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誤字報告ありがとうございます。
近々、王族主催のパーティーがあるらしい。お陰様で二ヶ月ほど前からエリカの店は大繁盛だ。しかしそれも開催一週間前にもなれば落ち着く。この頃になるとどうしてもとエリカの香りを求めるものは大体出来合いのものを求めるのだ。
あとは店の者達に任せよう、とエリカが伸びをしたところで。
「エリカ様。お客様がお見えになってます」
エリカを慕って師事してくれている調合師の一人。ジェシカが少し困ったような様子でエリカを呼びにくる。
「あら、約束なんてしていなかったはずですけど……」
「はい。しかし貴きお方ということで、外に止めている馬車でお会いしたい、と」
貴きお方、と言われても。誰かしら、なんて首を傾げるしかない。
「エリカ様の好い人です?」
「こんな嫁ぎ遅れにそんなのいるわけないでしょう」
ぺしり、と手に持ってたハンカチで軽くジェシカの頭を叩く。
「私が出るわ。店はお願いね」
「かしこまりました」
にんまりと笑みを浮かべ好奇心を隠さないジェシカを睨みながらも店の前に出る。家紋のない馬車は、確かに仕立てがいい。上流貴族ね、と頷きながら馬車の外に立つメイドらしき人に話しかける。
「エリカノート・フレグランスの代表を務めます、エリカ・テンプル・ノートです。私をお呼びとお伺いしましたが」
「お呼びだてして申し訳ありません。主人が馬車の中でお待ちです。もちろん不埒なことなどないよう、私も同席いたします」
さあ、とメイドが馬車の扉を開く。そして馬車の中から差し出された手と、その手の持ち主を見てエリカは目眩がした。
ありがたくその手を掴み馬車の中に入り込む。メイドもすぐ後に続き、エリカの隣に座って。
「……クリス様。せめて前触れを下さいませ」
「出すつもりだったんだがな。今度うちでパーティーがあるだろう? 中々に忙しくていつ時間が空くか分からなかった」
馬車の中にいたのはちょうど二週間ほど前に、奇妙な依頼を持ちかけてきた人であり、この国の国王陛下の一番下の息子であり、エリカを奇妙なことに友人と呼ぶ人。クリストファーであった。
「久しぶりだな。調子はどうだい」
「おかげさまで、妖精の手を借りたいほど忙しいですわ」
「ああ、香水の発注も凄いことになるのか」
「有難いことなんですけど、閑散期ともう少しいい具合にして欲しいですね」
「気持ちはよくわかる」
ふっと苦笑を浮かべていたクリストファーの表情が、少し変わる。
「君に、客を紹介したい」
「あら、殿下のご紹介だなんて有難いお話です」
「殿下はよしてくれ」
あー、とクリストファーが一瞬視線を逸らす。
「その依頼、なんだが」
「はい」
「とある公爵なのだが」
「公爵だなんて、数が限られ過ぎですわ」
「その公爵には、まだエリカの話はしていない。だから断ることは可能だ。しかしもし引き受けてくれるのなら、今日から明日にでも頼みたい」
なんとも聞き覚えのある依頼である。何とも言えない予感に、エリカの唇が引きつっていく。
「……詳細を、伺えるかしら」
クリストファーがすまない、と一言呟いて。
「まだ公表はされていないが、とある公爵家の奥方が、つい先日亡くなった。彼は魔力を探知する力に長けていて、私がつけている香水にも気付き、その香水を作った人を紹介してくれと言われているんだ」
何が、元王族のコネだ。エリカは思わず天を仰ぎ、妖精に助けを求めた。
亡くした人のよすがとして、魔力と香りを求めるのはどんな感情なのだろう。
エリカの祖父母はどちらもエリカが幼い時に亡くなっていて記憶がない。そして両親は健在で、引退した今は領地の別荘で二人で仲睦まじく余生を過ごしている。
友人なども皆殺してもしななそうな人ばかりだ。だからこそ、どんな感情でエリカの香水を求めているのか、いまいち分からない。
おそらくエリカの目の前に座るこの男ならば答えを持っているだろうが、それを聞けるほどエリカは豪胆ではない。今もなおエリカの作った練香は確かに香ってきている。
クリストファーの馬車は流石の仕立てで、揺れは殆ど感じず、三十分程揺られれば、「とある公爵」の屋敷に辿り着いた。
ひっそりと重く静かなタウンハウスには、確かに誰かの死が重く漂っている。ちらりと見えた家紋を脳内に照らし合わせ、その名前に口を噤む。
この屋敷の夫人は、エリカの顧客の一人だったのだ。
しっとりとした、睡蓮のような夫人だった。ほのかな木と水の香り、少しだけ甘い花の香りを交えた香水で、主人もこの香りが気に入ってるようなの、なんておっとりと笑う人だった。
「そうか、エリカ殿だったのか……」
憔悴仕切ったハクスリー公爵もまた、エリカを知っている。夫人にプレゼントしたい、と何度か相談を受けていた。
「……旦那様、奥様は…………」
「……もともと、病を抱えていたんだ。大丈夫だと、思ったんだが。ここ最近、一気に酷くなって、なあ……」
声を震わせながらハクスリー公爵が目を伏せる。こちらだ、と案内されついて行くのは、エリカの訪れたことのない屋敷の奥。
午後の日差しがレースのカーテン越しに柔らかく入る部屋だった。大きなベッドに眠る夫人と、そのベッドの横で夫人にしがみついて泣きじゃくっていた子供が二人。顔のよく似た娘と息子ははドアが開いた気配に揃って顔を上げる。
「……ちちうえ」
「……おかあさまの、お客様?」
「サイラス、シンシア。そうだ。お母様の客人だ。お母様にご挨拶に来たんだよ」
クリストファーが双子の兄と妹だ、とエリカに囁く。
双子は鼻をすすりながらも綺麗に礼をする。
「サイラス・ハクスリーです」
「シンシア・ハクスリーです」
エリカもまたそっとカーテシーをして、そのまま膝をついて目線を下げる。
「……こんにちは。エリカ・テンプル・ノートと申します。今日は奥様に会いに来ましたの。二人と奥様の時間の邪魔はしませんので、少しだけよろしいかしら?」
双子は顔を見合わせて頷く。ありがとう、と笑いエリカは夫人に近づいた。
そういえばここ半年ほど、夫人からの依頼が途絶えていた。数ヶ月前に追加の調合を尋ねる手紙を送ったが、まだ大丈夫、と丁寧な返事を頂いた。
随分と痩せ細っていた。微かにエリカが調合した香水が香る。しかしそれは夫人からではなく、どうやら双子の子供達からのようだ。
夫人を見つめ、エリカは目を伏せて。深呼吸を一度すると、さっそくエリカは小瓶を取り出した。
停滞し、失うだけの魔力だ。それでも髪よりは抽出しやすい。
すぐに透明感のある白い魔力が瓶に溜まった。追加で二本、魔力を抽出して封をする。
「……旦那様、魔力の抽出が完了しました。可能であれば調合などに関して詳しくお話ししたいのですが……」
「ああ、なら客間に案内しよう」
そんな大人の会話に、何か気付いたのだろう。双子のうち少女の方が声を上げた。
「……あなた、おかあさまの香水の調合師さま?」
「シンシア、静かにしなきゃ」
パッと双子の少年が少女の口を塞ぐ。そんな可愛らしい様子にエリカは微笑みながらしゃがみ込んだ。
「はい。奥様の香水は私がお作りしました」
同じ目線のエリカに、どうにか少年サイラスの手を退けた少女シンシアが口を開く。
「あのね、おかあさまの香り、わたしとサイラスはね、とても好きだったの。でも、今つけてるのはすこし香りがちがうわ」
「シンシア、せっかく作ってくれた方に、失礼になってしまう」
「でもサイラス、あなたもそう思うでしょう?」
幼いやりとりに、エリカは一瞬だけ目を伏せる。そして意識して笑顔を作った。
「それは、奥様が付けていたからです。私の作る香水は、付けた方の魔力と混じり合うことで完成するのです。すこし違う、と感じるなんて、シンシア様とサイラス様はとても素晴らしい感覚をお持ちですね」
「「おかあさまの魔力」」
幼い声が重なり、眠る母親を振り返る。そうなのね、と呟いた四つの瞳にまた涙が溢れ出し、双子は冷たい母にしがみついた。
「……旦那様」
「エリカ殿、すまない。部屋を用意する」
何かを堪えるように息を吸って、そしてハクスリー公爵が笑う。しかしエリカは首を振った。
「いいえ。……ご用意する香りは、もう決まりました」
本日はもうお暇させて頂きます、とエリカが立ち上がる。
「旦那様、いつも通り十日後でよろしいでしょうか?」
「ああ。……葬儀が五日後なんだ。そのぐらいなら少しは落ち着くだろう」
「かしこまりました」
エリカは立ち上がると、深く深く礼をした。
クリストファーにエスコートされ馬車に戻ると、メイドがポットから温かい紅茶を注いで差し出してくれた。
「……本当に、厄介な仕事を持ってきて下さいましたね」
「すまない」
思ったよりも冷たい声が出てしまった。クリストファーが目を伏せる。いいえ、ごめんなさい、とエリカは言って息を吐く。
「……郊外の私の屋敷へ送って下さいませんか? すぐにでも調合をはじめたいのです」
「わかった。……なにか手伝えることは?」
そんなクリストファーの申し出に、エリカは苦笑する。
「調合師は国の資格が必要なのはご存知でしょう? 殿下」
「確かに。……私には何も出来なさそうだ」
心からの親切心だったのだろう。すこし気落ちした様子に、エリカは少し戯けて笑った。
「……そうですね、食事でも用意してくれる侍女でも紹介して欲しいものだわ」
「昼と夜なら遣いを出そう」
「冗談ですわ」
はは、と笑うクリストファーもきっとからかったつもりなのだろう。途切れ途切れに取り留めもない会話をして、エリカの家の前に着く。
「十日後、また私が馬車を出す」
「一応私が持ってる馬車もありますけど」
「変に噂が回らないほうがいいだろう? 君はそう言った香りの調合を売りにするつもりがないのならば、なるべく隠したほうがいい」
依頼した私が言うことではないが、とクリストファーが困ったように笑う。いえ、と何かを否定しようとして、上手く言えなくて。
「……そうですね。私の馬車は家紋がありますもの。お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ」
「今度はちゃんと遣いを出してくださいね」
「はは、善処しよう」
じゃあ、と挨拶して馬車を降りる。屋敷に入りまっすぐ自室へ向かい、荷物を放り投げるとドレスがしわになるのも厭わずにエリカはベッドへと倒れ込んだ。
「…………っ……」
じわり、と涙が出てくる。母の死を受け止めようとする子供達を思い出すだけで、胸が苦しくなる。母の香りと違う、と言われたあの香水。ハクスリー公爵が一番気に入ってたから、と秘密をこっそりと教えてくれた、あの優しい奥様は、もういないのだ。
クリストファーの前で泣くわけにもいかず、必死に涙を堪えていた。クリストファーも涙を堪えていることに気付いていたのだろう。戯けながらも話しかけて気を紛らわそうとしてくれたのは分かった。けれども、一人になってしまえばもうダメだ。堰を切ったように涙が溢れてくる。
作る香りは決まっている。それを再現できるか。期間は十日だ。すぐにでも始めなきゃいけないけれども。
赤の他人であるエリカでもこんなに悲しいのだ。公爵と子供達の悲しみはどれだけ深いのだろう。その悲しみに、少しでも寄り添える香りを。
エリカは深く深く深呼吸すると、顔を整えるために立ち上がった。
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次のお話もなるべく早くお届けできるように……がんばります……