49.垣間見
それは私に付けられた鎖が、仮面の男に渡される。
そんな刹那の、紙一重。
入れ違い、入れ替わり。何と言おう。
ふとした瞬間の、咄嗟の時に。
私と彼等の立ち位置は、入れ替わっていた。
無情にも競り落とされ、私は望んでもいない運命に落ちていく。
嬉しくもない状況の中、私にかけられた鎖が、目の前の男に繋がる。
この、仮面着用というどうしようもなく怪しく、胡散臭い男。
得体の知れない相手への警戒で、全身の毛を逆立てながら。
私はどうにかして自由を得る為、今後の身を計る為、慎重に動かざる得ない。
どんなに反逆したくとも、どんなに足をすくってやりたくても。
自分の身の不利を弁え、どうにか賢く立ち回らなければ。
未だ仲間からの…アイツからの救出を望まぬ訳ではないけれど。
未だ自由になることを諦めた訳ではないけれど。
状況が許さぬ、この身の上で。
私は自分にできることを見極めながら、虎視眈々と隙を狙うつもりでいた。
そんな私の意思を挫くのは、久慈港とするモノは。
良くも悪くも、私の心を一瞬で揺らしてしまう…アイツ。
強く持とうとした私の意思は、アイツの姿を目にした時にひび割れた。
悲しみと、息苦しいまでの絶望で。
アイツが近くにいるのに、側に行くことができない。
視線を交わし、言葉を交わすことさえできない。
たったそれだけのことが、こんなに辛いなんて思わなかった。
私の鎖を目の前の男が握る。
悔しさに歯噛みしながら私は、無意識に足が動いていた。
咄嗟に、その足を踏んでやろうと心の中で囁く声。
私は素直に、声に身を任せて男の足を踏みつけた。
ぐりっ
抉る様に、躙る様に。
踵に重心を加えて、ぐりぐりと。
すると男は私の顔を見下ろし、仮面から覗く半分の顔で、笑ったのだ。
それはそれはにっこりと、爽やかに。
その瞬間、ぞわっと背筋を悪寒が駆け抜けた。
「ふふふ…っ 可愛い君の悪戯に付き合ってあげたいのは山々なんだけど…」
いえ、わざわざ真面目に付き合おうとしないでください。
何だかこの男、胡散臭いだけでなく…なんとなく、生理的に受け付けない気がする。
微妙に怖いと思いつつ、私はそろそろと半歩後退った。
…が、右足は相変わらず男の足に乗せたまま。
上体を大きく仰け反らせ、離しても、距離を取ったと言うのは違うかもしれない。
男は私の反応にもさして感情を見せず、穏やかな口調で続ける。
「予定にはなかった事が多くてね。そろそろ時間もないみたいだし、移動するよ」
私の都合を意にも留めない、その穏やかな口調。
『人間』にとっての『奴隷』なんてそんなものか。
だけど私は、言い様に扱われる訳にはいかない。
本当は大人しくした方が身の為だと分かるけど。
無抵抗なのは、自分でも納得がいかないし、アイツに対しても情けない。
その一念で、私は勇気を振り絞って
再び男の足を踏みつけた右足に、全体重をかけた。
「………っ」
流石に痛かったのか、男の笑顔の下から、くぐもった呻き声。
それでも笑顔を崩さない、その顔が怖い。
強張ることすらなく、穏やかなままって…この人なんなんだろう。
「---」
私の戸惑いに仮面の下で目を細めながら、男が何事か呟こうとする。
しかし男の声を掻き消す様な、爆音が場を掻き乱した。
「………っ!?」
驚き慌てる、狂乱の声。
驚きに竦みそうになる身体は、それでも騒ぎの元を見極めようと振り向いた。
視線の向かう先は、この競り場の最も大きな正面入り口。
多くの仲間、味方を率い、剣を握る、その姿。
私達魔族を率いて、大志を果たそうと前に立つ。
私はそこに、懐かしい姿を見る。
「グ…っ」
喉の奥に絡む声は、それでも彼奴の名前を呼ぼうと震える。
でも、私は声を出せなかった。
私の口を抑える、男の硬い手のせいで。
「想定したよりも、少し早かったですね」
男は慌てる様子もなく、淡々と述べる。
あまりに淡泊なその感想は、目の前に『解放軍』の一団がいると理解しているのか。
いや、目の奧に理解不能な状況に対する戸惑いはない。理解、している。
理解していて、その反応なのか。
私は不満と、口を封じられた苛立ちで、背後に回った男の足を踏み抜いた。
勿論、先程まで踏んでいた足と同じ場所を狙っての暴挙だ。
「おやおや。暴れるのは後にして下さい?」
それでも男の穏やかな物腰は変わらない。
ほんの少しの苛立ちも見せない態度に、私の緊張はますます高まる。
「この騒ぎに紛れて逃げますよ。貴女は少し、不自由をしていて下さい」
いきなりの襲撃に乱れる競り場。
大勢の『人間』が入り乱れ、阿鼻叫喚を作りつつある。
そんな中で、『奴隷』に身を落とした私の受け渡しの為、舞台袖に引っ込んでいた私達。
私達の姿は、舞台袖の段幕に隠され、丁度『解放軍』達から見ると死角になっていた。
…本当に、間の悪いことに。
直ぐ其処に、仲間がいる。
直ぐ其処に、アイツがいる。
だというのに私は、何もできない。
身を振り切って、自由になることすら。
アイツに対して、助けを求めることすら。
身を飾る薔薇は無惨な状況でも、危機ではないので動かない。
身を守るものも頼りなく、私は簡単に攫われてしまう。
首に付けられた、首輪。
魔族の魔力を封じる、忌々しい首輪。
だけどこの首輪が無かったとしても、私に碌な抵抗はできなかっただろう。
返す返すも、この身が忌まわしい。
戦闘能力も、攻撃魔法すらも使えない、この身が。
仲間の傷を癒し、労る時には誇らしい、この身が。
誇らしと感じるのも、それも全て、自由であればの話だから。
自由を奪われ、縛められている身となれば、逃げ出す力さえない。
六種族の中でも戦闘力の高い部類の魔族。
その魔族に生まれていて、この体たらく。
私はあまりに、無力だ。
一人では何もできない。
助けてくれる誰かが居なければ。
支えて、代わりに戦ってくれる誰かがいなければ。
私に支えさせてくれて、助けさせてくれる誰かがいなければ。
--アイツが、いなければ。
私は自分では戦えないから。
だから、私にはアイツが必要で。
いつだって、傍にいてほしかった。
助け合い、支え合う相手でいたかった。
それが私とアイツの、関係だと思うから。
アイツが傍にいないこの状況で、どんなに自分が無力だと打ちのめされるか。
それを知った今、私はこれまでにないくらい、アイツが傍にいる意味を…
それがそんなに嬉しいことなのかを、涙と共に噛み締めていた。
隠し脱出路に引きこまれ、遠ざかる視線の先。
私は遠く、こちらに気付かないアイツを
誰よりも近くにいて、私が支えるべきアイツを
私の大事な幼馴染み、グターをずっと、逸らしたくない瞳で見つめ続けていた。
その姿が、私に少しも見えなくなるまで。




