第91話 切り離し条件から始める
翌朝、アシュレイは作業室の壁に一枚の白紙を貼った。
昨日の臨時分類会議で、第二次調査の目的は変わった。深部へ進むためではなく、外縁補助核がどこへ繋がっているかを確かめ、安全に切り離せる条件を作るため。方針は決まった。だが、決まったのは方針だけだ。今日からは、それを誰でも追える手順に落とさなければならない。
「順番を、先に固定します」とアシュレイは言った。集まったのはノラ、ミレナ、それにガルドとローデリクだった。
白紙に三行書いた。
一、どこへ繋がっているかを確認する。
二、安全に切り離せるかを確認する。
三、そのうえで、初めて触れる。
「この順番を、逆にしない。これだけです。規格書には『主基盤との切断確認なく単独稼働させてはならない』とあります。切断を確認してからでなければ動かせない設備です。なら、最初にやるのは起動条件の検討ではない。切り離し条件の整理です」
「起動の話は、一切しない、ということですか」とローデリクが確かめた。
「します。ただし最後です。切り離せると分かるまでは、起動の検討にも入りません。順番が命です」
ローデリクは頷いて、その三行を監査上の調査方針として正式に受理すると言った。
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ノラが、調査の証拠管理枠を先に用意した。
「接続先を追う作業は、これまでと性質が違うわ。坑道の中を測るのではなく、設備がどこと繋がっているかを追う。観測点が街の各所に散らばる可能性がある。だから、観測票の様式を先に決めておく。観測点の位置、日時、波形、二名確認、参照した記録。これを最初から揃えれば、後で接続図にできる」
「お願いします。接続図そのものを、新しい原本にします」
ミレナは掲示文を更新した。掲示板の「旧基盤系統の確認状況」に、一行を足す。
「調査は、設備を動かす段階ではありません。どこへ繋がっているかを確かめる段階です」
「住民には、それで伝わりますか」とアシュレイが聞いた。
「伝わるかどうかより、嘘がないことが大事です。動かす検討に入った、と書けば、不安になる人もいる。まだ確かめている段階だと正直に書く方が、長く持ちます」
黙って三行を見ていたガルドが、口を開いた。
「一つ、現場の話をしていいか」
「お願いします」
「切り離す、と簡単に言うが、現物を見た限り、あの補助核には切り離し口らしきものが見当たらない。配電盤なら遮断器がある。水路なら堰がある。だが、あの設備には、そういう『ここを切れば独立する』という分かりやすい接ぎ目がない」
「埋まっている可能性は」
「ある。固定具の奥か、漆喰の下か。だが、掘って探すのは順番が逆だ。どこへ繋がっているか分からないまま接ぎ目を探して掘れば、その接ぎ目ごと壊しかねない」
アシュレイは頷いた。ガルドの言うことは、三行の二行目そのものだった。安全に切り離せるかを確認する。それは、切り離し口がどこにあり、それを切っても主基盤側が暴れないと確かめることだ。
「では、切り離し口を探すのも、接続先が分かってからにします」
「それでいい。順番を守るなら、俺は触らずに待つ」
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昼前、市庁の小会議室で、案の定、焦れた声が出た。
「いつまで確認ばかりなのか」と、資産管理部門の役人が言った。「分類も変えた。規格書も来た。そろそろ一度、設備に通電してみればいいのではないか。動かせば、どこへ繋がっているか一発で分かる」
「分かりません」とアシュレイは静かに返した。「分かるのは、繋がっている先にも影響が出てから、です。主基盤がどこかにある前提で作られた設備です。試しに動かして、その先がイルダンの中央魔力炉だったら、街の灯りが一斉に揺れます」
「そんな大げさな」
「大げさかどうかも、今は分かりません。分からないから、確かめてから動かすんです。順番を守るのは、臆病だからではありません。取り返しのつかないことを、取り返しのつくうちに止めるためです」
ベルグが末席で腕を組んでいた。
「で、商売はいつ戻る」
「戻す時期は、まだ約束できません。ただ、何が分かれば次へ進むかは、今日決めました。接続先が分かり、切り離せると確認できたら、次の段階です。期限ではなく、条件で進みます」
ベルグは小さく舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。条件が一つずつ示されている限り、頭ごなしには否定しにくい。それが、ミレナの掲示と、ノラの記録が積み上げてきたものだった。
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午後、いよいよ接続先を辿る作業に入った。
まずは記録からだ。原本台帳、設備台帳、旧坑道図。外縁補助核に当たる設備の、接続先の記載を探す。ノラとミレナが手分けして、該当しそうな頁をめくっていく。
だが、一時間が過ぎても、二時間が過ぎても、出てこなかった。
「ないわ」とノラが顔を上げた。「外縁補助核の接続先が、どの記録にも記載されてない」
「古い設備だから、抜けているということですか」
「それなら、まだ分かるの。でも、おかしいのよ」
ノラは別の台帳を開いて、並べた。
「他の停止資産には、接続先の記録が残ってる。古い設備でも、どこへ繋がっていたかは書いてある。なのに、外縁補助核だけ、接続先の欄が系統的に空白なの。一箇所ではなく、関係する記録の全部で」
アシュレイは二つの台帳を見比べた。片方には接続先がある。片方にはない。同じ年代の、同じ様式の記録で。
「抜け落ちたのではなく、最初から書かれなかったか、後から消されたか」
「どちらかは、まだ言えないわ。ただ、偶然で、この設備の接続先だけが全部消えるとは思えない」
報告を聞いたローデリクが、台帳の空白欄を指でなぞった。
「監査の観点で言えば、これは『原本欠落』として正式に記録すべき事案です。接続先という、設備管理の根幹に当たる情報が、特定の設備についてだけ系統的に欠けている。過失か作為かは別として、記録としては重大な欠落です」
「作為だと、書きますか」とアシュレイが聞いた。
「書きません」とローデリクは即答した。「今あるのは『欠けている』という事実だけです。誰が消したかも、消したのかすら、まだ証拠がない。『欠落あり』と記録し、現場観測で補う。責任の追及は、経路が見えてからです」
アシュレイは頷いた。記録が消えていると分かると、つい誰かを疑いたくなる。だが、疑いを先に書けば、それ自体が次の記録を歪める。鍵記録の攪乱を扱ったときと、同じ姿勢だった。誰が悪いかより先に、どの情報がどこから欠けているかを切り分ける。
「では、欠落は欠落として記録し、接続図は現場で作ります」
「それが、今できる一番正直なやり方です」
切り離し条件から始める、と決めた初日に、最初の壁が出た。
どこへ繋がっているかを確認する。その一行目で、もう記録は役に立たなかった。設備の繋がり先を、誰かが、記録の上から消している。
アシュレイは白紙の三行を見た。一行目に、小さく書き足した。
「記録に接続先なし。現場観測で接続図を作る」
記録が語らないなら、現場が語るしかない。明日からは、坑道ではなく、街そのものを測ることになる。




