13 わたしと儀式
「それでは、扉を開けます。音楽が演奏され始めたら、ダミアン様が先に1歩踏み出してから、新婦様のベールを下ろしてください」と宮女は言った。ダミアンはわたしに「お任せ下さい」と頷いて、宮女は続ける。
「ベールを下ろしたら、またダミアン様が新婦様を先導してください。新婦様はそれについて行くようにお進みください。」
宮女は言い終わると、わたしに笑顔で「良い時間を」と言った。
そして教会の中から「新婦入場」と聞こえてきて、遂に扉は開かれたのだった。
ダミアンが1歩踏み出し、斜め前からわたしを振り返った。やはり人の良さそうな笑顔のまま。
そしてダミアンは宮女に言われた通りにわたしのベールを下ろした。
それからダミアンはまた前を向き、1歩進む。
わたしもそれに従って、ダミアンの斜め後ろで1歩踏み出した。
隣に立っていた時よりもダミアンの背中は広く見えた。父親がいたら、もしかしたらこういう風に見えるのかもしれない。
ダミアンはゆっくりと歩き、わたしは慣れない高いヒールをコツンコツンと言わせながら歩いた。トーンの低い落ち着いた色のレッドカーペットを歩く度に鈍い音がする。音楽も鳴らず、厳かな雰囲気に緊張が高まる。
大丈夫、大丈夫。
そう唱えるけれど、かかとの音と一緒に聞こえるのはわたし自身の鼓動の音だった。どくんどくんと、脈が耳元にあるみたいだ。
教会内は広かった。そこまで明るくない照明に、年月が感じられる木で作られた内装と家具。部屋の入口から一本、奥に向かってレッドカーペットが敷かれていた。その両脇には参列者が並ぶ。おそらくその視線はわたしに向いている。けれど、緊張でまともに確認出来なかった。
オグウェルト様はどこにいらっしゃるのだろう。
わたしのことはどう見えているのだろう。
ダミアンが引っ張ってくれなければ、途中で足がすくんでいたかもしれない。
緊張の中でも失敗は許されないプレッシャーを感じた。高いヒールを履くことで丈がぴったりになるドレスは足がとても捌きにくかった。ベールの内側から足元をそっと確認しつつ、ドレスが絡まらないように歩く。つんのめって転ばないようにだけは気をつけた。
真っ直ぐ前を向いては歩けなかったが、伏し目がちで儚い新婦に見えてたら良いなとやや自虐的に思った。
そして、ダミアンはある場所でピタリと止まった。わたしも習ってその一歩後ろで止まる。
ダミアンは私を振り返り、「私の役目はここまでです、お嬢様」とわたしに笑いかけた。
わたしは軽く頭を下げてお礼を伝えた。
スっと、その場所からダミアンは後ろへと下がった。そして頭を下げたままの目の前には、シルバーグレーのフロックコートが見えた。
この人が、わたしと結婚する人。
ゆっくりと顔を上げようとする。心臓は先程よりも早く鼓動を打った。
完全に視線をあげる前に、「レア」と聞きなれた声が聞こえて、わたしは固まった。いつもよりも柔らかい響きだったが聞き間違いようのない、そしてここで聞こえるはずのない声だったからだ。
恐る恐る視線をあげると、そこに居たのはフロックコートをきちんと着こなしたオグウェルト様だった。
わたしが目を見開くと、オグウェルト様はわたしに少し微笑むような仕草をした。見たことのない表情にまた鼓動は早くなる。息ができないような気持ちになった。どうして。
固まっているわたしを見て、オグウェルト様はそっと耳元に顔を寄せた。周りには聞こえないような囁き声で、「君がそんなに緊張しているのは初めて見たな」と少しおかしそうに言った。オグウェルト様がそこにいることはさも当然というような声で。
そしてオグウェルト様は前を向き直す。いけない、今は儀式の最中なのだからと自分に言い聞かせてわたしも視線を上げると、目の前には神父様がいてわたしたちを見ていた。
そこからはしばらく、混乱と動揺であまり詳しく覚えていない。気持ちがこぼれないように必死に神父様から小さな声で指示されるままのことをこなした。神父様から伝えられる神のお言葉を聞いて、誓いの言葉を震える声で繰り返し、誓約書にも震える手でサインをして、国王陛下とこの国への忠誠も誓った。やけにオグウェルト様の誓いの声の響きだけがわたしの頭の中に残っていた。
「それでは指輪の交換を」
神父様がそう言うと、儀式用の衣装をまとった宮女がオグウェルト様のところへリングピローを持ってくる。オグウェルト様はふたつ並んだ指輪のうちの小さい方を大切そうにとり、わたしの方へと向き直した。わたしもおずおずとオグウェルト様に身体を向ける。
「レア、手を」
言われてどちらの手か一瞬迷ったわたしを見抜いたように、オグウェルト様は眉を下げながらわたしの左手をとった。
肘まであった真っ白なグローブをそっとオグウェルト様が下げていく。かすかにオグウェルト様の指先がわたしに触れる。ぞくぞくした。震えそうになった。こんなことで熱を持つなんて、わたしはどうかしてしまっている。
オグウェルト様にされるがままに左手を差し出すと、オグウェルト様は私の前に膝を着く。
わたしが驚いて手を引っ込めそうになると、オグウェルト様は思いのほか強い力でわたしの手のひらを捕まえた。どうしよう。オグウェルト様の手はあたたかかった。頭が真っ白になる。手に汗をかいていないか急に不安になった。
「逃げないでくれ」
少し苦しげにオグウェルト様がそう言ったのが聞こえて、わたしはハッとしてオグウェルト様を見た。下からわたしを見上げるオグウェルト様は、真っ直ぐにわたしを見ていた。
ふう、と、周りにはわからないであろう小ささでオグウェルト様は息をつく。もしかして、オグウェルト様も緊張しているのだろうか。
オグウェルト様は迷いなく、わたしの左手の薬指に指輪を通した。シンプルなプラチナの指輪だった。埋め込まれた石が光を受けてきらりと光る。
今度はリングピローがこちらに向けられて、困惑しながらもわたしもふた回りくらい大きな指輪を受け取る。石はついていないけれど、明らかにわたしに嵌められたものと揃いの指輪だった。
ずいとオグウェルト様はわたしに左手を差し出す。わたしは震える手を少しでも誤魔化そうと努めながら、オグウェルト様の手をとる。自ら触れるなんてとんでもないことをしている気分になった。
指輪を薬指に通すと、オグウェルト様の手の大きさとたくましさを嫌でも実感した。触れたい。触れられたい。わたしの内のどこからか、そんな思いが湧き出てくるのに気づいて戸惑った。
私の欲望は、こんなにいやしかったのか。
わたしが嵌めた指輪を見て、オグウェルト様は満足そうな顔になった。
それからオグウェルト様はわたしの腰にそっと手をおいて、ぐっと力を込めてわたしを引き寄せて距離を縮めた。彼に触れられたところから熱が広がる。恥ずかしい。わたしはうつむく。なのに、嬉しい。
そして、どうしてオグウェルト様は今目の前にいるのか。
神父様が「最後に、誓いのキスを」と言ったのが聞こえて、わたしはうつむいたまま固まる。誓いのキス。頭の中で聞こえたことを繰り返していると、わたしの腰に添えられていたオグウェルト様の手にまた力がこもった。わたしが反射的に顔を上げると、オグウェルト様はわたしの腰の手の力をゆるめないまま、あいている方の左手をわたしの頬に持ってきた。触れるか触れないかの優しい手に、わたしの頭はグズグズになった。
オグウェルト様の顔が近づいてくる。視線は合ったままだった。オグウェルト様は片頬で笑った。
「君は目を開けながらキスするのか」
それを聞いて恥ずかしくなってギュッと目を閉じると、唇にあたたかいものが触れた。
すぐに離れるかと思ったのに、それは永遠のように感じられた。心臓が止まってしまうんじゃないか。でも、今ここでそうなるならなんの後悔もないとまで思った。
唇にあてられたあたたかいものがそれが当然というように動いたと思えば、わたしの下くちびるが上下から挟み込まれた。驚いて顔を引きそうになると、頬にあったはずのオグウェルト様の右手がわたしの顎を捕まえていて叶わなかった。
しかし、それからすぐにわたしの唇からあたたかいものは離れて行った。
もしかしたら夢かもしれないと不安になった。目を開けたら、夢から醒めてわたしは知らない旦那様のお屋敷にいるかもしれない。
そう思いながらわたしがゆっくりと目をあけると、目の前には変わらずオグウェルト様がいた。オグウェルト様は今まで見た事がないくらい優しげな顔をしていたのだった。




