59.種子ラフィラメルト
いきなり自我を芽生えさせて、私に語りかけてきたのは妖精の種。
薔薇の妖精ソフィを母に、刺草の妖精ラティを兄に。
そうやって、今ではないいつか、生まれてくるはずだった生命。
それは決して、今ではないはずで。
精神を目覚めさせるのも、ずっと先の筈で。
少なくとも植物として発芽もしていない種が語りかけてくるのは、異常事態だ。
そんな異常事態だというのに。
何故か私の驚きは少なく、胸が温かくなるのを感じていた。
私に語りかけてくる『声』は戸惑い調子で、何となく寝起きの様なぼんやり感がある。
私の体内にあるせいだろうか、『声』の主たる種は、私の意思を口にせずとも感じとっている様だった。言葉にしていない思考へと、子供の声で返事が返る。
--『おねえちゃん、僕、目が覚めちゃったの』
目が覚めちゃったのって、そもそも醒める意識自体が無かったはずじゃ。
--『それがね。さっき、おねえちゃん、何だか大きな力?にふれたでしょう? バチッとして、ぐわってして、バチバチってしたの。そしたら、僕ね、目が覚めちゃってたの』
…大きな力。
神器に触れた影響が、こんな所まで?
--『理由は僕にもわかんない。でもね、とにかくバチッとしたの』
ええぇぇぇぇ?
そんな、生まれる前に自我が芽生えるとか、有り得ないはずなのに。
こんなところにまで神器が影響を及ぼすなんて…精神に弊害をもたらさないかな。
--『わかんない』
…うん。確かに君には分からないだろう。
私に問いかけてくる声の主は、赤ん坊(未満)とは思えないほどしっかりしている。
でも、そこには確かに幼さがあり、頼りなさがあった。
それでも、この種は私の脳内に渦巻く疑問に答えようとしている。律儀だ。
しかし…
未だ誕生前の身、教育の類は受けていないのに、しっかりしすぎじゃなかろうか。
妖精は生まれ方が特殊だけれど、それでも生まれたばかりの時は知識も常識も持たない。
だけど『声』は私の言葉にしっかり応答している。
もしかして、これも神器の為せる技? 何でもかんでも神器のせい?
--『んと、ね。バチッてした時、色んなことが頭に入ってきたの。知識とか、そんな?』
…はい。神器の影響、確定。
これは妖精の種を私の身体に入れていたからこそ、起きた現象だろうか。
身の内に入れていたから、私の身体を通して神器の力が伝わってしまったに違いにない。
それに加え、彼は未だ魂も持っていなかったはず。
謂わば、妖精となる為の空っぽの器の元が仕込まれていた、種。
そこにある空の器に神器の力と、神器の有していた知識が流れ込んだのだろうか。
妖精の種からは、妖精の筈なのに、若干…魔族の気配がした。
私が種との会話に熱を入れ、押し黙っていたからだろう。
男が不審を顔に浮かべ、私に話しかけてきた。
「先程から上の空のようですが…随分と、余裕のようですね」
「そんなことある訳ないでしょう!? この節穴が!!」
あ。つい思わず、包み隠しようのない憤りが、口調に。
露骨な私の態度に男は目を丸くし、「おや」と呟いた。
「貴女は落ち着いた方だと思っていましたが…余裕と言ったのは取り消しましょう」
疲れているようですね、と労り混じりに言われるが、全く嬉しくない。
私の疲労感の最大の原因である男に、何が悲しくて労われなくてはならないのか。
思わず本音を口に出した自分の行い故だが、無性に虚しくなる。
「疲れている様なら、休ませましょう。貴女にはこれからもっと働いてもらうんですから」
「え…」
「本番は、これからですよ?」
お馴染みとなった意味ありげな笑みも胡散臭く、本当に、この男は妖しすぎる。
ヒトとは思えない生き物は、最早生き物かどうかも私には疑問だ。
まるで人形の様に、異質な存在。
同じ空間、同じ部屋。同じ場所にいるのに。
私はどうしても、同じヒトではなく、虚ろなモノと同席している様な…違和感が拭えない。
何事かを企み、私を利用しようと目論んでいるのに。
男の正体を怪しむ私の脳裏に、妖精の種が囁いた。
--『案山子だよ』
え?
案山子? 何…?
--『あのヒト、ヒトじゃないね』
私が怪しみ、断定しながらも口にしなかったこと。
妖精の種はきっぱりとそれを断言した。
未だ生まれてさえいない妖精。そんな特異な存在は、勘も一際優れていそうだ。
でも一応、根拠を聞いておきたい。
この子は、なんでそう思うんだろう?
--『だってさっき、案山子が重なって見えたよ。あの変なの』
変なの。変なの…。
ああ、あの男のことか。確かに、アレは変なのだ。
でも案山子が重なって見えたとは。
そう言えば、私もさっき、あの男と案山子が重なって見えた様な…。
あれ、気のせいとか目の錯覚の類じゃ…なか、った…?
え。案山子…?
要領を得ない妖精の子の言葉は、私の中に疑問を残し。
更なる混乱を、私の頭に巻き起こす。
これから一体どうしろというのか。
男は本当に案山子と何か関係があるのか。
それら一切の疑問を、私一人の頭で考えるには、ちょっと無理があって。
ぐるぐると思い悩むあまり、私の頭は痛んできて。
ついには何も考えることができなくなり、この日は早く休むこととなった。
勿論、神器を抱き枕の様に胸に抱えたまま。
硬く強力な危険物を手放すこともできず、私は寝心地の悪い思いを味わった。
神器の影響で特異な存在になってしまった種が、私に語りかけてくる。
--『おねえちゃん、僕に名前を付けて』
何故?
--『おねえちゃんが名付けてくれたら、僕との間に確かな繋がりができるよ』
繋がり…?
それを作ると、どうなるの?
--『今よりもっと、お話ししやすくなるよ。それに僕も、もっとはっきりする』
はっきりって、意識がはっきりするって意味で合ってる?
--『うん』
会話しやすくする為だけに、名付け親にならないといけないの?
名前って、一生の付き合いになるのよ? わかってる?
--『なんとなく』
なんとなく…なんとなく、か。
あなたは、私が名前を付けても構わないの…?
--『うん。それに、僕を預けたのがお母さんなら、お母さんもそう望んでると思う』
妖精のおばさんが?
それはどうかな…。
あの人は結果的に、何も考えていないかもしれない。
そんな気がひしひしとするくらい、ちょっと独特な人なんだよ?
--『会ったことのないお母さんでも、そう言われると不安になるよー…』
ああ、ごめん。
それで、名前ね。名前。
名前か…。
妖精って、どんな名前を付けたら相応しいんだろう。
--『むずかしく考えなくて良いと思うの。おねえちゃんなりに良い名前を付けてよ』
そう言われると難しいんだけど…。
いきなり妖精の種に打診されて、私は難しく考えて、三日くらい思い悩んだ。
種の母親や兄の名前を参考に、一生懸命考えた。
その結果付けた名前は、ラフィラメルト。
これといって深い意味もない、そんな名前。
難しく考えた挙げ句、最終的に適当に付けた。
そんな名前でも妖精の子は喜んでいたのだから、自分の徒労が悲しくなる。
あんなに悩んだ自分って何だったんだろう…。




