第一次ソロモン海戦2
オブジェクト攻撃に特化され編成された日本海軍の空母航空機部隊は、主攻部隊として空母加賀に戦闘機を重点的に合計七十二機搭載というまさに対オブジェクトの為だけの偏った陣容だった。
飛翔体への攻撃に爆撃機も雷撃機も必要ない。例外的に偵察機として艦上攻撃機つまり雷撃機が三機残されているが、これは格納庫の片隅に追いやられ、実際の偵察には同行の巡洋艦が搭載する水上偵察機が用いられていた。
一機の水上偵察機が夜明け前に亀裂を遠巻きに偵察し、この時点ではオブジェクトは確認されていなかった。
これまで夜間の活動はあまり活発ではないと報告が来ている。黎明や薄暮に攻撃を受けた例はあるが、深夜帯に攻撃を受けた艦船は今のところ無かった。
帰還した偵察機の情報に基づき、加賀は攻撃準備を粛々と進めてきたわけだ。
この空母加賀をバックアップするため、およそ百五十キロキロ後方にインド洋から急行した英海軍の戦艦ラミリーズと駆逐艦三隻に守られた日本海軍の小型空母龍驤が控えており、ここにも戦闘機十六機が搭載されていた。必要に応じて増援する為の控え部隊である。この位置は、ハンナ達が土木測量をやっている島にほど近い。
最前線の空母加賀を護衛をする艦隊には日本海軍の重巡青葉と衣笠、そして軽巡那珂率いる一個水雷部隊の駆逐艦合計四隻、これに豪海軍の駆逐艦二隻が同行していた。
「戦闘機隊第一波発艦に要する時間、おおよそ三十五分」
艦橋に飛行甲板の飛行指揮所に待機する飛行長から報告が上がってきた。
軽快が身上の小型戦闘機は次々と甲板を滑り出し、空に舞い上がって行く。
いくら大きな加賀でも七十二機の戦闘機を全部一度に発進できる筈がない。
準備した戦闘機を後部に置き、発進スペースを確保したら最大でも半数しか一度には並べられない。
残りの戦闘機は第一波の発艦が完了したら、エレベーターで順次飛行甲板に上げられ整列させて発進に備える訳である。
艦隊の上空では発艦を無事に終えた戦闘機が旋回しながら空中集合をし、編隊を形作っていく。
前の機体が飛行甲板を離れたと同時に次の機体がスタートする。
これは熟練のパイロットと空母乗務員の連携があって初めて可能な手練の業だ。これと同等の素早い作業は、実は他の空母保有国であるイギリス海軍もアメリカ海軍も達成出来てない領域の神業であった。日本海軍の空母部隊が、世界で唯一の実戦経験のある部隊だから、という現実がここにあった。
攻撃第一陣として戦闘機三十六機がオブジェクトの飛行経路に向かい待ち伏せをする。
この待ち伏せ攻撃が成功したら後発の二十四機の第二次攻撃隊が追撃戦を行う。これがこの日の作戦の概要である。
残った六機の戦闘機が万一備えての艦隊の上空護衛という事になる。この護衛は攻撃隊に先立って、一時間程前に空に舞い上がって艦隊上空に随伴していた。
「さて、数を送り込めば相応に戦果が期待できるのかどうか……」
この時点で、日本海軍の指揮官である三並はまだオブジェクトの姿を直に見ていなかった。
彼の目には、フィルムの上で撮影者の乗った航空機や船を翻弄する動きをするオブジェクトは、まったく得体の知れぬ不気味な存在と映っていた。いきなり加速したり急旋回するその動きはあまりに常軌を逸しており、こんな相手にどうやって立ち向かえと言うのか、正直彼には判らなかった。
今できることは。ただ相手に空中戦を挑むことだけだ。
軽快な単座戦闘機でドッグファイトに持ち込み集中砲火を浴びせる。おそらくこれ以外にあれを捉え墜とす術はないだろう。
航空参謀たちの意見も、ほぼこれに固まっていた。だから、搭載してきた戦闘機を一気に投入するこの無謀とも思える作戦に踏み切ったのだ。
これまでは、亀裂の至近に軍用の飛行場が存在しなかった為、オブジェクトに接触した航空機は双発以上の中型か大型機だけだった。航続距離的に単座戦闘機は投入できなかったからだ。
この二日間で武装を強化した延べ十八機の英豪軍陸上機がオブジェクトに接触し攻撃を行っていたが、確実な戦果はゼロ。逆に七機が消息を絶った。やはり大型機ではオブジェクトの機動性に追従できないというのが昨日までに出た結論であった。
全機損失しなかったのが奇跡と言われるほど、オブジェクトの光線による攻撃は凄まじく、その動きも常識を超えており、動きの鈍い大型機には全く出番がないという結論だけが突き付けられた次第である。
だからこそ、小型で速度が速く旋回の得意な単座戦闘機がどこまでオブジェクトに通用するのか世界中の軍隊の耳目がここに集中していると言って過言ではなかった。
もう間もなく、その答えが導き出されようとしている。作戦の概要は、情報の共有を希望した国には無条件であらかじめ公開されていた。
現在世界中で空母を本格的に運用している国は三カ国しかない。日本とイギリス、そしてアメリカだ。他にも建造している国はあるが、どれも完成に至っていないか実用段階に至っていない。
だがその三カ国の中でイギリスの空母は、現在その保有空母すべて大西洋にあり、急いで太平洋への回航を準備しているが、到着には最短でもあと一か月はかかる見込みだった。軍艦の派遣は、単純に燃料を積んで出港すればいいと言う物ではない。特に空母はこれに搭載する航空隊の選抜や錬成が必要となる。
現在日本の空母加賀が、この戦場にあるのは日本という国の置かれた状況にも関係していた。
日本は、六年前から対中華民国との戦争状態にあったのだ。つまり、実戦部隊として即応できる唯一の空母機動部隊を保有した国だったのだ。
今回の作戦の立案段階では、太平洋岸に配備されているアメリカの空母も投入すべく調整が行われたのだが、アメリカ政府は現在太平洋に二隻ある空母のどちらも派遣するのを断った。航空隊の技量不足、とくに戦闘技量の不足がその理由であった。
だが、それは偽りの返答であろう事は日本とイギリス双方の政府首脳には判っていた。
この騒動が起こってからずっとアメリカ合衆国政府は戦闘を忌避しているとしか思えなかった。あの阿鼻叫喚となった各国による偵察作戦行動、その被害を受け撤退した五か国にアメリカは含まれていないのだ。それが何故なのかは、日英両国には判らなかった。
確かに最低限の戦力は近傍に派遣してきているのだが、どの部隊も実戦に耐える装備を持ってなどいない。イギリス軍の極東司令官がそうはっきり本国に注進しているのだ。
時代遅れの駆逐艦、そして鈍足な旧式戦艦。どう考えてもオブジェクトの攻撃に対応できない装備だ。肝心の空母は、サンディエゴに張り付き、新設された太平洋艦隊の母港である真珠湾にするら進出していない。
これはもう、本気で戦闘に参加する意思など微塵も無いとしか思えない。そしてその理由をアメリカの大統領ルーズベルトは頑として語らない。
弱腰の相手など組むに値しない。日本の海軍首脳たちはそう怒りのこもった口調で吐き捨て、英連邦とだけ共同作戦を行うと自国の政府に上申した。そして、日本政府はその通りの意見を英連邦政府に打診し、この作戦の最終案が決定した。
そして現在投入可能な最大戦力が、このソロモン海に進出したわけである。
「あと一個小隊ですね」
航空参謀が三並司令に言った。次々と発艦をしていく九六式艦戦は、残り三機になっていた。
「さあ、ここからが正念場だな」
それから二分足らずで、残りの三機は空へと舞い上がって行った。
総ての戦闘機を放った加賀では、大急ぎで第二波の発進準備が始まるが、上空で集合を終えた戦闘機隊は翼を揃え待ち伏せの目的地へと飛び去って行く。
空母を囲むように進んでいる各艦艇の甲板で、水兵たちが大きく帽子を振ってこれを見送った。
「さて、空中無線は通じるのかいな」
戦闘機編隊の先頭を行く飛行体長の大森少佐は、九六式艦戦の極めて狭いコックピットに設置された無線のダイヤルをいじり、母艦加賀との交信を試みた。
「こちら攻撃隊、カの一番、母艦応答願う」
飛行帽の顎紐の下に括り付けた咽頭式マイクに話しかけるが、耳元のスピーカーからは空電に混じった聴き取るのが困難な音声しか聞こえてこなかった。
「やっぱりあかんやないかい。何が改良したや、こりゃ電鍵使うてトンツーせな無理や」
日本海軍の使っている空中無線は、どうにも精度が悪く、これまでも実戦で全く役に立って来なかった。結局会話が無理とあきらめた大森は、ごそごそと電鍵を取り出し無線機に繋げると、左手で操縦桿を握ったまま器用にこれを打ち始めた。
送った内容は、攻撃隊順調ニ飛行中、天気晴レ雲量三、と言う簡潔な物だった。
程なく、母艦からもモールス信号で返信が届く。
『武運ヲ祈ル』
大森はそう解読すると、唇を舐めながら小さく呟いた。
「まったくその通りやな。武運なくして挑める相手やあらへんわ」
戦闘機隊は二千程度の高度で目的の待ち伏せ地点に向かい、その間に加賀の甲板には攻撃第二波の準備が進む。
二十四機の戦闘機を飛行甲板後部に並べるのに十五分ほどの時間が掛かった。
しかし、これがもし艦上攻撃機や艦上爆撃機を含んでの準備だったら、もう少し手間が掛かったろう。爆弾や魚雷を積まない小柄な戦闘機だからエレベーターで持ち上げて並べるだけの簡単な作業で準備が終わるのだ。
整列を終えた戦闘機は順次エンジンをかけ暖機運転に入る。
「故障機無しとは凄いな。今日の整備兵は気合入ってるな」
艦橋の直下の甲板に白線を引いただけの飛行指揮所で第二次攻撃隊を率いる白根大尉が言った。
「上空直衛も全機発艦を終えてますし、我々が飛んだら母艦の格納庫は偵察小隊の艦攻以外は空っぽですね」
第三中隊を率いることになってる笹井少尉が白根に言った。
その時、艦のマストにスルスルと発進準備の信号旗が上がった。これを認めるやピストで待機していたパイロットたちは一斉に愛機に駈けて行った。
日本海軍のパイロットたちがコックピットに収まり機体の最終確認に入った丁度その時、艦隊の最左翼を進んでいた豪海軍の駆逐艦カングーの見張り員がそれを発見した。
「方位〇八〇、空中に飛翔体複数!」
それがオブジェクトだと確認されるまで十秒も必要とされなかった。あの異様な形は、遥か遠くでも容易に識別できる。
「敵襲! 緊急警報! 敵機襲来!」
まずカングーの汽笛とサイレンが轟々と響き、続いて全艦隊の艦上にサイレンの音が鳴り響いた。
それが惨劇の始まりを告げる合図となった……




