↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/56

第1話 その支払いは聞いていない

誰かが、俺を呼んでいた。


「レオン様! お返事を!」


 知らない名前だった。

 けれど、声には覚えがあった。


 目を開けようとして、ひどい吐き気に襲われた。片耳の奥で、細い音が鳴り続けている。口に土が入っていた。吐き出すと、血も混じった。


 頬のすぐ横に、鉄の帽子が転がっている。

 いや、兜だ。こめかみの辺りが、内側へ深くへこんでいた。


 あれをかぶっていたのか。

 誰が。


「盾を上げろ! 次が来るぞ!」


 怒声の直後、地面が跳ねた。

 砂利が顔に当たる。すぐそばで板が割れ、男の悲鳴が途切れた。


 反射的に頭を抱えた腕に、重い金属がついていた。手首が細い。見慣れた腕時計がない。代わりに、泥の詰まった革紐が食い込んでいる。


 スーツは。

 携帯は。

 午前中の融資案件は、どうなった。


 そこまで考えたところで、誰かが俺の脇へ腕を差し入れた。


「お気を確かに。私の声が聞こえますか」


 白い眉。左の頬に古い傷。顎を覆う、短く刈られた灰色の髭。

 老いた男が、こちらをのぞき込んでいた。


「……オズ、ワルド」


 名前が、勝手に口から出た。


 男の目が、わずかに緩んだ。


「はい。ここにおります」


 冬の朝。

 かじかんだ指で握った木剣。

 何度も落とす俺に、黙って拾って渡してくれた大きな手。


 父の棺の前。

 誰に何を言えばいいのかわからず立ち尽くしたとき、背中に添えられた同じ手。


『まずは、お顔を上げてください』


 覚えのない光景が、覚えのあるものとして頭を通り抜けた。


 俺はレオン・フェルデン。二十一歳。

 父の跡を継いだ、この土地の領主だ。


 違う。

 俺は三十五歳で、地方銀行の支店次長だった。

 先週も、部下と二人で取引先へ謝りに行った。社長に一時間叱られたあと、工場の隅で資金繰りの相談を受けた。帰りに部下へ飯を食わせた。


 どちらも、俺の記憶だった。


「お立ちになれますか」


 答えようとした瞬間、視界が白く染まった。


 空を埋める、小さな石。

 盾に当たる音。

 兜の内側で何かが砕けた感覚。


 ああ。

 この身体は、さっき。


「無理はなさいませんよう」


 オズワルドは俺を土塁の陰へ座らせ、若い兵へ水袋を押しつけた。


「おそばを離れるな」

「は、はい!」


 老騎士が立ち上がる。その肩越しに、戦場が見えた。


 低い土塁。傾いた柵。泥の上に捨てられた槍。

 その先に川が流れ、浅瀬を人の列が渡ってくる。

 長い柄の先に、刃が光っていた。


 映画の撮影なら、もう少し足場を整えてほしい。


 そんな考えが浮かんだ直後、柵の向こうの兵が喉を押さえて倒れた。

 指の間から血があふれた。

 男は何度も立とうとして、立てなかった。


 腹の底が縮んだ。


「第二列、前へ! 渡し場へ戻すな!」


 オズワルドの声で、数人が動く。

 数人しか、動かなかった。


 状況を確認しろ。


 頭の中で、自分に言った。

 まず現状。次に、使える手段。優先順位。

 問題がいくつ重なっていても、順番につぶすしかない。


「……下がる、場所は」


 水袋を持った兵が、聞き返した。


「後ろへ。退けないのか」

「街道には、まだ町から逃げる荷車が……」


 その言葉で、また記憶がつながった。


 川沿いの町。船着き場。穀物を積んだ荷車。

 ここから領都へ続く一本道。


 父が死んだ。

 何も決められない息子が継いだ。

 それを聞いた隣国の領主が、兵を動かした。


 会議では誰もがオズワルドを見た。老騎士だけが、俺を見ていた。


『ここを取られたら、どうなる』

『川も街道も押さえられます。領都の備えが整うまで、何としても時間を』


 だから、兵を出した。

 自分も馬に乗った。

 いつまでも決められずにいる自分を、今度こそ変えたかった。


 若い領主の気持ちが、喉の奥につかえた。


 わかった。

 ここは、空けられないのか。


 だが、どうやって。


 俺は剣を振れない。

 少なくとも、銀行では習わなかった。


 融資、預金、保険に投資信託。最近では取引先の採用相談まで。

 多様性の時代とは言うが、ノルマは入行した頃から十分すぎるほど多様だった。


 それでも、槍を持って川を渡ってくる相手への対処は、担当したことがない。


 目の前に、文字が浮かんだ。


 《統治権限を確認》

 《換算》


 瞬きをした。

 文字は消えなかった。


 《食料/木材/鉄/人》


 その下に、別の項目が開く。


 《疲労軽減/防壁形成/装備強化/移動阻害》


 何だ、これ。


「これが、見えるか」

「血ですか? 申し訳ありません、手当てを――」


 若い兵が布を探し始めた。

 俺にしか見えていないらしい。


 文字へ意識を向けると、必要な消費と、得られる効果がわかった。

 食料を使えば、兵の疲労を軽くできる。

 木材を使えば、防壁を作れる。


 理解した、というより、頭へ押し込まれた。仕組みを考えようとすると、こめかみの奥が脈打つ。


 あの崩れた柵を、防壁でふさげないか。


 意識を向けると、壁の形が浮かんだ。短い。切れ目をふさげても、その脇は開いている。

 範囲を広げようとすると、文字が赤くなった。


 《換算可能量不足》


 木材が足りない。

 なら、移動を止める。


 川から上がってくる兵の足元へ意識を移す。効く範囲と時間が見えた。

 狭い。短い。

 後ろには、まだ敵がいる。


 俺たちの兵を強くする方は。


 鉄。装備強化。

 その文字を追う間にも、味方の盾が一つ落ちた。


 盾だけ強くしても、持つ人間が倒れていく。


「閣下、柵が!」


 木の裂ける音がした。

 オズワルドが二人の兵を連れ、崩れた場所へ走る。剣を振るい、槍の穂先を払った。その横から、別の穂先が突き出される。


 若い兵が、水袋を置いた。

 震える手で槍を拾う。


「待て。君は――」

「ここにいろと、言われましたから」


 俺の前に立った。

 槍の先が、小刻みに揺れていた。


 違う。

 俺の言いたかったのは、そうじゃない。


 視界の文字が、二重になった。

 頭が重い。目を閉じたら、そのまま落ちそうだった。


 《不足分の補填が可能》

 《対象制限を解除》


 指先も動かないのに、その項目だけは選べた。


 食料。木材。鉄。

 そして、人。


 兵を動かす力か。

 人の力も、まとめて使えるのか。


 この世界には、味方の身体を強くする魔法がある。

 誰かから、そう教わった記憶があった。

 領地にいる人間の力を集めれば、ここを止められるのかもしれない。


 《消費対象に〈人〉を追加》


 消費。


 その二文字に、引っかかった。

 何を、どれだけ。

 続きを読もうとして、目の前が暗くなる。


「レオン様!」


 オズワルドが振り返っていた。

 左腕が下がっている。肩の継ぎ目から、赤いものが流れていた。

 それでも、俺の方へ来ようとした。


「お下がりください! ここは、私が!」


 父の葬儀のあと、眠れずにいた夜。

 扉の外で、この人が誰かに言っていた。


『まだ、お若い。私がお支えします』


 来るな。

 そこを向いていたら。


 老騎士の背後で、敵が槍を引いた。


 俺は、川岸の敵の列を見た。

 止めたい範囲が、薄く縁取られる。


 《換算可能》


 やってくれ。


 意識の中で、その文字を押した。


 音が、途切れた。


 光はなかった。

 爆発もなかった。


 ただ、槍を構えた男がいなくなった。

 その後ろの男も。

 川岸を埋めていた列に、ぽっかりと泥の地面が現れた。


 向こう岸で旗が揺れた。

 誰かが叫んだ。

 何を言っているかは、わからなかった。


 止まった。


 息を吐こうとした。

 胸が、うまく動かなかった。


 オズワルドに、声をかけたかった。


 もう、大丈夫だと。


     ◇


「――追ってはおりません。渡った連中も、川向こうへ」


 声が聞こえた。


 背中の下が柔らかい。

 屋根はなく、顔の上に灰色の布が張ってある。風が吹くたび、端がばたばたと鳴った。


 身体を起こそうとして、誰かに止められた。


「まだ、お休みください」


 水袋を渡そうとしていた、あの若い兵だった。

 頬に泥がついている。手には包帯が巻かれていた。


「敵は」

「退きました」


 言ってから、兵は唇を引き結んだ。

 笑おうとしているようにも、泣くのをこらえているようにも見えた。


「退きました、領主様。町へは、行かせずに済みました」


 布の外で、人が動いていた。

 水を求める声。名前を呼ぶ声。

 さっきとは違う慌ただしさだった。


 生きている。

 目の前の兵も、俺も。


 乾いた喉を鳴らし、差し出された水を飲んだ。

 手が震えて、少しこぼした。


「オズワルドは」


 兵の顔が止まった。


「手当てを、受けているのか」

「……捜しております」


 捜す。


「あの場所に、いたはずだ」

「はい」

「俺の前に。すぐ、そこに」

「はい。私も、見ておりました」


 兵が下を向いた。


「ですが、お姿が。その……敵が消えたときに」


 胸の内側が、冷たくなった。


 あの文字。


 消費。


 頭の中で呼ぶと、同じ画面が開いた。

 今度は、読めた。


 《換算履歴》

 《消費:人》

 《消費数:6》


 六。


 数字の下を、開いた。

 人の名前が並んでいた。


 先頭に、オズワルド。


 喉が動いた。

 水を飲んだばかりなのに、何かが張りついていた。


 取り消し。

 戻せ。

 別のものを使え。食料でも、鉄でも、館でもいい。


 どこを見ても、戻すための項目がない。


「領主様?」


 返事ができなかった。


 数字を確認するのは、仕事だった。

 その数字の中身まで確かめろと、何度も部下に言ってきた。


 六。

 六人。


 オズワルドの下にも、名前があった。

 戦場で見た覚えのない名前が、五つ。


 若い兵が、俺の手から水袋を受け取った。


「助かりました」


 声を詰まらせながら、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。領主様」


 俺は、その肩越しに土塁を見ていた。


 少し前まで、あの人が立っていた。


 ここにおりますと、言っていた。


 水を求める声がした。

 布の向こうで、誰かが誰かの名前を呼んでいる。


 敵は退いた。

 だが、倒れた兵を運ぶ人も、手当てをする人も足りていない。


 さっきは木材が足りなかった。鉄だけでは、兵を支えられなかった。

 その不足を、俺は人で払った。


 また攻めてこられたら。


 その考えに、指が冷えた。

 同じ領地、同じ備えのまま、次も退けられるとは限らない。


 人だけは、もう使わない。

 そう決めるだけでは、誰も守れない。


 食料をそろえる。仕事を回す。任せられる人を見つける。

 何が足りず、どこで止まっているのか、一つずつ確かめる。


 剣の振り方は知らない。

 けれど、立ち行かなくなった事業の話なら、聞いてきた。

 できることがあるとすれば、そこだった。


「……今、誰が指示を出している」


 若い兵が顔を上げた。

 俺は水袋を握り直した。


 まずは、この場で困っている人の話を聞かなければならなかった。



カクヨムでも連載中です。

領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。