我慢はよくありません
――――やられた。
私は、こぼれそうになるため息を、なんとか堪える。
「まさか、こんな幼稚な手を打ってくるなんて思わなかったわ」
ついつい愚痴が口をつく。
だって、きちんと高度な教育を受けているような貴族令嬢が、こんなに見え透いた、誰が見ても犯人がわかるような罠をしかけてくるなんて、予想していなかったんだもの。
……いや、うすうすはわかってはいたのよね。
ただでさえ強くないバルバラの忍耐力が、今にもキレそうだってこと。
でも、さすがにこれはない。
私と二人きりになった途端、回復魔法のレイズをかけて魔鬣犬の群れに突き落とすなんて。
――――立派な殺害行為でしょう!
魔鬣犬は、ハイエナに似た討伐ランクAの魔獣。
レイズとは瀕死の状況を回復させる聖魔法のことだ。
たいへん強力で切り札的な魔法なのだが、欠点がひとつ。――――レイズをかけられた人間には、聖魔法の残滓が強くこびりつき、その気配というか臭いみたいな『なにか』を、魔のモノがものすごく嫌うのである。
……例えるなら、家の中でゴキブリを見つけた主婦なみの憎悪を抱くらしい。
魔のモノは、レイズを受けた人間に、強烈な嫌悪感となにがなんでも抹殺するという強い決意を持つ。
そして、現在私は、そのレイズをかけられて、魔鬣犬三匹の真ん前にいた。
文句のひとつやふたつ叫んだところで、許してもらえる状況だろう。
そして、私をこんな状況に置いた犯人は、言わずと知れたバルバラだった。
「アハハ! いいざまよ。必死に逃げ惑い泣き喚きなさい! 安心していいわよ。私は優しい聖女だからあなたが死にそうになったら、レイズをかけてあげる。……まあ、その結果がどうなるかは知らないけれどね」
私の後方で、バルバラが高笑いをしている。
つまり彼女は――――私にレイズをかける→魔鬣犬に襲われ瀕死になる→私にレイズをかける――――というエンドレスループをお望みらしい。
ホント、性格が悪いったらありゃしない!
私は、出かかった舌打ちを堪えた。
――――山魔魚の串焼きを食べてから一週間。
私たち勇者一行は、表面上は順調に旅を続けていた。
無事に山中を抜けて国境を目指し、関塞で馬を替え補給を受けて、一路魔王城を目指していたのだ。
問題児のバルバラも、所々で小さな我儘を発揮はしたが、その都度アレンに窘められ、兄に冷たい目で睨まれて、ふてくされながらも着いてきた。
苛々はたまっていたようだけど、それを爆発させても自分の得にはならないことくらいわかっていると思っていたのだ。
なのに……我慢の限度が低すぎるでしょう!
はじまりは、ノーマンが魔鬣犬の群れを発見したことだった。
かなり大きな群れで、総勢七十匹ほどが、リーダーとおぼしき魔斑鬣犬に率いられていたのだ。
相談の結果、この辺りで集団戦の訓練をしておいた方がいいということ意見がまとまったのは、自然な成り行きだっただろう。
ローザが広範囲攻撃魔法を放った後で、兄が討伐ランクAAの魔斑鬣犬を目指して中央突破。
兄の両脇でアレンとノーマンが、残りの魔鬣犬を掃討するということに決まった。
……自分ひとりですべて狩り殺すと言った兄を説得するのがたいへんだったことは、いつも通りだから特筆することでもない。
バルバラは後方支援で、兄のおまけでしかない私は、さらにその後ろで見学のはずだった。
まあ、私も、この規模の魔鬣犬くらいなら多少兄が暴走しても問題ないわよねと、油断していたのも悪かったのかもしれない。
兄たちが十分に遠く離れたと見て取ったバルバラが、私にレイズをかけて魔鬣犬の方に突き飛ばしたのは、戦いがはじまって五分ほど経ったときだった。
それも、自分に身体強化魔法をかけての強力な突き飛ばし。
……結果、哀れ私は、魔鬣犬の群れの端っこ、兄たちが打ち漏らした三匹の真ん中に放りこまれたというわけだ。
「あなたみたいな妹がいなければ、クリスさまは私を見てくださったはずなのよ! ……邪魔者は、散々恐い目に遭って命からがら逃げだせばいいんだわ!」
私がいなくても、兄がバルバラに興味を惹かれることはけっしてないと断言できる。
とはいえ、それを今言っても無駄だろうし、そんな時間もない。
なにより、あんな奴に意識を向けるのも面倒くさかった。
――――もう、仕方ないわよね。
私は、腰に差していた短剣をスラリと抜く。
膝を軽く曲げ、いつどこからの攻撃にも反応できるように意識を研ぎ澄ました。
グォォォッ! という唸り声と同時に、私の首めがけ魔鬣犬が襲いかかってきたのは、そのすぐ後のこと。
軽く上半身を傾けることでその牙を躱した私は、次いで腕を一閃!
襲ってきた魔鬣犬の喉笛を短剣で切り裂いた!
間髪入れず、体当たりしてきたもう一匹を、片足で蹴り飛ばす!
そのまま素早く駆け出して、様子見をしていた三匹めに肉迫し、脳天に短剣を突き刺した!
ガキッ! と、頭蓋骨に埋まった剣を引き抜きながら後方にバック宙返り。
私に蹴り飛ばされてフラフラしていた魔鬣犬の首を背中側から半分切り裂く!
あっという間に三匹の魔鬣犬を屠った私に、バルバラが驚愕の目を向けてきた。
「あ、あ、あなた――――」
「……私、戦えないとか言った覚えはないけど?」
短剣をサッと振り、血を飛ばしながら、そう言ってやる。
こちとら、伊達に十五年も勇者の妹をやってないのである。
幼いときから半ば強制的に兄と行動していた私は――――そこそこの戦闘力を持っていた。
言っちゃ悪いが、魔鬣犬の三匹や五匹や十匹、余裕で瞬殺できる自信がある。
また、そうでもなければ、私を溺愛している兄が、魔王討伐なんていう危険な旅に私を連れてくるはずもなかった。
私を見て絶句しているバルバラに、ニヤリと笑いかけてやる。
「イイモノかけてもらったし、ちょっと憂さ晴らししてくるわね。……ありがとう」
イイモノというのは、バルバラのかけてくれたレイズのことだ。
そのおかげか、それとも私が倒した魔鬣犬のあげた断末魔の悲鳴のせいか、アレンやノーマン、ローザと戦っていた魔鬣犬の一部がこちらに向かって走ってくる。
私は――――口角が上がるのを抑えられなかった。
………………うん。私もいい加減鬱憤がたまっていたのだろう。
そのまま駆け出してしまったのは不可抗力だ、仕方ない。
久しぶりに思いっきり体を動かしながら、私は、我慢はよくないなぁと考えていた。