第32話 戻った王都は、正常を装って壊れていた
三ヶ月ぶりの王都は、辺境都市イルダンとは対照的に、目も眩むような光と喧騒に包まれていた。
三日後に迫った『建国記念祭』に向けて、街の至る所には色とりどりの魔導ランプが飾られ、上空には王家の紋章や巨大な竜の幻影が優雅に舞っている。石畳の目抜き通りには華やかな衣装を着た人々が溢れ、祝祭の熱気が百万の民を熱狂させていた。
だが、乗り合いの長距離馬車から降り立ったアシュレイ・グランの目に映る光景は、一般の市民とはまったく異なるものだった。
「……ひどい有様だな」
アシュレイは外套の襟を立て、通行人の波に逆らうように歩きながら、手元の擦り切れた手帳に次々とメモを書き込んでいった。
『中央広場の大時計、秒針の駆動に〇・五秒の遅延』
『南区画の街灯群、三分に一度のペースで魔力供給の瞬断が発生』
『地下を走る魔導管の通気口から、異常なオゾン臭と排熱を確認』
王都は、正常を装って壊れかけていた。
上空の巨大な幻影は一見すると美しいが、輪郭の端には明らかなノイズが走り、時折ノイズを打ち消すために不自然な魔力のスパイク(急上昇)が起きている。
市民たちは「たまには調子も悪くなるさ」と笑って気に留めないが、運用保守を司る者の目から見れば、これは巨大なシステムが限界点を超え、末端から悲鳴を上げ始めている明らかな兆候だった。
アシュレイが王都最大の物流拠点である中央輸送駅に差し掛かった時、その「末端の悲鳴」が目に見える形で噴き出した。
ガガガガッ! という不快な金属音と共に、地下倉庫から祭りの巨大な資材を運び上げていた『魔導昇降機』が、中腹で急停止したのだ。
「おい、また止まったぞ! 今日だけで三回目だ!」
「クソッ、よりによって一番重い資材を積んでる時になんでだよ! 保守局の連中は何をやってるんだ!」
「早く直せ! 祭りの準備が遅れたらどう責任を取るつもりだ!」
現場の商人や祭りの実行委員たちが怒号を飛ばし、灰色の作業着を着た王都の末端技師たちが数人がかりで昇降機の制御盤にしがみついていた。
「だ、ダメです! モーターの魔力石を新しいものに交換しましたが、ピクリとも動きません!」
「通信リレーの故障か!? いや、そもそも魔力が来てないんじゃないのか!?」
「とにかく配線を全部見直せ! 部品の予備はまだあるか!?」
若手の技師たちがパニックになり、見当違いの部品交換を繰り返そうとしている。
アシュレイは小さく息を吐き、人混みを掻き分けて制御盤の前に歩み出た。
「モーターも通信リレーも正常です。無駄な部品交換は、復旧を遅らせるだけですよ」
唐突に現れた地味な外套の男に、技師たちがギョッと目を見開く。
「な、なんだあんたは! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「モーターが焼ける特有の臭いがしない。通信リレーのランプも、微弱ですが緑色に点滅している。つまり、機器の故障ではなく、魔力網からの供給不足による電圧降下――典型的な通信のタイムアウトです」
アシュレイは腰の工具入れから魔導テスターを引き抜き、迷いなく制御盤のカバーを開け放った。
「現在の王都の基幹網は、おそらく過負荷で応答が著しく遅延している。昇降機の安全装置が『魔力が切れた』と誤認して、強制ブレーキをかけている状態です」
「お、おい! 勝手に触るな!」
「三十秒で直します」
アシュレイの指先が、目にも留まらぬ速さで配電盤の中を這う。
末端の技師たちが理解するよりも早く、彼は安全装置の認識閾値を示すダイヤルを調整し、同時に近隣の照明用回路から余剰魔力を細いバイパス線で昇降機へ直接流し込んだ。
イルダンの中央魔力炉で、毎日のように行っていた「泥臭い応急処置」に比べれば、一つの昇降機の調整など児戯に等しかった。
「安全装置のタイムアウト設定を延長し、別回路から直接起電力を確保しました。……再起動を」
呆気にとられていた技師の一人が、半信半疑のまま起動レバーを引く。
ズォォォン……!
重々しい駆動音と共に、完全に沈黙していた昇降機が滑らかに上昇を再開した。
「おおっ! 動いたぞ!」
「すごい……あんな短時間で、しかも部品を一切交換せずに……」
商人たちから歓声が上がる中、技師たちは信じられないものを見るような目でアシュレイを取り囲んだ。
「あ、あんた、一体何者だ……? 王都の保守局でも、あんな的確な原因の切り分けができる人間なんて、ほんの一握りしか……」
「ただの実務者ですよ。それより、この回路のバイパスはあくまで応急処置です。根本的な電圧不足が解決したわけではないので、連続稼働は控えてください」
アシュレイが淡々と忠告して立ち去ろうとした、その時だった。
「相変わらず、現場を見ると手を出さずにはいられないようだな、アシュレイ・グラン」
落ち着いた、だが威厳のある声が響いた。
振り返ると、そこには王都監査院の制服に身を包んだローデリク・フェインと、その背後に隠れるようにして立つ、見覚えのある若手技師――エルリックの姿があった。
「……ローデリクさん。それに、エルリックも。無事でしたか」
「主任……! 本当に、本当に戻ってきてくれたんですね……!」
エルリックは今にも泣き出しそうな顔で、アシュレイの前に進み出た。その目の下には濃いクマが刻まれ、極限の疲労が見て取れた。
ローデリクは周囲の目を気にするように周囲を一瞥し、アシュレイに一枚の銀色のプレートを手渡した。
そこには『王都監査院・特別技術顧問』という刻印があった。
「君がイルダンで成し遂げた完璧な再建と、あの一切の隙もない運用体制。……あれは、王都の監査院本庁でも大きな話題になった。私は『イルダンの再建を公式に認めた監査官』として、君をこの王都の監査に協力させる特例の許可をもぎ取ってきた」
ローデリクは、不敵に口角を上げた。
「これでもう、君は王都を不法に歩き回る『追放された部外者』ではない。正当な理由を持って王都魔導庁に立ち入れる、正式な監査官の技術顧問だ。……ダリウスの連中も、表立って君を排除することはできない」
「助かります。これで、堂々とシステムの中枢に触れられる」
アシュレイは銀のプレートを外套のポケットにしまい、エルリックへと向き直った。
「エルリック。手紙に同封されていたログは見ました。……状況は、私の想像以上に悪いようですね」
「はい……。場所を変えましょう。ここでは、誰に見られているか分かりません」
◆◆◆
監査院が手配した地下の秘密の資料室。
分厚い石壁に囲まれた薄暗い部屋の机に、エルリックは大量の羊皮紙の束を広げた。
それは、魔導庁の上層部が隠蔽している「王都魔力網の本当のログ」だった。
「ダリウス局長は、建国記念祭の目玉として、王都上空に過去最大規模の幻影を展開しようとしています。そのために、既存の基幹網に五基もの『特大魔導増幅器』を無理やり追加接続しました」
エルリックが震える指で示した配線図を見て、アシュレイは眉をひそめた。
「狂気の沙汰ですね。既存の魔導管の耐久値を完全に無視している。これでは、末端に魔力が行き渡らなくなるのは当然だ。……先ほど昇降機が止まったのも、これに魔力を吸い取られているからです」
「はい。現場からは毎分のように過熱や出力低下のエラー報告が上がっています。ですが、ダリウス局長は『祭りの威信に関わる』と言って、増幅器の停止を絶対に認めません。それどころか、私たち保守局の末端技師に、現場のログを改ざんして『正常値』として報告するよう強制しています」
エルリックが項垂れる。
「もう限界です。このまま増幅器をフル稼働させれば、数日以内に王都南区画の中央魔力路で連鎖遮断が発生します。……何十万人もの命が危険に晒されるんです」
ローデリクが重々しく頷いた。
「監査院としても、異常の匂いは察知している。だが、彼らは書類上の数字だけは完璧に『正常』に取り繕っているため、正式な調査に踏み切れないでいた。……君が来てくれて、本当に助かった」
「いえ、直す前に止めるのが保守の鉄則です。原因が分かっているなら、物理的に増幅器を切り離せばいい」
アシュレイは膨大なログの束を、凄まじい速度で読み解いていく。
温度異常、水圧の低下、結界のノイズ。あらゆる数値が、システムが死に向かっていることを示している。
だが、そのログの束を捲っていたアシュレイの手が、ふと、ある一枚の用紙の前でピタリと止まった。
「……アシュレイ?」
ローデリクが怪訝そうな顔をするが、アシュレイの目は、その一枚の紙に釘付けになっていた。
「エルリック。……この『旧式安全核』の警告履歴は、なんだ?」
「え? あ、それは……王都の地下深くに設置されている、一番古い安全装置のログですが……」
「白紙だ」
アシュレイの声が、氷のように冷え切った。
「これだけの異常が王都全域で起きているのに、街の暴走を防ぐ最後の砦である旧式安全核が、ただの一度も『警告』を出していない。稼働している際に出るはずの、微細な正常ノイズすら記録されていない。……こんなことは、絶対にあり得ない」
エルリックも息を呑んだ。
「そ、それは……確かに。フィルターで警告を隠蔽している他の設備とは違って、安全核のログは本当に『何もデータが送られてこない』状態なんです。古い設備だから、とうとう寿命で壊れたんだと、上層部は……」
「寿命なわけがない」
アシュレイは、ドンッ、と机を強く叩いた。
「安全核は、異常を検知すればシステム全体を強制停止させる『最後のブレーキ』だ。ダリウスは、増幅器の接続による強制停止を恐れたんだ。だから……安全核が異常を検知できないように、物理的にセンサーの接続を切り離した(目隠しをした)んだ!」
その事実が意味する恐ろしさに、ローデリクの顔から血の気が引いた。
「ま、待てアシュレイ。それはつまり……」
「ええ。今の王都は、ブレーキの配線を切られたまま、限界速度で坂道を下っている荷馬車と同じです。……ひとたび炎上すれば、それを自動で止める手段はもう、この王都には存在しない」
隠蔽されたエラー。
正常を装う街。
そして、人為的に殺された最後の安全装置。
アシュレイは、手帳をパタンと閉じた。
辺境で都市を立て直した実務者の目に、これまで以上の鋭い光が宿る。
「……王都の連中には、再教育が必要です。運用保守という仕事が、どれほど重い意味を持っているのかを」
壊れゆく都の中心で、かつて追放された裏方実務者の、最大の「障害対応」が幕を開けた。




