第64話:物語の中(ミア視点)
この世界に奇跡なんて存在しない。
物語に出てくるような英雄なんていない。仮に居たとしても、お姫様でも何でもない、実験体として生み出された自分――ミアを救いにはこないだろう。
だったら、英雄ではなくても、実験体のように消費される運命のミアを憐れみ、力が足りないにも関わらず、無謀にも助け出してくれるような小説や漫画の主人公のような存在は出てくるだろうか?
結論から言えば、そんな物好きは存在した。
シル=クライン
ミアを含めた他の実験体達を観察していた研究員であり、罪悪感やら、哀れみから恵まれた環境を手放してまで手を差し伸べてくれた恩人。
ミアは悩むことなく、彼女の差し伸べられた手を掴んでしまった。
いや、掴まない理由がなかった。
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日……肉体も精神も悲鳴を上げ続けて、気絶するまで終わらない実験。
肉体と心が着実に壊れていき、遠くない未来でミアは死ぬのだろうと思っていた中で、彼女から伸ばされた手。
掴むなという方が無理だろう。
(私よりも先に居た……あの人たちのようになっていたら話は別か)
あの人たちというのは、ミアよりも先に実験を受けていた実験体であり……心が壊れてしまった人たちだ。
まだ人として心があり、シル先生の言葉を理解できたのは、ミアを除くと、クロエ、ノルン、テオ、ナオトの4人だけ。その4人がシル先生と一緒に逃げ出したメンバーだ。
シル先生とエスタから脱出すること自体は簡単ではなかったが、シル先生が事前に入念に計画をしてくれたおかげで、脱出前に多少の戦闘があった程度で済ませることができた。
問題は脱出した後からだった。
世界には人類の肉体を蝕む魔力毒が満ちており、人類が生きていくには浄化設備が必要不可欠だ。魔術によって肉体の毒を解毒することも可能ではあるが、常に肉体に流入し続ける毒を解毒し続けることは不可能だ。
予定では携帯の浄化の設備とシル先生の魔術によって数年ほどは持つという前提で、どうにか自由都市に辿り着くという想定であった。
(結局、半年も持たなかったけどね)
これはシルの想定が甘かったというのもあるかもしれないが、そもそも外で長期間過ごす人類が少ないことから想定しにくい。
さらにいえば、世界に流れる魔力毒の構成は変化していく。
それを見込んでの数年だったはずだが、想定以上に変化したり、浄化設備が対応できない魔力構成になるケースもある。
もしかしたら、運悪く後者の想定以上の魔力構成の変化にぶつかってしまった可能性もあるだろう。
魔力中毒によって、移動が困難になった時点で誰もが旅の終わりを確信していた。シル先生がどれだけ、自分達を連れ出してしまったことを後悔したかは計り知れない。
シティに居るよりも、結果的に早く死ぬことになってしまったのだから。
たとえミアを含めた子供達全員が、シル先生を責めるつもりもなく、むしろ感謝していたとしてもだ。
実験体として人として扱われずに死ぬまで過ごす生活よりも、たった数ヶ月の間でも人間として生きられたことはミアにとっては何よりも宝物だった。
体が動かなくなって、全身が痛みに苛まれた中でも、旅の中で過ごした思い出を振り返れば、自分の選択肢は間違っていなかったと思うことができた。
シル先生、クロエ、ノルン、テオ、ナオトと初めて見る外の世界は、例え人類を拒む毒に満ちていても、心が震えるほど美しかった。
クロエと一緒に夜の番をしながら未来を話し合うのも、泣き虫のノルンを寝かしつけたのも、魔物と戦う時に我先にと前に出ようとするテオとナオトを叱りつけるのも――大切な思い出だ。
唯一の心残りは、それをシル先生に伝えきれなかったのと、シル先生を私たちが人として死ぬための道連れにしてしまったこと。
感謝と謝罪。
仮に伝えても、シル先生は自分たちを救えなかったことを後悔し続けるだろうが、だからこそ1秒でも長く伝え続けたかった。
そう思いながら、ミアは意識を手放し、二度と目を覚まさないことを覚悟した。
ハッピーエンドのような物語ではなかった。
でも、バッドエンドとも思わなかったし、実験体として生まれて、実験の果てに死んだという空虚な物語よりも遥かにマシなエンディングだ。
そう思っていたし、満足して死ねたと思えていた。
だけど――
「生きている」
部屋にある時計に目を向ければ、時刻は深夜の2時を回った頃合い。
一番の年長者であり、ミア自身も子供達の中で一番の年長者として、しっかりとしないといけないと心掛けており、シル先生のサポートも積極的にしていた。
そんなミアであるが、全員が寝息を立てている中で、興奮で寝ることができなかった。
これからの未来に希望という名のワクワクによって心が躍っていた。
それこそ、シティから出た直後の興奮と同じか、それ以上の興奮だ。
その原因となった二人――正確に言えば2人と1機?と言うべきか。いや、1機と言うのも失礼な気がするので、まとめて3人でいいかもしれない。
ユウト、セブンス、ラプラスの3人。
この3人の手によって、死の淵にいたミアを含めた子供達はあっという間に全快してしまった。その上、シル先生の命も救ってくれた。
外の事情に詳しくないミアだが、魔力毒に侵された肉体の治癒、しかも末期の状態から回復させることは困難であることは理解することができる。
しかも、壊れてしまった浄化設備を修理してくれた上に、何なら設備などなくても、ある程度の範囲なら常に浄化し続けることができるらしい。
意味が分からない。
ミア達からしたら、いや下手したら世界中の人類が理解できない事態だろう。
そんなことが簡単にできるなら、人類は魔力毒に追い込まれたりしていない。
話を聞けば、3人もミア達と同じようにどこかの研究施設から逃げ出したらしく、今はフラフラと3人で旅をしていたらしい。
その途中でミア達を見つけたということだ。
ツッコミどころ満載だった。ナオトやテオといった男子組は色々と聞きたくてうずうずしていたが、そこはシル先生がやんわりと止めてくれた。
一緒に自由都市に来てくれることを同意してくれた中で、下手に質問を沢山して気分を害されても怖いからだ。
シル先生は当たり前だが、ミアも、おそらくクロエも理解している。
3人と一緒にいなければ、自分達は再び少し前の魔力毒――異界病になってしまうことを。
浄化設備を治してもらったが、すぐに壊れてしまう可能性は十分ある。
仮に壊れなかったとしても――この世界で一番求められているような物語の中に出てくるような人たちとの出会った奇跡を手放してはいけないと思ってしまう。
何よりもシル先生の背負う負担を少しでも軽くしたいし、彼女にも幸せになって欲しい。ミアにとっては、『実験体』から『ミア』という一人の人間になれたというだけ十分満たされているが、シル先生はそうじゃない。
ミア達が生き延びないとずっと後悔し続けるだろう。何よりもミアは、シル先生が自分たちのせいで後悔しながら死んでいくのを見たくはない。
そのためには、奇跡の出会いを無駄にはできない。
「私も頑張らないと」
何を頑張ればいいのか分からない。でも、自分にも何かできることはあるはずだ。
窓の外に向けていた視線を部屋の中に戻すと、穏やかな寝息をしながら眠るクロエ、ノルン、テオ、ナオト、そしてシル先生。
ユウトさんは、セブンスさんに引きずられるように、いつの間にか設営されていたテントの中で眠っているはずだ。ミアは見ていないが、ラプラスさんも一緒について行ったのだろう。
数週間前のように苦痛を感じるような声はない。
穏やかな空気が流れる夜の時間。
この時間を守れるなら、ミアはいくらでも頑張れるし、何だってしたいと思うのだった。
そう思って、ゆっくりと体を横にする。
明日から自由都市『リベルタリア』に行くことになるのだから、そろそろ寝ないと本格的に明日に影響を与えてしまうだろうから。
どうか、シル先生の差し延べてくれた手を握ったことで始まった物語が、全員のハッピーエンドで終わることを祈ってミアは眠りに落ちる。




