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第45話

 夜の港町。停戦交渉場の近く、重厚な扉の奥。青年は椅子に縛り付けられ、冷たい石床に足を置かれていた。警護兵たちの視線は鋭く、空気は張り詰めている。


「ヴォルフ殿、命令により一時拘束。安全を確保するためです」


 警備隊長の声に、私は肩をすくめて応じた。


「ふむ……安全か。念の為問うが、誰の、何の安全を確保しようというのだね?」

「……他にお伝えする事はありません。暫しこのままお待ちください」

「使者を監禁とは、貴国も随分と野蛮だな」

「……では、失礼致します」


 警備隊長が立ち去り、重い音を立てて扉が閉まった。停戦交渉の会場である港町の、領主の城らしき場所にある尖塔の最上階に連れてこられた。牢屋ではなく、貴人を軟禁するための部屋だろうが、まさか縛り付けられるとは思わなかった。随分警戒されているのだろうか。

 それにしても急に拘束されるとは。良くない状況だが、問答無用で処刑されたり牢屋に放り込まれたりしてないのだから最悪ではない。おそらく帝国内で王国に対する強力な外交カードを切る事が決まったか、見つかったのだろう。とすると王都には帝国から使者が向かっている筈だが……レアンドラは上手く対処出来るだろうか。

 彼女に多大な負担を強いてしまう事に、はっきりとした苛立ちを感じた。


 ***


 港町を治める伯爵家の城に建つ尖塔の階段を、気怠げな様子で外務尚書事務次官が重い足取りで歩いていた。その目は平静なようで、どこか据わっていた。



  いい加減うんざりな任務だ——と、そう思いながらも足は止まらない。外務事務次官の仕事は粘り強いと調整と、あと報告書で出来ている。だが、今夜はそれに「感情」が混ざっている。感情という名の厄介事が。


 尖塔の階段は明かりが薄く、侍女や小間使いの足音だけが時折反響する。私は扉に顔を近づけ、簡単な合図を送ってからノックした。中からは短い応答があり、扉はまるで儀礼ごとのように開かれた。


「失礼いたします、トルベでございます。アーセナル閣下よりの御意志で——」

「わかっています、すぐにお通ししましょう」


 なるべく簡潔に済ませたいものだ……だが、簡潔で済む話などこの夜には存在しないのだろう。

 案内された小部屋の扉が閉まると、私は深く息を吐いた。外の喧騒がすぐ遠のく。机の上に広げられた調書、燃え残りの蝋燭、そして――椅子に縛り付けられた男。ヴォルフ殿がそこにいる。

 縛られていても、彼の佇まいは変わらない。涼しげな表情と余裕、それが似合う男だ。目が合った瞬間、私の口元に微かな礼儀としての微笑が浮かぶ。だが、その微笑はすぐに仕事の顔に戻った。


「ヴォルフ殿、今晩は。いくつか伺いたい事がありまして」

「トルベ殿か。よく来てくれた。夜分を煩わせてしまったな」


 彼の声は穏やかだ。あまりにも穏やかで、逆にこちらの腹が落ち着かない。私は言葉を選び、事務的に切り出す。


「先ほど外務尚書閣下と意見が交わされまして——捕虜のこと、五万人と申されましたね。経緯を少し伺えますか。報告のために、事実を整理しなければなりません」


 その一言で、空気がぎくりと動いた。ヴォルフ殿は微笑むように苦笑した。


「相変わらず苦労性のご様子だ。経緯と言っても、戦闘で以て降して捕虜としただけなのですがね」


 どんな戦術を弄すればそんな結果となるのか。いや、問題はそこではない。彼らの推定兵力は明らかに五万人を下回っているどころか、おそらく半分程度だ。どう考えても防衛戦で動員した兵力の倍の捕虜を勾留出来る訳がないのだが……彼はいつでも言葉で相手を翻弄する。私は顔に出さぬよう努めつつ、冷静に返す。


「私は事実を。虚実を混ぜずに。皇帝陛下にも、外務尚書閣下にも、正確な報告を求められております。虚報が事態を悪化させることは避けねばなりませんから」


 ヴォルフは私の目をしっかりと捉えた。縛られていても、その視線は自由だ。


「わかった。では、まずは現状から。捕虜たちの収容状況、物資の分配、移動の可否——そういった事を知りたいのだろう。だが、トルベ殿は何を求めているのだ?即時返還の本気度か?それとも、帝国の体面を保つための言い訳になりうる線か?」


 言い回しは挑発的だが、含意は明確だ。私は淡々と、だが内心では危険を測りながら答える。


「帝国は、捕虜返還を求めています。だが、閣下もご承知の通り、手続きと実務が伴います。まずは事実確認、次に返還計画の提案——その順序でなければ、いかなる合意も脆弱です」


 彼は頷き、短く呟いた。


「順序か。順序は大切だな。だが、手続きが長引けば長引くほど、他者の介入や噂が増える。貴殿もそれを恐れているのではないか?」


 私は心の中で「それが仕事です」と付け加えたが、声には出さなかった。真実はいつも重い。噂が火種になり、やがて燃え広がる。私は一介の事務官に過ぎぬ。だが、火に油を注ぐわけにもいかぬ。


「トルベ殿、我々のやり方を信じるのが一番だ。だが、そなたにも良心があるなら教えてくれ。捕虜となった彼らは本当に皆、戻りたいと思っているだろうか?」


 質問は単純だが、本質を突いている。私は即答を避け、慎重に言葉を選ぶ。


「千差万別です。戻りたい者もいれば、生活の場を変えた者もいる。だが、国家として扱うべき人間の数は、現実に基づいて示されねばなりません」


 距離感と礼儀を保ちつつ、私はメモ帳に走り書きをした。言外の意味を拾いつつ、どこまでを上に示すべきか。ここが私の苦境だ——上が何を望み、下が何を期待するか、その狭間で言葉を選ぶ。


 会話の終わりに、ヴォルフ殿が小さく笑った。


「トルベ殿、貴殿の勤めは存外面白い。だが、どうせなら皇帝陛下にも、良い噂を届けてくれ。世の中、噂の勝ちだ。真実は後からついてくる場合もある」


 私はその言葉を鵜呑みにせずに、しかし記録に写した。字面は冷たくても、裏には何が潜んでいるか分からない。私は深く息を吸い、立ち上がった。


「よろしいでしょう、私も必要な報告は致します。しかし念のため申し添えます。静観と慎重さを。状況が一気に動けば、誰も得をしません」


 ヴォルフ殿は目を細め、何かを見透かしたように笑った。私の胸の奥には、小さな重石が沈む。


「捕虜は五万人、これは事実だ。勾留費用は莫大だが、備蓄を解放しつつ彼らに屯田させているので、破滅的事態には至っていない。当然勾留費用は貴国に請求するゆえ、準備なさるとよろしい」


 ヴォルフ殿は相変わらず言いたい放題だ。だが不思議と説得力はある……本当に捕虜が不足なく勾留されている可能性も考えねばなるまい。そして突然のヴォルフ殿拘束命令と、それを予期していたかのようなヴォルフ殿の態度。拘束命令を伝えに来た連中は、おそらく帝室直轄の諜報組織だ。事態は急激に変化しつつある。

 尖塔の扉を出ると、夜風が冷たく顔を打った。私は歩きながら、書簡の文面を組み立てる。どの単語を選ぶかで、帝国の行方さえ左右されかねない。板挟みというより、綱渡りだ——落ちれば誰が責められるかは明白だ。

 それでも私は歩く。仕事は待ってくれないし、誰かがこの難局の舵を取らねばならない。

――夜は長い。私は今夜も、往復の走り書きと、嘘にならぬ慎重な言葉で、自分の身を守るしかないのだ。

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