだはずなのに……どうしてこの体に」


「シオンではないんだな?」


 どうしよう。頷いたら殺されるかもしれない。でもシオンになりきるなんて不可能だ。私は彼女のことを何も知らない。


「トキワ様! 魔術師どもが集結しているようです! なんか見たことない兵器もありますよ!」


 部屋の外からヒノキの慌てた声が聞こえてきた。


「仕方ない……来い!」


 トキワに強引に腕を引かれ、抵抗する間もなく私は連れ去られた。






 彼に抱えられ研究所を出て、闇の中に飛び込んだと思った次の瞬間には、私は夜の森に立っていた。


 目の前には巨大な木と絡み合って建つ白磁の城――私の家。

 振り返ると、木々の隙間にポツリポツリと小さな家があり、優しい明かりが灯っている。


 知っている。

 吸血鬼の国――宵月の町。永遠の夜を約束された場所。

 吸血鬼族の王クレナイの末の王子、トキワが守っている町。


 胸が引き裂かれるような懐かしさを感じて、私は震えながら泣いていた。


 本当は知らない。こんなところ、来たことない。

 なのに涙が止まらない。

 私は、ううん、シオンはずっとここに帰ってきたかった。


 嗚咽を漏らす私の両脇に双子が抱きついてきた。


「泣かないでー、シオン様……」


「良かったです! ご無事で本当に良かった!」


 ヤナギもヒノキも泣いていた。どういう関係かは知らないけれど、シオンは随分とこの二人に慕われていたらしい。

 噛まれた恨みがあるものの、私は仕方なく二人の頭をよしよしした。本気で泣いている子どもを突き飛ばすことはできないし、今はシオンのふりをした方が得策だろう。


「変……シオン様が、優しい……?」


「ど、どうしたんです? 人間どもに何かされたんですか!?」


 目を剥く双子に、私は涙目のままきょとんと首を傾げる。

 どうしよう。シオンのキャラが掴めない。何か変なことをしてしまっただろうか。


「シオンは混乱している。今は人の国でのことをむやみに思い出させるな」


 トキワの一言に納得したのか、双子は深く追及してこなかった。人間め、と呟いたきり怖い顔をして黙った。



 彼らと別れると、私はトキワに城の一室に連れ込まれた。ここも知っている。

 私の部屋――というかシオンの部屋だ。殺風景でほとんど物がない。無理矢理ソファーに座らされた。


「説明してもらおうか。お前は誰だ。人間の術師か? その割には随分と混乱しているようだが……」


 正面に腰かけたトキワの視線は冷たい。

 私がどう答えようか迷っていると、焦れたような舌打ちが聞こえた。


「心配するな。体がシオンのものならば丁重に扱う。殺しはしない」


「……本当に?」


「当たり前だ。中身が何者であろうと、その体は貴血種の女だ。それがどれだけ希少かも知らんのか?」


 納得した。

 私は覚悟を決めて、暗い声で自己紹介をした。もう自棄だ。


「私の名前はヴィオン・フロストル。魔狩人養成学校の三年生。さっき……どれだけ時間が経ってるかは分からないけど、あなたと双子に吸血された」


「ああ、他の人間に蹴られていた惨めな女か?」


 屈辱を噛みしめて頷くと、トキワは眉をひそめた。


「確かに心臓を食い、殺したはずだが」


「やっぱりこいつに殺されたのね……くそ」


「その口で品のない言葉を吐くな。……死に際に術を使われた気配はなかった。なぜお前の魂がその体にいる?」


 私は考えてみた。

 シオンは緊縛呪術により拷問され、魂が壊れかけていた。

 私はトキワ達に食われ、肉体の死を迎えた。


 魂のない体と、肉体を失った魂。

 足せば一人になる。


 古い禁術の文献で似たような事例を読んだ。強い魔力を持つ者同士は、死に際の思考がシンクロすると、心と体が一体化することがある。

 私とシオンが共鳴した?

 人間と魔族がどうして?

 ああ、でも何となく分かってしまった。


 あのとき私は人間を憎んだ。死にたくないと心の底から喘いでいた。シオンの方は言わずもがなだろう。


「憎しみが呼び合ったのかも……」


 私は自分が恐ろしくなった。

 拷問を受ける吸血鬼の姫と共鳴するほど、人類を憎んでしまったことに。


 それは感じたことのない恐怖だった。私は腕を抱き、知らない体を温めた。


「同胞を憎んで死んでいったのか。本当に哀れな娘だ」


 トキワの無神経な発言にかぁっと顔が熱くなった。


「魔族だって憎いよ! 私、あなたに殺されたし……ううん、お父さんもお母さんも魔族に食い殺されたんだからね! 元はと言えばあなた達のせいじゃない!」


 顔色一つ変えず、トキワは答えた。


「そうか。親のことは知らんが、お前の血肉は大変美味だった。ごちそう様、と言った方がいいか?」


「ふざけないで! この人殺し!」


「ふざけてなどいない。俺はただ食事をしただけだ。なぜそこまで怒る? 人間どもも家畜を育てたり、狩りをしていると聞いたが、豚や鳥に罵られたことがあるか?」


「ひ、人と動物を一緒にしないで! 人には感情も知性もあるの! 言葉も通じるし! 殺されたら怒るのは当たり前でしょ!?」


 ああ、ごめんなさい、動物さん。違うの。こんなこと言うつもりじゃない。


「食物連鎖の頂点にいる我ら魔族からすれば、人も動物もそう大差ない。人間の方が美味いがな。それに、俺はたとえ誰にどんな理不尽に殺されても恨み言は言わん。俺の命は俺のものだからだ」


 ダメだ。こいつ何言ってんの。当たり前だけど価値観が違いすぎて話にならなかった。どう論破すればいいのか分からない。

 一度黙ってしまうと、トキワに言われっぱなしになった。


「食いもしないのに魔族を狩ろうとする人間は野蛮だ」とか「人間どもが小賢しい知恵で抵抗するようになったせいで戦乱が広がった」とか「十人差し出せば済むところを、我らに戦いを仕掛けて百人死ぬ。実に愚かな生き物だ」とか、散々馬鹿にされてしまった。


 言い返せない。

 彼の言葉が正しいと認めたわけじゃない。えっと、そう、頭に血が上っていて、上手く反論できないだけ!


 ……ううん。違う。

 私は気づいたのだ。トキワに言い返す資格がないことに。


 私は仲間に裏切られ、見捨てられて死んだ。

 だけどトキワは仲間のために敵の本拠地に乗り込んできた。

 私の血を吸って大仕事――シオンの救出に向かったのだろう。


 彼がシオンを見下ろしたときの悲しい瞳を思い出す。人間よりも魔族の方が仲間想いだなんて笑えない。

 まぁ、一兵卒とお姫様なら、扱いが違うのも仕方ないけど。


 私はどんよりと肩を落とす。


「あなただって、人間が憎いんじゃないの? シオンの魂を殺した人間が」


 トキワはシオンに向かって「我が未来の妃」と言っていた。つまり婚約者だったのだろう。


「別に。シオンは人間狩りで深追いして罠に嵌った。普通の戦いなら負けるはずがないのに、自分の判断ミスで死んだのだ。人間ごときに憎しみを向ける理由がない」


 予想に反して、トキワの答えはそっけなかった。

 本当に理解できない。


「好きな人が殺されたのに、どうして平然としていられるの?」


「好きな人? 勘違いするな。俺はシオンを愛してなどいない」


「え? だって、『我が未来の妃』って」


「我ら吸血鬼族には、生まれ年の近い貴血種同士で婚姻する掟がある。全ては魔性の強い子を作るためだ。婚約はしていたが、俺とシオンは幼なじみの戦友にすぎず、男女の情はなかった」


 ぎゅう、と胸が潰れるように痛む。何故か耳を塞ぎたい衝動に駆られた。


「シオンも俺のことなどなんとも思っていなかっただろう。指一本触れさせなかった。いつも無表情で口を開けば文句ばかり。人間狩り以外で一緒に出掛けたこともない……本当につまらない女だった」


 私の意思に反して、全身からさぁっと血の気が引いた。

 もしかして、もしかしなくても、シオンの意識がまだ少し残っていて、トキワの言葉に傷ついている?

 ていうか、こんなにショックを受けるということは、シオンはトキワのこと好きだったんじゃ……。

 思い返せば、研究施設でトキワを見たとき胸がきゅんと跳ねた。あれは私でなく、シオンのときめきだった気がする。


 ……素直になれなかったの?


 私の推測を肯定するかのように、瞳から勝手に涙が溢れた。トキワがぎょっと身を引く。


「なぜ急に泣く」


「あなたがひどい男だからよ! やっぱり魔族って最低!」


「は?」


「大体あなた、婚約者がいながら私に、き、き、キスしたわけ? あんな手慣れた感じで……この浮気男!」


 羞恥と怒りで声が震えた。涙は止まらない。

 トキワは呆れ気味に目を逸らす。


「餌を大人しくさせるための口づけくらい、みんなやっている。吸血鬼にとっては当たり前の行為だ。シオンだって人間の男の血を吸うときに散々していたはずだが」


 そのとき全身に悪寒が走った。拒絶、否定を表しているようだ。


「シオンはしたことないって」


「……なぜだ」


「そんなことも分からないの? この子はね、あなたのことが大好きだったんだよ。体にその名残があるから分かる。魔族の貞操観念なんて知らないけど、一途にあなたのことだけを想い続けてきた子に対して、つまらない女だなんてよくも言えたものね」


 私の冷ややかな代理告白に、トキワは苦々しい表情で首を傾げた。


「まさか……いや……そう、だったのか……?」

 

 私はしくしくと泣き続けた。

 本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 私の心情は非常に複雑だ。なぜ自分を殺した男を愛した女の体で泣かねばならない。

 ああ、ややこしい。


「泣くな」


 気づくとトキワが隣に来て、慰めるように私の肩を抱いていた。ものすごくバツが悪そうな顔で。

 触らないでよ、気持ち悪い。

 そう言いたかったけど、我慢した。


 トキワに慰められればシオンは喜ぶはずだ。手向けだと思えば安い。

 このような状況にもかかわらず、私はシオンに同情していた。自分のことを考えたくなっただけかもしれないけど。

 何とかシオンと話せないだろうかと気配を手繰り寄せようとしたが、体に残っている彼女の意識は儚い。

 彼女の魂は死んでいる。わずかな執着が残っているだけ。それもいつかは消えてしまうだろう。


「釈然としないが、悪かった」


「誰に謝ってるの?」


「もちろんシオンだ。確認するまでもない」


「今この体の主人格は私なんだけど」


「だが、泣いているのはシオンなのだろう?」


「もう、分かんない……私だって泣きたいもの……」


 私も死んだ。でも、意識は残っていて、吸血鬼の体に宿っている。

 これからどうすればいいの?

 吸血鬼として生きるなんて絶対に嫌だ。人間の血を吸って生きるなんて無理。私と家族を殺した魔族への憎しみはまだ強く残っている。


 だけど、もう人間の国には戻れない。貴血種がうろついていたら、すぐに魔狩人の精鋭が飛んでくるだろう。


 ううん、もしかしたら、ライル様なら受け入れてくれるかもしれない。

 例えばそう、トキワの死体かこの町の情報を手土産に帰還すれば、むしろ嬉々としてシオンの体に宿った私を迎え、戦争の道具にするだろう。


 そのひどい考えを、私は心の底から嫌悪した。


「魔族も、人間も、大嫌い……っ」


 今更ライル様のために働く気は沸いてこなかった。

 自分を裏切った人間たちへの愛想は尽きている。


 しばらくして、トキワがぽつりと零した。


「ヴィオンと言ったか。お前、このままシオンとして生きろ。そして俺と結婚して子を産め」


 私は慌ててトキワから体を引き剥がす。体温が一気に上昇した。


「な、何を言い出すの。信じられない。冗談はやめて」


「冗談を言ったつもりはない。人間への未練を捨て、身も心も魔族に染まれ。シオンとして生き直せ」


 神秘的な緑の瞳が私を見下ろす。ふざけている気配はない。

 

「気づいているかは知らんが、お前は戦士に向いていない。感情に流されすぎている。だから無理に人間と戦わなくてもいい。その代わり、子どもを産んで一族に貢献しろ」

 

 私は唸った。


「つまりそれは、子どもを産みたくないなら、人間と戦えってこと?」


「ああ、そうだ。シオンの体をこれからも使うつもりなら、そのどちらかしか許さない。もちろん両方したいのなら歓迎するが。選択肢を与えられるだけありがたいと思え」


 人間を殺しまわるか、魔族の子どもを産むか。

 それは究極の選択だった。


 両方断ったらどうなるか聞こうとして、やめた。

 無理矢理何かをやらされるに決まっている。聞きたくない。

 そうだ、この男は血も涙もない魔族なのだ。


「考える時間を……下さい」


「いいだろう。だが、くれぐれもお前がシオンではないことを他の者にばらすなよ。庇いきれん」


 トキワは立ち上がった。部屋を辞すとき、念を押すように告げる。


「俺はともかく、皆はシオンを殺した人間を許さないだろう。気をつけろ」


 一人になると、ふつふつと怒りが沸いてきた。

 婚約者を亡くしたばかりなのに、他の女に子どもを産めなんてどういう神経だ。

 いや、シオンの体目当てならありなのだろうか。考え方によっては供養になるのかも?

 分からない。分かりたくない。


 私はふらふらとベッドに倒れ込む。思考を放棄して、疲労の波に身を委ねた。


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