2 わたしと密かな想い
オグウェルト様が席を立ったあと、わたしはしばらく呆然として座っていた。
成婚の儀は理解できた。庶民の結婚式のようなものだ。ただ、もっと格式ばったものだ。これはわたしが貴族の娘になってから叩き込まれた、教養教育で知ったことである。古い文化で、今では格式高い貴族しかやらないという。それこそ王家と血の繋がりのある公爵クラスくらいの。
ボワソン家は公爵に次ぐ侯爵位を拝している。一応ボワソン家当主(仮)はわたしになっていて、わたしは「ボワソン侯爵」と呼ばれる存在らしい。
この国では大概は男性が爵位を継ぐが、世襲制のため跡取りが女子しかいない場合はそれも認められている。とにかく血筋が第一という考え方らしい。
そのため、男子後継者に恵まれなかった過去には国のトップも女性、女王陛下であった時代もあるそうだ。
当主(仮)というのは、16歳で突然、1人の老人の意向のみで跡取り娘となったわたしの存在が、さすがに突拍子がなさすぎたことが原因である。
確かに血筋が第一である。第一ではあるが、わたしが本当にボワソンの血を継いでいるのかという疑惑ももちろんあったし、血を継いでいたとしても貴族教育を全く受けていないわたしではその資質と資格がないとも言われていた。全くもってその通りと、わたしも思っているが。
そこで、力のないボワソン家にウームウェル家の後ろ盾がついたという経緯らしい。不安定で火種の予感しか感じられない家に、よくまあ手を貸したものだと思う。
なぜウームウェル家が、というのは、わたしには知らされていないが、なにか思惑があるのかもしれない。貴族社会の闇は深そうだし、と勝手に思っている。
ウームウェル家は王家の遠縁にあたる。オグウェルト様の父である現ウームウェル家当主が現在の「ウームウェル公爵」であった。侯爵家に対して不平を言う周りの貴族でも、公爵家にはおいそれと文句は言えないのだそうで。
そうして今のわたしは守られ、貴族教育を受け、そして、なぜか結婚することとなった。
わたしがしばらく何も発さず動かないものだから、侍女のハナが心配そうな顔で「レア様?」とわたしを呼んだ。ハナは私より1つ年下の、可愛らしい女性である。ハナに心配をかけてはいけないと、わたしは笑顔を作ってみる。
「ごめんなさい、ちょっとびっくりして」
貴族社会に放り込まれて、何が起きても大概のことはもう驚かないと思っていたが。まだ心が揺らぐこともあったのかと思った。
「こんな風に、選べないことがたくさんあるんだなって思って」
別に、選びたかったわけではなかった。選べるとも思っていなかった。
ただ、何も選ぶつもりがなかった。後ろ盾がなくなり、独立したボワソン当主になった時には、わたしは一人で生きていくのだと。ぼんやりと、しかし当然のように思っていた。
こんなに窮屈な血の繋がりを求められる場所で、苦労するのはボワソン家ではもうわたしだけで良い。
そういう意味では、わたしは祖父を恨めしく思っている。
眉を下げたハナは、ゆっくりとわたしに近づいて、わたしの肩にストールをかけてくれた。ハナだって、公爵家の侍女だけれど、元々庶民の私なんかとは比べ物にならない上流階級の育ちである。
「ありがとう」と私が笑うと、ハナは眉を下げたまま微笑んで見せる。
「お部屋を暖めてありますので、戻って紅茶などいかがですか?」
動揺するわたしに温かい気遣いをくれる。ハナは3年前からわたしと一緒にいてくれていて、わたしのために公爵家に雇われたお嬢さんであるらしかった。
本当にありがたいなと思いながら、頷いて自室へ戻るために席を立った。
ふとさっきオグウェルト様が出ていった扉が目に入る。もう彼は自室に行ってしまっただろう。微かな音も、気配すらもしなかった。
たぶん、この場にオグウェルト様が残っていたら、わたしはこんなに呆然とした態度は表に出さずに済んだと思う。
オグウェルト様のことは信頼しているし、淡々としていて全く読み取れないことも多いけれど、厄介者のわたしを受け入れて、面倒を見てくれる暖かい人だと知っている。
けれど、わたしにはオグウェルト様にはさらけだせない気持ちがあった。
自分の呆然とした気持ちを優先するよりも、その姿を見せることでオグウェルト様にどう思われるかの方が気になる程度には、わたしはオグウェルト様を慕っているのだった。自覚しないと気持ちをコントロールできないくらいには。
血の繋がりを繰り返したくはないけれど、一生そばにいる契約をするのなら、こんな人が良い。
色々な前提が抜けて、ふとそう思ってしまうことがあった。ずるいことは分かっていたし、この状況が続くわけがないと知っていたけれど。
オグウェルト様のそばに居られるこの瞬間なら、続いて欲しいとすら思っていた。そんなの、ありえないことなのに。
彼も男性としての結婚の適齢期は過ぎている。オグウェルト様が何故結婚していないのかなんてプライベートなことをわたしは知る権利すらないけれど、ゆくゆくは彼も跡取りを作るのだろう。
相応の身分の、素敵な奥様をもらって。
そんな想像をすると、鼓動が荒れた。
胸の奥がギュッとつかまれるような感覚が強くなって、いけない、と思った。
今日はもう考えるのをやめようと、わたしはハナを連れて自室へと戻ることにした。




