04 厄介スイッチは突然に
ロゼルフィーユ・グレイシアは、宰相の父と、元王女である母の間に生まれた、サラブレッドである。髪の毛先から、血の一滴に至るまでが高貴なのだ。
そんな、いわば"公爵家のお姫さま"の彼女であるが、外出はお手のものである。
実際に町に降りなければ民のことは分からないというのが、彼女の持論だからだ。
「ネリネ、ラナン。あなた達、無理に私に着いてくる必要はなくてよ」
「いいえ、ロゼ様!私ども、ロゼ様のためなら、地の果て、天の果てまでも!」
「最果ての魔王城までご同行する覚悟ですわ!」
馬車に揺られながら、拳を握りしめて、ロゼルフィーユの対面に座る二人の令嬢が、示し合わせたように頷いた。
ネリネとラナン。
二人は、ロゼルフィーユの魔導学院からの友人……いわゆる"取り巻き"だ。ロゼルフィーユが高らかに何か宣言をすると、「全くその通りですわ!」「わきまえてくださいまし!」と背後から援護射撃をしてくる二人である。
魔導学院の出身、それも公爵令嬢ロゼルフィーユとの付き合いを許されているだけあって、二人とも伯爵家の出身である。
「お父上に許可は取っているの?」と聞けば、ネリネとラナンは顔を見合わせて気まずそうにした。なるほど、後でそれぞれの家に謝罪を入れなければならないらしい。ロゼルフィーユは「伯爵家への謝罪」を、未来のタスクに加えた。
「それにしても、馬車というのは、存外窮屈なものなのですね……。私、そこまでは乗ったことがなくて。ロゼ様、大丈夫ですか?」
「ええ。私は。視察でよく使っていますもの」
「よくあの、"農民出身の聖女様"も着いて行かれていましたわね……。ロゼ様の後をついていく、雛のようでしたもの」
ネリネがほんの少しの悪意を載せて発した言葉に、ロゼルフィーユの顔が険しくなる。ラナンがネリネを止めようとしたが、少し遅かった。
「ネリネ、あの聖女の悪口を言って良いのは、この私だけですわ」
エメラルドの瞳に、剣先のような鋭さを乗せて、ロゼルフィーユはそう言った。ネリネはすぐさま、申し訳ございませんと謝罪をした。
ロゼルフィーユは彼女を宥めた後で、窓の外を見た。
ゆっくり流れていく景色は、見慣れた光景を写している。ちょうど、魔導学院の側を通っていた。
――――あの悪夢のような魔導学院転入生事件から数日が経った頃。
ルミナは、ロゼルフィーユを「転校初日に虐められている所を助けてくれた!」とでも思ったのか、親鳥についてくるように、ぴよぴよと後を着いてくるようになった。
『ロゼルフィーユさん〜!』
『魔物の群れですって!?わたしも行きます、ロゼルフィーユさん!』
『こっちは制圧終わりました!加勢します!』
「…………………………………………」
思い返すと、淑女にあるまじき悪態をつきそうになる。
ルミナという女は、ニコニコとロゼルフィーユの後を着いてきながらも、光魔法については圧倒的にロゼルフィーユを上回っているという、タチの悪さを持っていたのだ。
✴︎
魔導学院のすぐ近くで魔物の群れが出現し、ロゼルフィーユが防衛に向かった時があった。
ロゼルフィーユは、一目見て状況を把握した。その時、魔物の群れは北と南の二方向から来ていて、魔導学院近くの村を狙っていた。
北の軍勢は、魔王の本気を示すように大軍だった。だが、南の軍勢を放置すれば、挟撃に遭う。
王都の騎士や魔法使いが駆け付けるには時間がかかる。恐らくは、魔導学院の生徒が駆け付けることを見越し、本命は"その殺害"であったのだろう。いずれ自分を殺すかもしれない聖女を、まだ青いうちに摘んでしまおうという、姑息な手だった。
魔導学院の生徒は、高貴な出の子息や令嬢ばかりだ。かたや、進撃を受けようとしている村は、所詮平民の集まる村。そんな者のために、命を賭けようと思う貴族も、そんなリスクを犯させる教師もいなかった。だが、このまま何もしなければ、村は制圧され、無辜の民が死に絶えるのは、目に見えていた。
魔王の策略だとは、理解していた。
そういう、"民を人質に取った時に現れる人間"が聖女である可能性が高いと、そう、魔王は考えたのだろう。
だが、民を見捨てて、何が貴族だろうか。
ネリネとラナンだけは、教師を退けて出て行ったロゼルフィーユについてきてくれようとしたが、ロゼルフィーユは、彼女たちには助けを呼びに行かせた。
ロゼルフィーユは単騎で、魔物の軍勢に立ち向かった。
絶対に進軍させる訳には行かないのは、南の方だった。北の軍勢は、少しばかり時間を稼げば、なんとか、騎士たちが間に合うかもしれなかった。だが、南はそうもいかない。
光の障壁を展開しながら、ロゼルフィーユは、魔物の鋭い爪を受けて出血した肩を押さえる。
雑魚ばかりかと思ったが、違った。魔王は、それなりに、本気だ。緻密に、気取られないよう、こんな軍勢を少しずつ送り込んでいたとは。
南の軍勢は北よりも少ないとはいえ、魔法の一撃で殺せるレベルではない。二撃、いや、三撃を打ち込んでようやく、消滅する。
魔力の残量は、まだあるとはいえ、消耗戦だ。ロゼルフィーユは、背後に目を送った。村。村を捨ててしまえば、簡単な話にはなる。だが、そんなことは、一度たりとも頭を過らなかった。
戦う。魔法を展開する。戦う。戦う。魔力が尽きても、悪あがきとばかりに、細腕でレイピアを振るった。
…………そして、とうとう、魔物の鉤爪が、ロゼルフィーユの眼前に迫った。
『(ああ――――だめね、私が死んでは、村が……)』
重い右手をあげて、光魔法の衝撃波をぶつけてやろうとしたところで、ロゼルフィーユは、魔力切れを思い出した。ああ、こんな初歩的なことを忘れているなんて、頭がだいぶ回らなくなっているのねと、他人事のように思ったのを、覚えている。
スローモーションのように、鉤爪が迫ってくる。
ロゼルフィーユの美しい顔に、影が落ちた。乾いた唇を噛めば、血の味がした。
神の奇跡でも無ければ、逃れようのない死。
『――――光よ、悪を殲滅せよ!』
その声が聞こえた途端。
目を開けていられないほどの光が、背後から、差し込んだ。
ロゼルフィーユは、自分の傷が癒されていく感覚を感じた。一方で、目の前の鋭い鉤爪を持つ魔物は、その爪先から塵になった。光が、押し寄せる波のように、ロゼルフィーユの背後から、目の前の魔物の軍勢に迫る。魔族の軍勢は、最初から、存在を許されなかったかのように、塵になって消えていった。
ロゼルフィーユは、愕然とした。
あんなにも無数にいたかに見えた、魔族。それが、最初からそんなものは存在しなかったかのように、消え失せたのだ。
『ロゼルフィーユさん!』
その魔法の主。
ルミナが、村の方から駆けてきた。ようやく手入れを覚えたのか、艶が出てきたミルクティー色の髪。桃色の瞳には、ロゼルフィーユへの心配を載せて。北の軍勢を殲滅してきたのだろうにも関わらず、制服に一才の乱れも破れもなく。まるで、学院で授業を受けている時とさほど変わらないように見えた。
ルミナは、駆け付けてすぐ、ロゼルフィーユの格好に目を留めた。
無我夢中で戦っていたせいで、彼女の格好は、公爵令嬢の格好とはとても言えなかった。制服のベスト部分は大きく切り裂かれて、胸元が露出していたし、膝下まであるスカートは、邪魔だからと裂いてスリットを入れてしまった。ルミナは、自分の汚れひとつない制服のジャケットを、膝をつくロゼルフィーユに被せると、屈託なく笑った。
『ロゼルフィーユさん、無事でよかった…!』
ルミナの頭の後ろから差し込む光。
彼女が引き連れてきたであろう騎士たち。
後に"ルミナの奇跡"と呼ばれるようになるこの出来事。その演出の一部となった己。ロゼルフィーユの意識が、急に、過去から浮上した。
「あ、あ、あんっの、女………………!!」
感謝を置いておいて、先に屈辱に拳を震わせる。いや、この聡明な公爵令嬢は、確かに間違いなく、感謝はしているのだ。実際に、ルミナにもその後、屈辱を心のうちに押し込みながら、彼女は礼を言っている。命の恩人に礼節を欠くのは圧倒的に美しくないからだ。
だが、それはそれ、これはこれ。
「ロゼ様、いけません!お口からお言葉がまろび出てしまっておりますわ!」
「よ、よくも、あんな衆目で、私のことを辱めて………!!」
「お仕舞いになって、ロゼ様!頑張って!飲み込まれて!聖女ルミナに悪意は無かったのですわ!」
「ええ、そうですわね!あの女に悪意なんて一つもないでしょう!"ロゼルフィーユさん、無事でよかった〜"とほざく心のうちは、そのまま"ロゼルフィーユさん、無事でよかった〜"ですわ」
わなわなと、揺られながら拳を握りしめるロゼルフィーユ。顔を見合わせたネリネとラナンのうち、おずおずと、ラナンが口を開いた。
「その、意外と、ロゼ様の仰る通りという可能性はありませんの?悪意というか、そういう」
「無い。絶対にそれだけは無いですわ。あの聖女ルミナが悪意を持って私を辱めることも、優越感に浸ることも、ありえない。絶対に何があってもありませんわ。なにせあの"聖女ルミナ"ですもの」
微妙に早口で否定したロゼルフィーユ。二人の伯爵令嬢は顔を見合わせて、こそりと呟いた。
「…………さっきと仰っていることが、矛盾していらっしゃるような…」
「しぃっ。ロゼ様はその、聖女ルミナの話になると、少しご様子がおかしくなってしまわれるのよ……」
厄介令嬢に論理は通用しないのだ。
ロゼルフィーユのスイッチを押してしまった二人の令嬢は、その後、ルミナについての独自解釈を、延々と聞かされる羽目になった。