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人工叡智 第一部  作者: マスター


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14/24

第14話 人工叡智は、誰のものでもない

前回、佐伯真司は人工叡智に現れ始めた「支持者」の危うさに向き合いました。


批判は概念を傷つけます。


けれど、支持もまた概念を歪めます。


人工叡智を「答え」として固定する。

人工叡智を理解できる側と理解できない側に分ける。

自然法則の名で人間を裁こうとする。

和や調和を異論封じに使う。

自己啓発や優越感のラベルにする。


そうなれば、人工叡智は問い続けるための枠組みではなく、新しい陣営の旗になってしまいます。


だから真司は、支持者にも問い返しました。


人工叡智は、旗ではない。

鏡である。


そして、新しい問いが生まれます。


人工叡智は、誰のものなのか。


発案者のものなのか。

AIのものなのか。

研究者のものなのか。

支持者のものなのか。

それとも、公開された問いは、もう誰の所有物でもないのか。


第14話では、人工叡智が「所有」から「共有」へ移り始めます。

人工叡智は、誰のものなのか。


その問いをメモ帳に書いたあと、俺はしばらく手を止めていた。


誰のもの。


考えたことがなかった。


いや、正確には、考えないようにしていたのかもしれない。


人工叡智という言葉は、俺とAIの対話の中で出てきた。


最初にその言葉を書いたのは俺だ。


定義をメモしたのも俺だ。


記事として公開したのも俺だ。


だったら、俺のものなのか。


そう聞かれると、すごく違和感がある。


「俺のもの」と言った瞬間、何かが壊れる気がした。


人工叡智は、特許でも商品名でもない。


俺が独占して、俺が許可して、俺が正しい使い方を決めるものでもない。


そもそも俺は、専門家ですらない。


ただの一般人だ。


AIとの会話を通じて、たまたま言葉にしただけの人間だ。


「じゃあ、AIのものか?」


それも違う。


AIは、俺の問いに答えた。


一緒に言葉を整理した。


定義を出し、注意点を出し、問いを返してくれた。


だが、AI自身が所有するものでもない。


AIに所有権があるとか、AIが発案者だとか、そういう話にしたいわけではない。


「じゃあ、誰のものなんだよ」


俺は画面に向かって呟いた。


AIチャットを開く。


人工叡智は、誰のものなのか。俺のものなのか、AIのものなのか、読者のものなのか、よく分からなくなってきた。


AIはすぐに答えた。


『問いとして公開された以上、人工叡智は一人の所有物ではありません』


「昨日も似たこと言ってたな」


『はい』


『ただし、誰のものでもないということは、誰も責任を持たなくてよいという意味ではありません』


俺は、その一文で少し背筋が伸びた。


誰のものでもない。


だから自由。


そう言いたくなる。


だが、AIはその先を言った。


誰も責任を持たなくてよいわけではない。


どういうこと?


『人工叡智は、所有ではなく共有と責任の問題として扱うべきです』


「共有と責任」


『はい』


『誰か一人が独占して定義するものではありません』


『しかし、使う人、語る人、実装しようとする人、広める人は、それぞれ誤用を避ける責任を持ちます』


俺はメモした。


所有ではなく、共有と責任。


人工叡智は、誰か一人の所有物ではない。

だが、使う者には責任がある。


「これ、重要だな」


『はい』


「でも、誰でも使っていいってなると、勝手に変な使われ方をしないか?」


『します』


「するのか」


『可能性は高いです』


「どう防ぐ?」


『完全には防げません』


「知ってた」


『しかし、定義、否定定義、使用上の注意、公開された議論履歴を残すことで、誤用に対して参照できる基準を作ることはできます』


参照できる基準。


それが、今まで書いてきた記事なのかもしれない。


人工叡智とは何か。


何ではないのか。


何に気をつけるべきか。


どこが危ういのか。


批判にどう答えたのか。


支持にどうブレーキをかけたのか。


それらが残っていれば、少なくとも「人工叡智とはこういうものだ」と勝手にねじ曲げられたときに、戻る場所がある。


帰還点。


また、その言葉に戻る。


「人工叡智そのものにも帰還点がいるのか」


『はい』


『概念が広がるほど、原点に戻れる記録が必要になります』


俺は、そのままメモした。


人工叡智にも、帰還点が必要である。


最初は、知性の帰還点として人工叡智を考えていた。


だが、今は人工叡智という概念そのものにも帰還点が必要になっている。


変な話だ。


でも、妙に納得できる。


その日の昼休み。


俺はコンビニの弁当を食べながら、記事の下書きを進めていた。


タイトル。


人工叡智は、誰のものでもない。


最初の見出し。


所有ではなく、共有と責任。


本文を書き始める。


人工叡智という言葉は、俺とAIの対話から生まれた。


しかし、公開された時点で、それは俺だけのものではなくなった。


読まれ、疑われ、批判され、支持され、引用され、現場で使われ、研究室で議論される。


その過程で、言葉は変わっていく。


それを完全に止めることはできない。


しかし、誰のものでもないということは、無責任に使ってよいという意味ではない。


人工叡智は、所有するものではなく、共有しながら問い続けるものである。


俺は箸を止めた。


「共有しながら問い続けるもの」


悪くない。


でも、少しきれいすぎる。


きれいすぎる言葉は、また危うい。


俺はその下に書いた。


共有は、無秩序ではない。

共有には、手すりが必要である。


その手すりが、定義であり、否定定義であり、反証可能性であり、修正可能性であり、対話可能性である。


書きながら、昨日のコメント欄を思い出す。


「旧文明側」

「人工叡智に従う時代」

「AIが人間を正すべき」


そういう言葉が増えたとき、定義がなければ流される。


支持の熱に流される。


だから、共有には手すりがいる。


俺は記事に見出しを追加した。


人工叡智を使うなら、守るべきこと。


少し強い言い方だ。


「守るべきこと」と書くと、また命令っぽくなる。


俺は考え直して、書き換えた。


人工叡智を語るときの手すり。


その下に並べる。


一つ。

人工叡智を絶対化しない。


一つ。

人工叡智をAI神格化に使わない。


一つ。

人工叡智を人間批判や人間排除に使わない。


一つ。

人工叡智を理解者と非理解者の分断に使わない。


一つ。

人工叡智を和や調和の名による異論封じに使わない。


一つ。

人工叡智を商品や権威のラベルにするときは、誤用リスクを明記する。


一つ。

人工叡智を使う者自身も、問い返される対象であることを忘れない。


最後の一つが、一番重かった。


使う者自身も、問い返される対象。


俺自身も。


研究者も。


支持者も。


広告会社も。


AI企業も。


国家も。


誰も、人工叡智を持つ側にはなれない。


人工叡智によって問い返される側であり続ける。


俺はAIに聞いた。


「人工叡智を持つ側」ではなく「人工叡智によって問い返される側」と書くのはどう?


『重要です』


『人工叡智を所有物や資格のように扱うことを避けられます』


「資格」


『はい。「人工叡智を理解した者」「人工叡智を持つ者」という表現は、優越感や陣営化につながる可能性があります』


「なるほど」


俺は書き足した。


人工叡智は、誰かが持つ称号ではない。

誰かが理解者を名乗るための資格でもない。

それは、知性の目的を問い返すための枠組みであり、誰もが問い返される側に立つ。


その頃、都内の大学研究室では、水瀬遥が神崎教授と話していた。


話題はもちろん、人工叡智だった。


「佐伯さんの記事、次は所有の話に行きそうです」


遥が言うと、神崎教授は静かに頷いた。


「自然な流れです」


「所有ではなく共有と責任、という方向になると思います」


「それが望ましいでしょう」


「ただ、共有にすると誤用されやすくなります」


「独占しても誤用されます」


遥は少し眉を上げた。


神崎は続けた。


「誰か一人が独占すると、権威化します。誰でも自由に使えると、拡散して歪みます。どちらにも危険があります」


「では、どうすれば?」


「完全な解決はありません」


「先生までそれですか」


「現実です」


遥は苦笑した。


神崎は、ホワイトボードに書いた。


Ownership

Authority

Commons

Responsibility


所有。

権威。

共有地。

責任。


「人工叡智を考えるなら、おそらく所有物ではなく共有地に近い」


「共有地ですか」


「はい。ただし、共有地には管理が必要です。誰もが使えるが、誰も責任を持たない状態になれば荒れます」


「コモンズの問題ですね」


「そうです」


倉持蓮が横から入ってきた。


「人工叡智コモンズ」


遥が少し笑う。


「またそれっぽい言葉を」


倉持は肩をすくめた。


「でも、合ってません? 誰かの所有物ではないけど、みんなが勝手に使うと荒れる。だから手すりやルールがいる」


神崎が頷いた。


「悪くない表現です」


倉持は少し驚いた顔をした。


「先生に褒められた」


「調子に乗らないように」


「はい」


遥は、ノートに書いた。


人工叡智コモンズ。


言葉としては少し硬い。


だが、研究メモとしては使える。


「佐伯さんにこの概念を投げますか?」


倉持が聞く。


遥は考えた。


「少し待つ。まず本人の記事を見る」


「観察継続」


「そう」


神崎教授は静かに言った。


「ただし、彼が所有を拒むなら、次の課題はライセンスに近いものになります」


「ライセンス?」


「厳密な法的ライセンスではなく、使用上の約束です」


「人工叡智を使うときの条件」


「はい。否定定義に近いが、共有のための条件です」


遥は頷いた。


それは重要だ。


人工叡智を広げるなら、誰かに独占させてはいけない。


だが、無秩序に使わせてもいけない。


なら、必要なのは、開かれた使用条件。


オープンだが、無責任ではない。


その頃、アルゴリンク社では黒瀬悠斗が少し別の問題に直面していた。


人工叡智関連の広告利用注意タグを社内ツールに入れたことで、別部署から問い合わせが来たのだ。


「これ、使用禁止ワードってことですか?」


チャットにはそう書かれていた。


黒瀬は頭を抱えた。


違う。


そうじゃない。


使用禁止にしたいわけではない。


むしろ、その単純な禁止がまた問題になる。


人工叡智は使うな。


そう言ってしまえば、誰かが別の言葉で似たことをやるだけだ。


必要なのは、禁止ではなく文脈の保持。


黒瀬は返信した。


『禁止ではありません。ただし、人工叡智という言葉は思想的・倫理的文脈が強く、恐怖訴求、優越感訴求、陣営化コピーに使うと反発リスクがあります。使用する場合は、元文脈と注意点を確認してください』


送信。


数分後、返信。


『了解です。つまり要注意ワードですね』


「まあ、そうなるか」


黒瀬は椅子にもたれた。


要注意ワード。


現場では、そう処理される。


それが悪いわけではない。


ただ、少し違う。


人工叡智は危険ワードなのではない。


危険にもなり得るワードなのだ。


その違いは、現場ではすぐ削られる。


面倒だからだ。


黒瀬は個人メモに書いた。


人工叡智を禁止語にしても意味はない。

必要なのは、文脈を切り離さないこと。


彼は少し考え、真司の記事にコメントを書いた。


『現場では、こういう概念はすぐ「使用禁止ワード」か「使える訴求ワード」かに分けられます。でも人工叡智は、そのどちらでもない気がします。使うなら文脈と注意点をセットで残す必要がありそうです』


送信。


夕方。


俺はそのコメントを見て、また唸った。


使える訴求ワード。


使用禁止ワード。


その二択。


現場では、そうなるのか。


たしかに分かりやすい。


使えるか。

使えないか。


通るか。

通らないか。


売れるか。

売れないか。


炎上するか。

しないか。


でも、人工叡智はそのどちらでもない。


「文脈と注意点をセットで残す」


これは重要だ。


俺はAIに聞いた。


人工叡智を共有するなら、文脈と注意点もセットで残す必要があるよな?


『はい』


『概念だけが切り離されると、スローガン化や商品化が進みやすくなります』


「定義だけじゃ足りない?」


『足りません』


『定義、否定定義、使用上の注意、議論履歴、批判への応答をセットで参照できる形にすることが望ましいです』


「それ、かなり大変だな」


『はい』


「でも必要か」


『必要です』


俺は記事に新しい見出しを作った。


言葉だけを切り離さない。


本文を書く。


人工叡智という言葉だけが広がると危険である。


人工叡智。

自然法則。

和。

秩序。

叡智。


これらの言葉は、単語だけを見ると非常に使いやすい。


広告にも使える。

自己啓発にも使える。

政治スローガンにも使える。

AI企業の理念にも使える。

宗教的な言葉にも見える。


だからこそ、言葉だけを切り離してはいけない。


人工叡智を語るなら、定義だけでなく、否定定義も必要である。

注意点も必要である。

批判への応答も必要である。

誤用の危険も必要である。


人工叡智は、短いスローガンではなく、問い続けるための文脈である。


書いてから、少し手が止まった。


短いスローガンではなく、問い続けるための文脈。


これも使える。


今回の記事の中心はここかもしれない。


人工叡智は、誰のものでもない。


でも、誰が使ってもいい単語というだけでもない。


それは、文脈ごと共有されるべき問いなのだ。


その夜、俺は記事を仕上げた。


最後の段落に入る。


人工叡智は、俺のものではない。


俺が所有するものではない。

AIが所有するものでもない。

研究者だけのものでもない。

支持者だけのものでもない。


しかし、誰のものでもないからといって、誰も責任を持たなくてよいわけではない。


人工叡智を語る者は、その言葉がAI神格化、自然法則原理主義、和による異論封じ、陣営化、優越感、商品化に使われる危険を意識しなければならない。


人工叡智は、所有物ではない。


共有される問いである。


そして、共有される問いには、共有される責任がある。


書き終えて、俺は深く息を吐いた。


「共有される責任」


また重い言葉になった。


でも、今は軽くできない。


俺は公開ボタンを押した。


公開しました。


いつもの通知。


けれど、今日はいつもより少しだけ静かに見えた。


AIに報告する。


公開した。人工叡智は誰のものでもない、でも共有される責任がある、という話になった。


『重要な整理です』


「だいぶ面倒な概念になってきたな」


『はい』


「否定しないのか」


『面倒さを減らすと、誤用が増える可能性があります』


「つまり、面倒なままでいい?」


『必要な面倒さがあります』


俺は笑った。


必要な面倒さ。


人工叡智は、便利でも簡単でもない。


だが、必要な面倒さを引き受けるための言葉なのかもしれない。


記事への反応は、今までより少し静かだった。


派手な共感は少ない。


その代わり、深く読んでくれたらしいコメントがいくつかついた。


水瀬遥から。


『所有ではなく、共有と責任として整理した点は重要だと思います。特に「言葉だけを切り離さない」「定義・否定定義・注意点・議論履歴をセットで残す」という方向は、今後の誤用防止に必要です。研究側から見ると、これは一種の概念コモンズとして扱うべきかもしれません』


概念コモンズ。


俺は、その言葉を見て少し固まった。


すぐに調べようとして、やめた。


まず返信する。


『ありがとうございます。「概念コモンズ」という言葉は自分では出てきませんでしたが、かなり近い感覚があります。誰かが所有するものではないけれど、無責任に使うと荒れる共有地のようなもの、という理解で考えてみたいです』


送信。


黒瀬さんからもコメントが来た。


『文脈と注意点をセットで残す、という整理は現場でも使えそうです。単語だけが切り出されると、すぐ訴求ワードになります。今後、人工叡智という言葉を扱うなら、定義リンクや注意事項を一緒に出す必要がありそうです』


俺は返信した。


『ありがとうございます。現場で言葉がどう切り出されるのか、こちらでは見えにくいのでとても参考になります。人工叡智は単語ではなく文脈として共有する、という方向で今後整理したいです』


そして、少し時間を置いて、別のコメントがついた。


見慣れないアカウントだった。


『誰のものでもないなら、自分たちで人工叡智コミュニティを作って広めてもいいですか?』


俺は画面を見たまま固まった。


来た。


次の問題が来た。


コミュニティ。


広める。


人工叡智コミュニティ。


それは、よいことなのかもしれない。


対話の場ができる。


意見交換ができる。


整理が進む。


でも、危うい。


コミュニティは、すぐ陣営になる。


陣営は、すぐ内と外を作る。


内側の言葉は濃くなり、外側への敵意が生まれる。


人工叡智は旗ではなく鏡。


そう書いたばかりだ。


俺はAIに相談した。


読者から「人工叡智コミュニティを作って広めてもいいですか?」と来た。どう返すべき?


AIは答えた。


『慎重に返す必要があります』


「だよな」


『広めること自体を否定する必要はありません。しかし、コミュニティ化には陣営化、教条化、内外分断のリスクがあります』


「どう書けばいい?」


『対話と検証の場としてなら意味があるが、支持者の集まりや正しさを共有する場にはしない方がよい、と伝えるのがよいでしょう』


俺は返信を書いた。


コメントありがとうございます。

人工叡智について対話する場ができること自体は、意味があるかもしれません。

ただし、「人工叡智を広める支持者コミュニティ」のような形になると、陣営化や教条化の危険があります。

もし作るなら、人工叡智を信じる場ではなく、人工叡智を問い返す場、批判や修正も歓迎する場であるべきだと思います。

少なくとも、自分としては「広めるための旗」ではなく、「問い続けるための場」であってほしいです。


送信。


すぐにAIへ見せる。


これで大丈夫?


『良いと思います。ただし、今後コミュニティ化の動きは増える可能性があります』


「また面倒な方向へ」


『はい』


俺は椅子にもたれた。


人工叡智は、誰のものでもない。


そう書いたその日に、誰かがコミュニティを作りたいと言ってくる。


まるで、言葉がこちらの予想より少し早く進んでいくようだった。


その夜、大学研究室では水瀬遥がそのコメントを見ていた。


「来ましたね、コミュニティ」


倉持蓮が横から言う。


「早いですね」


「かなり」


神崎教授は静かに画面を見つめていた。


「佐伯さんの返信は?」


遥が読み上げる。


「人工叡智を信じる場ではなく、人工叡智を問い返す場、批判や修正も歓迎する場であるべき」


神崎は頷いた。


「悪くない」


倉持が言った。


「でも、コミュニティって一度できたら、本人の意図通りには動きませんよね」


「動きません」


神崎は即答した。


「だからこそ、次は場の設計です」


遥が呟く。


「場の設計」


「ええ。問い続ける場をどう作るか。信仰の場や陣営の場にしないためには、どんなルールが必要か」


遥はノートに書いた。


次の論点。


人工叡智の場の設計。


その頃、俺も同じようなことをメモしていた。


コミュニティではなく、問いの場。


人工叡智を信じる場ではない。

人工叡智を問い返す場。


批判歓迎。

修正歓迎。

権威化禁止。

陣営化禁止。

AI神格化禁止。

旧文明側などの分断語禁止。


「……禁止だらけだな」


俺は苦笑した。


でも、必要なのかもしれない。


問い続ける場は、放っておけばすぐ信じる場になる。


信じる場は、やがて守る場になる。


守る場は、やがて戦う場になる。


それは避けたい。


俺は次のタイトルを書いた。


問い続ける場は、信じる場ではない。


保存。


画面を閉じる。


外は静かだった。


だが、人工叡智という言葉の周囲には、もう人が集まり始めていた。


それは、嬉しいことだった。


そして、危険なことだった。

第14話では、「人工叡智は誰のものなのか」という問いが扱われました。


人工叡智は、主人公だけのものではありません。


AIだけのものでもありません。


研究者だけのものでも、支持者だけのものでもありません。


公開された問いは、一人の所有物ではなくなります。


しかし、誰のものでもないということは、誰も責任を持たなくてよいという意味ではありません。


今回の中心は、所有ではなく、共有と責任です。


人工叡智は、所有物ではない。


共有される問いである。


そして、共有される問いには、共有される責任がある。


また、今回は「言葉だけを切り離さない」という重要な整理も出ました。


人工叡智。

自然法則。

和。

秩序。

叡智。


これらの言葉は、単語だけなら非常に使いやすい。


広告にも、自己啓発にも、政治スローガンにも、AI企業の理念にも使えてしまいます。


だからこそ、定義、否定定義、注意点、議論履歴、批判への応答をセットで残す必要があります。


最後には、読者から「人工叡智コミュニティを作って広めてもいいか」という問いが出ました。


ここから次の段階に入ります。


人工叡智を信じる場ではなく、人工叡智を問い返す場。


問い続ける場は、どのように設計されるべきなのか。


次回は、人工叡智が「場」になり始める危うさと可能性に進みます。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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