2風をよぶ少年
村を離れてしばらく、道らしい道は少しずつ細くなっていった。
最初は人が踏み固めた土の道だった。
荷車の轍もあり、村人が行き来した跡も残っていた。
だが森へ近づくにつれ、地面には草が混じり、木の根が浅く浮き、踏み跡は獣道のように頼りなくなっていく。
その先頭を歩いているのは、ゼドだった。
白い外套の裾を揺らしながら、迷いなく進んでいる。
足取りは軽く見えるが、時折、呼吸が浅くなる瞬間があった。
魔力を使い果たした。
本人はそう言っていた。
それでも、弱っていることを見せまいとしているのか、背筋だけはまっすぐだった。
「拠点はこっち」
ゼドが短く言う。
ケンサクはその背中を見ながら、少し眉を上げた。
「道、合ってるんだよな?」
「僕が迷うと思う?」
「普段は魔法で行き来しているやつが、徒歩ルートに詳しいかどうかは別問題だろ」
ゼドが振り返る。
淡い瞳が、じっとケンサクを見た。
「失礼だね」
「確認だ」
「確認の形をした失礼だよ」
その言い方は淡々としていたが、わずかに子どもらしい不満が混じっていた。
ケンサクは肩をすくめる。
リテナはそのやり取りを、少し後ろから見ていた。
ゼドに対して、敵意があるわけではない。
むしろ昨日、助けられたことへの感謝は確かにある。
けれど、それとは別に、胸の奥には小さな緊張が残っていた。
勇者様のお仲間。
その言葉が、ゼドの姿に重なっている。
白い外套も、光を反射する髪も、静かすぎる声も、リテナにはまだ少し遠いものに見えた。
「あの……ゼドくん」
リテナが恐る恐る声をかける。
ゼドは歩く速度を変えないまま、少しだけ顔を向けた。
「なに」
「疲れてない?」
「疲れてる」
即答だった。
リテナは目を瞬かせる。
「あ、えっと……じゃあ、少し休む?」
「まだいい。君たちが遅れないなら」
「可愛げのない言い方だな」
ケンサクが横から突っ込む。
ゼドは表情を変えない。
「事実だよ」
「事実をそのまま投げればいいってもんじゃない」
「君がそれを言うの?」
「……今のはちょっと反論しづらいな」
ホタルがケンサクの頭の上で、ふるふると弱く光った。
昨日からずっと、肩の上でぐったりしていたが、今は頭の上に乗っている。
「肩だと揺れるんだよね〜……頭の上のほうが安定する〜……」
「俺を宿扱いするな、文句があるなら降りろ」
「今の私、まだ省電力モードだからさ〜……ちょっとだけ休ませてよ〜……」
「同じく魔力を使い切ったゼドは、自分で歩いているぞ」
「私はこの小さい体を飛ばすだけでも魔力使うんだよ〜……省エネ飛行中なの〜……」
ケンサクはため息をついたが、特に振り払うことはしなかった。
ホタルはそのまま、頭の上で小さく光を揺らす。
「でもさ」
ホタルがふと思いついたように声を明るくした。
「四人になったら、ますますRPGのパーティーっぽくなったね」
ゼドが即座に振り返る。
「勝手に四人にしないで」
「え、でも今一緒に歩いてるし」
「同行してるだけ」
「それを一般的にはパーティーって言うんじゃない?」
「言わない」
ゼドは短く否定した。
ケンサクは歩きながら、頭上のホタルを見上げる。
「そもそも勇者がいないけどな」
「まあね。勇者抜きパーティー」
「それはもうパーティー構成として大丈夫なのか」
「でもほら、まずは賢者のケンサク」
「俺は魔法が使えないけどな」
「賢者なのにね」
「お前の本体がそうしたんだろう」
「ぐう……」
「ぐうの音を出すな」
ホタルはふよふよと光を揺らしながら続ける。
「でも、そこは今なら魔法使いのゼドがいるから」
ゼドがまた即答した。
「今は使えない」
ケンサクが少し間を置いた。
「言われてみればそうだった」
ゼドの目が細くなる。
「誰のせいだと思ってるの」
ケンサクは黙った。
昨日、地下へ風を通したのはゼドだった。
ケンサクが原因を見抜き、ホタルが助けを求め、ゼドがそれに応じた。
その結果、ゼドは魔力を使い切った。
ケンサクは小さく息を吐く。
「……俺たちのためだな。本当に助かったよ」
ゼドは少しだけ顎を上げた。
「分かればいい」
「偉そうだな」
「命の恩人だからね」
ホタルがくすくす笑うように点滅した。
「じゃあ今のところ、魔法が使えない賢者と、魔力切れの魔法使いがいるわけだね」
「職業だけ見ると四人中二人が魔法職なのに、両方機能してない」
「バランス悪いね〜」
「悪いどころじゃないだろ。職業だけ見たら強そうなのに、実態はだいぶ事故だ」
「ケンサク、自己評価が低い」
「いや、事実確認だ」
リテナが横からおずおずと口を挟む。
「でも、ケンサクは魔法が使えなくても、いっぱい助けてくれたよ」
その言葉に、ケンサクは一瞬だけ黙った。
ホタルがすかさず乗る。
「そうそう! ケンサクは魔法じゃなくて、知識でなんとかするタイプの賢者だから!」
「それ、ゲーム的には使いづらそうだな」
「イベント攻略には強いよ!」
「戦闘でどうするんだ」
「そこは……逃げる?」
「賢者が逃げる前提なの、だいぶ情けないな」
「でもケンサク、実際よく逃げるよね」
「戦略的撤退と言え」
ゼドがぼそりと言った。
「逃げてるんだ」
「お前は淡々と刺すな」
リテナが小さく笑った。
さっきまでの緊張が、少しだけほどける。
けれどゼドは、その輪の中に完全には入らない。
少し前を歩き、必要な時だけ短く返す。
その距離が、今の関係そのものだった。
ホタルはまだ頭の上で話を続ける。
「で、リテナは……優しいから僧侶枠かな」
ケンサクはすぐに首を振った。
「いや、リテナはどう見ても前衛だろ」
「え?」
リテナが驚いた顔をする。
ケンサクは指を折るように言った。
「人を抱えて走れる。弓も使う。農作業で鍛えてる。洞窟にも突っ込む」
「そ、そんな言い方しなくても……!」
「褒めてる」
「ほんとに?」
「半分くらい」
「半分!?」
リテナが少しむくれる。
ゼドが前を向いたまま、短く付け加えた。
「無茶をする人、という分類なら合ってる」
「ゼドくんまで……!」
ケンサクは真顔で頷く。
「ほら、ゼドもこう言ってる」
「二人で言わないでよ!」
リテナは頬を膨らませたが、本気で怒っているわけではなかった。
それでも、ケンサクの胸には言い切れなかった感情がまだ残っている。
あの洞窟に、リテナは一人で入っていった。
父親を助けるために。
それは正しかったのかもしれない。
勇気ある行動だったのかもしれない。
けれど、もし間に合わなかったら。
その考えだけは、どうしても頭から離れなかった。
リテナはそんなケンサクの内心までは知らず、少しだけ不満げに言う。
「あたしだって、考えなしに動いてるわけじゃないよ」
ケンサクは前を向いたまま答える。
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
少し間を置いて、付け加える。
「だから余計に怖い」
リテナは言葉を止めた。
ケンサクはそれ以上言わない。
ホタルも、珍しく茶化さなかった。
森の匂いが濃くなる。
湿った土、葉の重なり、遠くで鳴く鳥の声。
沈黙が落ちかけたところで、ホタルが無理やり明るい声を出した。
「ねえケンサク、さっきの続き、私は?」
ケンサクが上を見る。
「お前?」
「そう。私の役割。ちゃんと考えてよ」
「……非常食?」
「ひどい!!」
ホタルが頭の上でばちばち光る。
「冗談だ、昆虫食には抵抗がある」
「私はね、結構役に立ってるからね! ナビになったり、目くらまししたり、バリアを張ったり!」
ケンサクは少し考えてから言った。
「それもう道具枠じゃ?」
「ひどい!! 神だよ!?神の軽量版だよ!?」
ケンサクは少し面白そうに続ける。
「アイテム欄に入るタイプの神か」
「入らないよ!! 私はちゃんと自律してるもん!!」
「じゃあ、たまに勝手に動く便利な道具」
「悪化してる気がする!!」
そのやり取りが煩わしいのかゼドが微かに顔をしかめた。
リテナが慌てて手を伸ばし、ホタルをなだめるように指先でそっと近づく。
「ホタル様は道具じゃないよ。大事な仲間だよ」
ホタルの光が一瞬で柔らかくなる。
「リテナ〜〜!!」
感極まったように飛びつこうとして、しかしまだ充電が足りないのか、ケンサクの頭の上で少しよろけた。
「危ないな」
ケンサクが手を添えて支える。
「……道具なら落としても拾えるけど、お前は面倒だからな」
「それ、優しいの?ひどいの?」
「便利な仲間ではある」
「便利って言い方!!」
リテナはくすくす笑った。
ゼドはその様子を少しだけ見ていた。
「まあ、やっぱり仲間が増えるのは嬉しいよね」
リテナの言葉にゼドは即座に言った。
「違う。僕は仲間じゃない」
ケンサクは頷く。
「分かってるよ。魔力が戻るまでの同行者だろ」
「違う」
「違うのか?」
「君たちが僕への借りを返してる途中」
ケンサクは少しだけ呆れた顔になる。
「そこは譲らないんだな」
「当然」
ゼドは当然のように言い切った。
「僕は君たちのために魔力を使い切った。だから君たちが僕を拠点まで送る。当然でしょ」
「まあ、筋は通ってはいる」
「なら問題ない」
「感謝してるのは本当だぞ」
「知ってる、さっきから顔に出てる」
ケンサクは少し嫌そうに眉を寄せた。
「そんなに分かりやすいか?」
「少なくとも、僕には」
ホタルが頭の上で笑う。
「ケンサク、わりと顔に出るよね」
「出ない方だと思ってた」
「出る時はすごく出るよ〜」
リテナも小さく頷く。
「うん。心配してる時とか、すぐ分かる」
「……そうか」
ケンサクは少しだけ視線を逸らした。
ゼドはその反応を見て、何か言いたげにしたが、結局何も言わなかった。
しばらく歩くと、森の木々が少し開けた。
そこには、細い道があった。
ただの獣道ではない。
人が何度も通った跡がある。
草は踏み分けられ、ところどころに小さな石が積まれている。
ケンサクは足を止めた。
地面を見る。
踏み跡は多い。
けれど、荷車の轍はない。
人は通る。
だが物資を運ぶ道ではない。
「……巡礼道か?」
ゼドが少しだけ振り返る。
「よく分かったね」
「人の足跡は多いのに、荷車の跡がない。運搬路じゃなくて、人が歩くための道だろ」
ホタルが頭の上で小さく光る。
「また何か分かった顔してる」
「顔だけじゃない。今回は根拠もある」
「今回はって言ったね?」
ケンサクはそれには答えず、ゼドを見る。
「この先が勇者の拠点か?」
「拠点へ向かう道の一つ」
「勇者を慕う人たちが通るのか?」
「そう。祈る人、助けを求める人、救われたことを報告しに来る人。いろいろ」
リテナが少しだけ表情を曇らせた。
「救われたことを、報告……」
その言い方に、どこか引っかかるものがあった。
ケンサクも同じものを感じたが、口には出さない。
「で、その借りを返す先……勇者の拠点ってのは、どういう場所なんだ?」
ゼドは迷わず答えた。
「平和を守る場所」
「……ずいぶん広い答えだな」
「間違ってない」
「具体的には、何をしてる場所なんだ?」
ゼドは少し前を向く。
その横顔には、先ほどまでの子どもっぽい得意げな色が消えていた。
「平和を乱すものがないか、見つける場所」
リテナの足が、ほんの少し遅くなる。
ホタルの光も、わずかに弱まった。
ケンサクは静かに聞き返す。
「見つけたら?」
「勇者様が判断する」
「何を“乱すもの”とするかも?」
「勇者様が決める」
ゼドの声は淡々としている。
疑問を挟む余地のない、まっすぐな答えだった。
ケンサクはしばらく黙った。
風が巡礼道の草を揺らす。
積まれた小石が、朝の光を受けて白く光った。
ゼドは再び歩き出しながら、前を向いたまま言った。
「だから、君たちも変なことはしないで」
ケンサクは小さく息を吐く。
「何を“変”と判断するかが問題なんだよな」
ゼドは振り返らない。
「それは勇者様が決める」
その言葉だけが、森の静けさの中に残った。
ケンサクとリテナ。
その頭の上で、弱く光るホタル。
そして、少し前を歩くゼド。
同じ道を進んでいる。
けれどまだ、同じ場所を目指しているのかどうかは、誰にも分からなかった。




