デブは、しぶとく諦めない
天幕の中では、まだ言い争いが続いていた。
男達は声を張り上げ、ただ自分の意見を主張するばかりであった。
「始めから、二つのグループに分かれていたようですわね。実行班と支援班のような」
アデレードが分析する。
シルビアはペンダントを握り締め、満足そうにうなずいた。
「それで中々決着がつかないのね。好都合だわ」
「ええ。でも、段々険悪になっていますわ……」
アデレードは不安そうにフォアマンと男達を見比べた。
フォアマン男爵は、震えながら議論の行方に耳をそばだてている。父親が目を覚ました時、アデレードは声をかけた。だが男爵はちらと視線を投げただけで、その後は娘を一瞥もしていない。
埒が明かない議論にほとほと飽いたのか、痩せた男は懇願じみた声で叫んだ。
「だから、ヤバい殺しに巻き込むなって話だ! どうしても殺りたきゃ、シティに戻ってから、あんた達だけで勝手に殺ってくれよ。なぁ、頼むよ、バフ!」
同じ反バフ派の男が食ってかかった。
「おい、ふざけんな! それで金千枚はどうなるんだよ? 俺達だって、もうとっくにヤバい橋を渡っているんだ。ここまできて、半端は許さねぇぞ!」
「ああ、そうだな」ふいにバフが言った。皆が注目する。
バフは天幕の奥へゆっくり下がると、剣の柄に手をかけた。
「ちと、負い目があったからな。つい大人しくお喋りに付き合っちまった」
「お、おい!」
痩せた男が慌てて飛び退った。他の男達も一斉に身構える。
「勘違いするな。――この腰抜けを殺っちまえば、否応なしだろうが!」
素早く剣を抜き、バフは振り向きざまにフォアマンを斬り捨てようとした。
その時、シルビアとアデレードの背後の天幕から、剣先が生えた。剣先は上から下へ動き、布地を切り裂いていく。バフの目が見開かれ、斬りかかる動作を止めた。
悲鳴を上げてフォアマンが立ち上がる。
天幕の裂け目から四つの掌が出現し、布地を大きく左右に開く。左の掌は、子供のものだった。
広がった裂け目からレイが突入してくる。
同時に、オーサーとリカルドが天幕の入り口に姿を現した。
応急作戦にしては悪くないタイミングだったが、誤算が生じた。
一つ目の誤算はフォアマンだった。
「ひいやあああっ!」
恐怖に我を忘れたフォアマンは外に逃げ出そうと突進し、オーサーと衝突した。
彼に続いていたリカルドも足をもつれさせた。リタはリカルドをすり抜け、倒れ込むオーサー達の上を飛んで、天幕内に着地した。
着地の姿勢から二本の短剣を抜くと、リタは立ち上がるまでの間に三人を昏倒させた。
彼らにとっては、固まって立っていたのが不運であった。
バフを支持していた男は見事な反応を見せ、剣を抜き放ってリタに斬りつけようとした。
かちん、と小さな音が立つ。
剣は短剣でつば元を押さえ込まれていた。
もう一本の短剣の柄でこめかみを強打され、彼もまた意識を失った。
ここまでで、ほんの数秒しかたっていない。
だが、本来リタが担当する筈だった、正面の敵――バフへの対処が遅れた。
二つ目の誤算はそのバフの行動だった。
「おらあっ!」
シルビア達の前へ走り込んだレイに、バフが体当たりする。
剣を構える暇もなく、レイは弾き飛ばされた。さらにバフは剣を振るい、天幕の支柱を叩き斬った。
「この、お止め!」
入り口付近にいた最後の男を仕留め、リタがバフを制止する。
彼女が走り寄る前に、バフは天幕の布地をつかみ、強く引いた。不安定になった天幕が崩れ出す。
誰もが上に気を取られた瞬間、バフはシルビアを抱えて、後の裂け目から天幕の外へ飛び出していた。
外で待機していたマルコとイルマも、崩れる天幕に意表を突かれた。
マルコはとっさに転がってバフを避けたが、イルマは接触して転倒してしまった。
「シルビア!」
少女の姿を認め、マルコが叫ぶ。
はっと目を見開き、シルビアも叫んだ。
「マルコ! マルコォッ!」
入り口側で待機していたフリッツが、横合いから滑るような足捌きでバフに接近した。
「貴様っ! お嬢様を離さぬか!」
貴族の子弟は剣に長けた者が多い。
まともな撃剣なら、フリッツが優位だったかもしれない。しかしバフは、強引に主導権を奪った。
「ああ、いいともよ! ほら、大事なお嬢様だぜ!」
バフは方向転換すると、抱えていたシルビアをフリッツに向かって放り投げた。
剣を抜きかけた手を止め、フリッツはシルビアを抱き止める。
そこへまったくスピードを殺さずにバフは突っ込み、フリッツの顔面に頭突きを食らわせた。
倒れ込むフリッツを蹴ってシルビアを取り返すと、バフは勝ち誇るように笑った。
明らかに彼は多対一の戦いに慣れていた。犯罪組織の人間には、あまりない特徴だった。
シルビアの喉元に鋭い刃がひたりと当てられる。
冷たい感触が、彼女を凍りつかせた。
「そうそう、大人しくしな。おい、そっちの女! お前もだ!」
バフは天幕から這い出したリタを牽制した。
「シルビア!」
「駄目よ、マルコ!」
駆け出そうとするマルコを、リタが制止する。
少年の長く尖った耳を目に留め、バフの顔を場違いな当惑が覆った。
「まてよ……そうだ、エルフの餓鬼が……」
リタとマルコを交互に見て、バフは呟いた。
「ナイフ使い……いや、二刀流の女とエルフの餓鬼。――まさか『紅の執行者』か!?」
得心がいったのか、バフは口を歪めてにやりと笑った。
リタをじろじろと眺める。
「こりゃ、とんだ土産話ができたぜ。こんな所でご同業に会うとはな。ええ、ヒルダさんよ」
「あたしはリタ・トスタニアだ!」激昂するリタ。バフは口元に嘲りを浮かべた。
「ほぉ、そうかい。裏切り者と言った方が良かったか? とにかく、武器を捨てな。おい、お前等もだ」
リタは短剣を二本とも地面に投げた。
バフを包囲しかけていたフリッツやリカルド達も、剣を捨てざるを得なかった。
シルビアを抱え、後ろ向きにゆっくりと歩くバフをリタ達は遠巻きに追った。
人質をとっているとは言え、人数が違う。どこかで隙を見せる筈であった。
だが、歩き始めてすぐに森が切れ、大河が姿を現した。
森を貫いて流れる、ラオル河であった。
小型の帆船が川縁の木に係留されている。やはりバフ達はこの船で河を遡ってここまできたのだ。
船に飛び乗ると、バフはレイとオーサーを顎で指した。
「お前とお前、ちょいと手伝ってもらおうか。他の連中はそこから動くな」
言われた通りにするしかなかった。
バフの命じるまま、錨を上げ、舫綱を解く。
「よぉし、次は水に入って船を押せ! さっさとしねぇとお嬢様の鼻がなくなるぞ!」
二人がわずかに押しただけで、船は流れをつかんだ。
舷側がゆっくり岸から離れ、徐々に行き足を増していく。岸は下流に向かって急激に高さを増して崖になっているため、迂回して上に登らない限り、リタ達が川縁を走って追うのは不可能だった。
充分遠ざかったと見ると、バフはシルビアをマストの方へ突き飛ばした。
船尾の舵輪を回して、船を河の中心へ向ける。
岸に取り残されたリタ達に、バフは一瞥をくれた。彼等は逃走を成す術もなく見送っている。
シルビアはマストに寄りかかって立ち上がった。
「この先どうするつもりなの? シティに戻ったって、あなたに逃げ場なんてないのよ!」
「お前を売り払って、国外にとんずらするさ。ギルドにゃ、もう未練はねぇ。奴等――」
ふと、眉をひそめる。岸辺の人影は、もうすっかり小さくなっているが、まだ大きさは見分けられる。
大人ばかりで子供の姿はないように見えた。
横合いの崖からマルコが宙に飛び出したのは、その時だった。
リタには色々過去があるのですが、本筋ではないので匂わせる程度にしました。
いつか書くかも知れません。





