# 第5話 氷の剣聖が、俺の飯で笑った
「おい、荷物持ち」
食堂の入口から、ガルドの声が飛んできた。
赤い髪が、人混みをかき分けてこちらへ向かってくる。
「ちょうどいい。話がある。俺のパーティに——」
「ユウト」
澄んだ声が、ガルドの言葉を切った。
食堂の奥から、銀髪の女性が歩いてくる。
セラフィナさんだった。
彼女はガルドの前を通り過ぎるとき、一瞥もしなかった。
「執務室に来てくれ。約束を果たしてほしい」
「え、あ、はい」
「おい、待て! まだ話は終わって——」
「終わっている」
セラフィナさんは、振り返らずに言った。
「彼は、今日は私の客だ」
ガルドの顔が、みるみる赤くなった。
周りの冒険者たちが、くすくすと肩を揺らす。
「ギルド長が、荷物持ちを客扱いだぞ」
「ガルド、完全に無視されたな」
俺は、小さく頭を下げて彼女の後を追った。
執務室の扉が閉まると、セラフィナさんは小さく息を吐いた。
「すまない。強引だったか」
「いえ、助かりました」
「……約束を覚えているか」
彼女は、少し視線を泳がせた。
「君の作る食事を、食べてみたいと言った」
「覚えてます。今日、材料をもらってきました」
俺は、リーナさんから借りた袋を机に置いた。
中には、米と野菜と、少しの塩が入っている。
「米と野菜か。簡素だな」
「簡素なほうが、いいんです」
前の世界では、一人暮らしで毎日自炊していた。
雑炊なら、材料があれば作れる。
「ユウトは、料理が得意なのか」
「得意というほどじゃないです。慣れてるだけで」
「そうか。私は、食事を味気ないものだと思っていた」
彼女は、暖炉の火を見つめた。
「腹に入れば、それでいい。そう考えていた」
「それは、もったいないですね」
「……そうかもしれない」
執務室の隅に、小さな暖炉がある。
そこに鍋を吊るして、水を入れる準備をした。
「まずは、米から」
袋から米を一握り取り出し、収納に入れる。
「万象収納」
そして、取り出した。
光がはじけ、俺の手のひらに現れたのは、真珠のように輝く米粒だった。
「……米が、光っているぞ」
セラフィナさんが、目を丸くした。
「次は、水です」
水筒の水を収納して、取り出す。
澄んだ水が、うっすらと金色を帯びた。
「野菜も、お願いします」
同じように、一つずつ収納しては取り出す。
一品ずつしか入らないので、少し手間がかかる。
「手間をかけさせて、すまない」
「いえ、これくらいなら全然」
鍋に、すべての材料を入れた。
干し肉を細かくほぐして、塩をひとつまみ。
ことこと、と音がし始める。
「いい匂いだ……」
セラフィナさんが、鼻をひくひくさせた。
「まだ煮てる途中ですよ」
「分かっている。分かっているが……」
彼女は、鍋の前に椅子を引き寄せて座った。
氷の剣聖が、鍋の前に前のめりになっている。
「あの、お腹、空いてるんですか?」
「……朝から、何も食べていない」
「え」
「君の飯を、空腹で食べたかったんだ」
頬をうっすら赤くして、彼女は言った。
十分後。
俺は、雑炊を深い器によそって差し出した。
「できました。どうぞ」
「いただく」
「毒見は、いりませんからね」
「分かっている。君が毒を盛るはずがない」
セラフィナさんは、スプーンを持ち、一口。
次の瞬間、彼女の動きが止まった。
「……」
「セラフィナさん?」
「……うまい」
小さな声だった。
「ユウト。これは、うまい」
「よかった」
「いや、そうではない。うまいという言葉では足りない」
彼女は、立て続けにスプーンを動かした。
「体の奥が、温かくなる。疲れが、すべて消えていく」
「それは、神級の食材のおかげで」
「違う。君が作ったからだ」
言い切られて、俺は固まった。
そのとき、セラフィナさんの体が、淡く光り始めた。
彼女は慌てて、自分のステータス画面を開く。
【状態:神級雑炊の加護】
【攻撃+20% 魔力+20% 持続:一晩】
「……ステータスが、上がっている」
セラフィナさんは、画面を見つめて呟いた。
「食事で、これほどの効果を得たのは初めてだ」
「え、それ、すごくないですか」
「すごいなんてものではない。国家機密級だぞ」
「そ、そんな大げさな」
「大げさではない」
「そ、そうなんですか」
「ユウト。この力のことは、むやみに他人へ話すな」
彼女の目が、真剣になった。
「知られれば、君を狙う者が必ず出てくる」
「でも、セラフィナさんが守ってくれるんですよね」
「……ああ。必ず」
短く、しかし迷いのない声だった。
セラフィナさんは、空になった器を見つめた。
そして、ふっと吹き出した。
「ふ、ふふ……」
「え?」
「あははは!」
彼女は、声を上げて笑った。
鈴が転がるような、澄んだ笑い声だった。
「ギルド長!?」
扉の向こうから、悲鳴のような声がした。
リーナさんの声だ。
ガチャリと扉が少し開く。
隙間から、リーナさんが顔を覗かせた。
「す、すみません、書類を届けに来たら、声が聞こえて……」
「リーナ」
「は、はい!」
「見なかったことにしろ」
「無理です! だって、ギルド長が声を上げて笑って……!」
リーナさんは、顔を両手で覆った。
「ギルド長が……乙女に!?」
「リーナ」
セラフィナさんの声が、一段階冷たくなった。
「失礼しました! 退散します!」
リーナさんは、風のように姿を消した。
外から、冒険者たちのざわめきが聞こえてくる。
「おい、今の聞いたか」
「ギルド長の笑い声だ……」
「明日は槍が降るぞ」
セラフィナさんは、顔をそむけて小さく咳払いをした。
「……ユウト」
「はい」
「おかわりを、もらえるだろうか」
「もちろんです」
二杯目を、彼女は大切そうに食べた。
最後の一粒まで、きれいに平らげる。
「ごちそうさま」
空の器を、そっと置く。
「笑った顔、初めて見ましたけど」
俺は、思わず言ってしまった。
「すごく、きれいでした」
「な……」
「あ、いえ、その、失礼しました」
「……失礼では、ない」
彼女は、耳まで赤くなっていた。
「ユウト。頼みがある」
「なんでしょう」
「毎日、食べたい」
「え」
「君の飯を、毎日食べたい」
彼女の頬は、真っ赤に染まっていた。
視線も、床に落ちている。
「あ、あの、それは」
「ギルドの宿舎には、台所がない」
彼女は、ポケットから小さな鍵を取り出した。
「私の官舎なら、台所が使える。これを、持っていけ」
「ええっ」
「合鍵だ」
彼女は、俺の手のひらに鍵を握らせた。
冷たい金属なのに、彼女の手の温もりが残っていた。
「今日から、ここに住んでいい」
消え入りそうな声で、彼女は言った。
俺は、手のひらの鍵を、ただ見つめることしかできなかった。




