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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第6章:旧鉱山区画の未管理資産〜眠る遺構を、台帳に載せろ〜
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第53話 帰還した監査官と、台帳にない坑道

 王都魔導庁における大規模障害を食い止め、新たな『王国標準運用保守規程』を打ち立てた男の帰還は、辺境都市イルダンを熱狂で包み込んでいた。


「おおっ! グランの旦那が帰ってきたぞ!」


「王都の偉い奴らを黙らせて、特任の監査官になったんだってな! やっぱり俺たちの街を直した男は最高だぜ!」


「グランさーん! こっちのリンゴも持っていってくれ!」


 城門を抜けたアシュレイ・グランを乗せた馬車は、沿道に集まった住民や商人、職人たちの歓声と拍手に迎えられていた。

 かつて彼が王都を追放され、この街に初めて足を踏み入れた時は、誰一人として彼に期待などしていなかった。役人への憎悪と諦めだけが渦巻いていた街は、彼の実務によって息を吹き返し、今や彼を英雄として迎え入れている。


「……どうにも、慣れませんね」


 馬車の窓から軽く手を挙げて応えながらも、アシュレイは小さくため息をつき、地味な外套の襟を直した。

 彼にとって、王都での活躍は「当然の障害対応と制度設計」を行ったにすぎない。英雄として祭り上げられるのは、個人の能力への属人化に繋がりかねないため、本質的には避けたい事態だった。


 馬車が役所の前に到着すると、アシュレイは足早に降り、使い込まれた工具入れを腰に提げ直して中へと入った。


 一階の騒ぎを抜け、地下の執務室へと続く重い扉を開ける。

 そこには、イルダンの再建を共に担ってきた実務者たちが、すでに万全の態勢で待ち構えていた。


 若手事務官のミレナ、会計監査官のノラ、見張り隊副隊長のリオネル、職人頭のガルド、そして商人ギルド支部長のセルマ。

 巨大な長机の上には、真新しい封鎖図面、掲示文の写し、物流の迂回記録、そして分厚い台帳が理路整然と並べられている。


「グランさん! お帰りなさい!」


 ミレナが顔を輝かせて駆け寄ってくる。

 アシュレイは短く頷き、部屋の全員を素早く見渡した。緊迫した空気の中にも、悲観的な混乱はない。それぞれが自分のやるべきことを理解している者の顔つきだった。


「ただいま戻りました。挨拶は後にしましょう。……事態はミレナさんからの通信で大筋は聞いています。旧鉱山区画の外縁で、異常な痕跡と不審者の活動が確認されたと」


 アシュレイは机の前に立ち、最も重要な質問を、静かに、だが鋭く投げかけた。


「皆さんに一つ、確認します。……中へ、入りましたか?」


 坑道の中に足を踏み入れたかどうか。

 その一言に、部屋の空気がピンと張り詰めた。


 リオネルが一歩前に出て、実直な声で答えた。


「入っていない。俺の部下には、封鎖線の外側からの観察のみを命じ、内側へは一歩も踏み込ませていない」


「俺たち職人も同じだ」


 ガルドが腕を組んで鼻を鳴らす。


「中がどうなってるか分からねえのに踏み込めば、命も証拠も失うからな。安全な距離から、入れる状態じゃねえってことだけを確認したぜ」


「封鎖命令の原本と、各所への通達の受領印はここにあるわ」


 ノラが、赤い封蝋が押された書類をトントンと指差す。


「口頭での指示は一切出していない。解除条件は『あなたの現地確認と承認が下りるまで』よ」


「商人ギルドの迂回手配も完了してる。少し不満は出たけど、道の崩落リスクを計算して黙らせたよ」


 セルマが、ニヤリと笑って付け加える。


 踏み込まなかった。

 口頭指示で済ませなかった。

 迂回告知を徹底した。

 解除条件を明確にした。


 アシュレイの張り詰めていた表情が、ふっと和らいだ。

 彼の目には、王都のどのエリート技師を見る時よりも深い、心からの敬意が宿っていた。


「……素晴らしい。完璧です」


 アシュレイは手帳を開き、短く、だが確かな賞賛の言葉を紡いだ。


「障害対応において、最も難しく、そして最も重要なのは『何をしたか』ではなく『何をしなかったか』です。危険な現場を前にして、功を焦らず、勝手に踏み込まず、現場の状況をありのままに保全する。……あなたたちの初動は、運用保守の実務として最高水準でした」


 その言葉に、ミレナがホッと胸を撫で下ろして頬を緩ませる。

 ガルドも照れくさそうに頭を掻き、リオネルは誇らしげに胸を張った。

 自分たちがアシュレイ不在の中で下した判断が、完全に正しかったと証明されたのだ。


「では、本題に入りましょう。ミレナさん」


「はい! 初動の時系列をご報告します」


 ミレナが手元の書類を読み上げる。

「一昨日未明、旧鉱山区画方面で地鳴りと泥水の流出、および新しい轍を確認。これらを『異常の可能性あり』として一次記録として受理しました。その後、臨時会議にて暫定封鎖を決定し、実行に移しています」


 ミレナの報告を受け、アシュレイはノラに向き直った。


「ノラさん。旧鉱山区画の『過去の記録』はどうなっていますか?」


「それが、最大の問題よ」


 ノラは表情を険しくし、分厚い台帳を開いた。


「閉鎖を指示した行政の命令書らしき写しはあるわ。でも、それを裏付ける『原本』が存在しない。閉鎖工事の完了報告も、封鎖責任者の名前も、撤去した設備の一覧も、すべて欠落している」


 ノラは台帳のインデックスを強く指差した。


「さらに、この場所は『停止資産』としての管理番号すら振られていない。過去に坑道を埋めた記録もなければ、埋めなかった記録もないのよ」


 閉鎖されたはずの場所が、書類上は完全に透明な空白地帯になっている。

 この事実が意味する重大さを、アシュレイは瞬時に理解した。


「なるほど……。ボルトン前市長の時代か、あるいはさらに前か。意図的に管理の目から外された区画というわけですね」


「ええ。行政の記録では、旧鉱山区画は『存在しない』ことになっているわ」


 ノラが忌々しげに言うと、アシュレイは静かに首を横に振った。


「台帳にないものは、存在しないのではありません。……管理されていないだけです」


 その一言が、会議室の空気を一変させた。

 ただの謎の廃坑ではない。不気味な心霊スポットでもない。


「これは、冒険者や騎士が挑むような『古代遺跡の謎解き』ではありません。私たちが扱うべき、ただの『未管理の基盤資産』です。……中に古代遺構らしき反応があるとしても、まずやるべきは神秘の解明ではなく、封鎖・調査・台帳化・保全という通常の手順を適用することです」


 アシュレイの冷徹な定義により、旧鉱山区画は正式に彼ら運用保守チームの「業務」として位置づけられた。


「現場の状況はどうなっていますか」


「入り口の支保工しほこうを見てきたが、妙なことになってるぜ」


 ガルドが、自ら描いた現場のスケッチを机に広げた。


「朽ちた古い木材の奥に、最近真新しく入れ替えられた太い支柱があった。素人の盗掘じゃねえ。地下の重みを分かってる職人の手際で、入り口が崩れねえように補強されてやがる」


「商人ギルドの裏帳簿も洗ったよ」


 セルマが、何枚かの納品書の写しを重ねる。


「ここ数日、ギルドを通さずに大量の木材、魔力樹脂、それに携帯食料を買い占めた業者がいる。表向きは別の都市への配送になってるが、馬車が向かった方角は明らかに旧鉱山のルートだね」


 現場の物理的な違和感と、物流の不自然な流れ。

 それらが一つに繋がり、「未管理資産の中で、大規模な無断作業が行われている」という事実が浮き彫りになる。


「……グランさん。あなたが戻ったなら、すぐにでも解決できますよね?」


 会議室の隅で同席していた住民代表の一人が、期待を込めた目で身を乗り出した。


「王都の危機を救ったあなたの腕なら、魔法か何かであっという間に原因を突き止めてくれるんでしょう?」


「そうだな。グランの旦那が実際に中を見て配管や魔力の流れを探れば、何が起きてるか一発で分かるんじゃねえか?」


 ガルドも、実力への信頼ゆえに少しだけ同意するような口ぶりを見せた。


 だが、アシュレイは即座に、冷水を浴びせるようにそれを否定した。


「中に入れば、状況はすぐに分かるかもしれません。……ですが、分かるために現場を壊しては意味がありません」


「現場を、壊す?」


 ガルドが眉をひそめる。


「ええ。未管理資産に踏み込むということは、長年放置された劣悪な環境と、不審者が残した罠や痕跡の中に飛び込むということです。事前の調査もなしに足を踏み入れれば、崩落を引き起こして人命を失うか、あるいは貴重な『証拠のログ(足跡や泥の流出経路)』を踏み荒らすことになります」


 アシュレイは住民代表とガルドを交互に見据え、実務者としての強い意志を込めて言った。


「即断即決で謎を解くことが正しいとは限りません。私たちがやるべきは、現場を安全な『管理対象』へと移すためのプロセスを一つずつ踏むこと。……まずは、外部からの危険評価と、完全な封鎖の維持です」


 英雄的な一発逆転を求めない、愚直なまでの手順の重視。

 それこそが、アシュレイ・グランという男の強さだった。


「……違いねえ。俺としたことが、旦那の腕を過信して基本を忘れるところだった」


 ガルドが反省したように頭を掻く。


「リオネルさん。封鎖線の外側に、私が以前渡しておいた『簡易魔力計』は設置してありますか?」


「ああ。指示通り、地中の魔力振動を拾えるように杭を打ち込んで設置してある。記録紙も回収してきた」


 リオネルが、束になった細長い記録紙をアシュレイに手渡す。

 アシュレイはその記録紙を机に伸ばし、波形を一つ一つ目で追っていった。


 やがて、彼の手がピタリと止まる。


「……グランさん、何か分かりましたか?」


 ミレナがゴクリと唾を飲み込んで尋ねる。


「ええ」


 アシュレイは記録紙の波形を指先でなぞりながら、ひどく静かな声で呟いた。


「この魔力振動……。坑道の入り口付近から出ているものではありません。さらにその奥、地中深くの基盤層から、微弱ですが規則的な波形が発信されています」


「地中深くから……?」


「波長のパターンは、私が先日王都の最下層で再起動させた『旧式安全核マスターコア』のものによく似ています」


 アシュレイは顔を上げ、窓の外――遠く離れた旧鉱山の方角を見据えた。


「……ですが、同じものではありません。全く別の、強大な『何か』が眠っている。……不審者たちは、明らかにこれを狙っています」


 王都の大規模障害を防いだばかりの男の前に、今度は辺境の地下深くに眠る未知のシステムが立ちはだかろうとしている。

 だが、アシュレイの目にあるのは恐れではなく、次なる実務へ向けた冷徹な光だった。


「準備を急ぎましょう。入る前に、すべての危険を数え上げます」


 台帳にない暗闇を、白日の下の管理下へ引きずり出すための戦いが、静かに幕を開けた。

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