はったりは、勢いが大事
朝方まで降り続いた雨の影響で、森の湿度は高かった。
気温の上昇もあいまって、ただ立っているだけで肌に汗が噴き出してくる。
しかし問題は暑さではなく、時間だった。
リタ達は追跡を開始して以来、都合三回目の停滞に陥っていた。もちろんマルコは懸命に痕跡を調べているのだが、成果ははかばかしくなかった。
見つからないのではない。痕跡が多過ぎるのだ。
雨上がりの森で跡を残さずに移動するのは難しい。
だが、誘拐犯達は偽の痕跡を混ぜた分岐をつくり、追跡をかわそうとしていた。マルコは最初の分岐では正しい痕跡を見つけられたが、次は間違えてしまい、分岐点へ逆戻りする羽目になっていた。
「犯人はただの軍人崩れじゃない。長距離偵察隊にいた奴かもしれないな……」
リカルドが呟く。リタが聞き返した。
「長距離偵察隊? 軍司令部直轄の精鋭部隊じゃない。なぜそう思うの?」
「森を踏破し、姿を隠しながら慎重に情報を集め、標的を拉致して離脱。追跡を避ける為に偽の痕跡まで使いこなしています。一般の兵士にできる技ではありません」
「なるほどね。もしそうなら、かなり手強い相手ね」リタは表情を険しくする。
母の声が届かぬほどに、マルコは必死になっている。
彼は狩の専門家でも追跡の専門家でもない。
それでも今いるメンバーの中で誘拐犯を追えるのは、自分しかいないとわかっていた。
正しい痕跡を発見したのは、それから十数分も後のことだった。
男達はバフを中心にして、天幕の入り口近くに集まっていた。
常に誰かがシルビア達に目を向けており、逃げ出すチャンスはなさそうだった。
シルビアはちらちらと隣にいるアデレードを盗み見た。
その仕草に気付いているだろうに、アデレードは無関心を装ったままだ。
意を決し、ようやくシルビアは小声で話しかけた。
「ハイ、アデレード」
「止めて下さらない、馴れ馴れしい。貴女にそんな呼び方を許した覚えはありませんわ」
アデレードは顔を向けない。精一杯、威厳を保とうとしているようだ。
シルビアは斬って捨てるように言い放った。
「いい加減にしてよ、この間抜け」
「なんですって?」目を剥くアデレード。
「こんな馬鹿馬鹿しい状況で、御機嫌ようミス・フォアマン、と言えとでも? 連中の相談が終わったら、わたし達ひどい目にあうわよ。お父さんがどうされたか、見たでしょう?」
「それは……だからと言って――」
「やめてってば! 今は学校で取り巻きの娘達に囲まれているわけじゃないのよ。わたしだって嫌だけど、協力し合うしかないわ。わからないの、そのくらい!」
屈辱に頬を染めたものの、アデレードは判断を誤らなかった。
「どうしろと仰るの?」
「――ありがとう。まず、少し聞かせて。ここはどこ?」
「さぁ、詳しくは。私はお父様に旅行と言われて着いてきただけです。貴女、山小屋に逗留なさっていたのでしょう? そこから少し離れた森の中、としかわかりませんわ」
「それなら、大丈夫ね。時間を稼げば助けがくるわ」
安堵するシルビア。
アデレードは怪訝な顔をしたが、シルビアは次の質問に移った。
「どうしてわたしがあの山荘にいるってわかったの?」
「私は存じませんが、成績優秀なミス・ボックなら、少し考ればおわかりになるのではなくて? 商家の御屋敷には、口の軽い方もいらっしゃるでしょう」
アデレードの指摘は正しかった。
シルビアは静養に出かけただけであり、行き先は複数の使用人が承知している。寄宿学校の関係者とでも名乗れば、聞き出すのは簡単だろう。この近辺に人家はマルコの山荘だけだから、その気になればすぐに特定できるはずだ。
「そうね、その通りだわ。でも、一々嫌味を挟むのは止めて下さる?」
「あら、別に。貴女のようなさもしい方にそう言われるのは、心外ですわ」
「どういう意味よ?」
さすがに声を尖らせたシルビアに、アデレードはぴしりと言った。
「寄宿学校は知識と礼儀作法を学び、健康な心と体を養う場です。学業の優劣は、あくまで結果として出るだけのもの。それを貴女はなりふり構わず、なんでも一番、一番ってみっともない! 飢えた犬のようななさりようは、目にあまりますわ」
シルビアは頬を張られたような表情になった。
膝立ちになって、叫ぶ。
「悪かったわね! わたしは自分の力だけで、評価を勝ち取らなくちゃならないのよ! そっちはなによ。あなた達は、いつも大勢で徒党を組んでいるじゃない。わたしが気に食わないなら、自分一人だけで堂々と文句を言ってみたらどうなのよ!」
アデレードも叫び返す。
「徒党なんて組んでませんわ! あの学校の中では、勝手にそうなってしまうだけよ。貴女こそ、そうして他人を小馬鹿にしているから、誰にも理解されないのよ。なんでも一人でやっていけると思うなんて、傲慢だっておわかりでしょうに!」
「大きなお世話よ! あなた達の理解なんて……」言葉が途切れる。
天幕中の人間が彼女達を注視していた。
例外は気絶しているフォアマンだけだった。
「とにかく時間を稼ぐのよ」シルビアが囁く。
バフはゆっくりシルビアの前にくると、彼女の顎をつかんで、無理矢理立たせた。
「呆れた娘っ子どもだな。度胸がいいのか、馬鹿なのか」
バフはシルビアを突き飛ばすと、今度はアデレードの前にしゃがみ込んだ。
「金が足りないんでな。お前達は売春窟に売り飛ばすことになったぜ。恨むなら、情けない親父を恨むんだな。ま、男爵様はこの場で俺達がぶっ殺しちまうんだが」
周りの男達が下卑た笑い声を上げた。
彼女達に性的な視線を向ける者すらいる。
シルビアは震える手でペンダントを握った。
丁寧に研磨された滑らかな表面を弄り、強く握って震えを止める。
深呼吸して体を起こすと、バフの部下達に向かってたずねた。
「ねぇ、幾らだったの? 誘拐の報酬って」
痩せた男が反射的に答えた。
「金二十枚だ。ったく、貴族だからって信用し過ぎたぜ」
「金二十枚?」
大げさに驚いて見せた後、シルビアは可笑しそうにふき出した。
いや、はっきり笑っていた。状況がつかめない男達の前で、たっぷり十数秒は笑ってみせた。
さっと笑いを切り上げると、今度は呆れたように叫ぶ。
「二十枚! まったく冗談じゃないわ、たったそれっぽっちで! 金二十枚なんて、わたしのお小遣いにも満たない額じゃないの。ねぇ、わたし達を幾らで売るつもりか知らないけど、お父様なら金五百枚は軽く出すわよ」
「ごっ……五百、だと?」問い直した男に、シルビアはぴしゃりと言った。
「五百でも千でも出すわ。出すに決まっているじゃない、そんなはした金!」
きっぱりした言い様に、ざわつく男達。
彼等が夢見たこともない大金が、突然現実味を帯びて――実際にはただ言葉の上だけの話なのだが――目前に現れたのだ。
舌打ちするとバフは立ち上がり、怒声で部下を制した。
「おい、乗せられるんじゃねぇ! 黙ってそんな金、出す馬鹿がいるか!」
「出すわよ。わたしのお父様はね、娘絡みのごたごたを、これ以上世間にさらしたくないの。そういう噂は、少しは耳に入っているんじゃないかしら?」
シルビアの言葉をアデレードが補強した。
「ええ、醜聞は好ましくありません。まぁ、わたしの家も最低四百は出せますわ」
「馬鹿言うんじゃねぇ。男爵が金を払えねぇから、代りに売られるんだぞ、お前等は!」
とたんにバフが噛み付く。
だが、それはアデレードの罠であった。
「あら、そうでしたわね。でも、私にはお母様もおりますのよ? 申し上げるまでもありませんが、貴族のね。悲しいことにお父様とは別居して生家におりますが、私のためならばそれくらいは出して頂けますわ。それに」
父譲りの尊大さをにじませて、アデレードは男達をねめつけた。
「貴族は横の繋がりが強いのです。事業に失敗しようと、罪を犯そうと、貴族は貴族。経緯はともかく、万が一お父様を殺すようなことがあれば、徹底的に追い詰められますわよ」
「よう、バフ……やっぱ、殺すのはまずいんじゃねぇのか?」
痩せた男がおずおずと言った。
「なにびびってやがる? こんな場所で殺ったことが、バレる筈ねぇだろう!」
「ボック家の執事が嗅ぎまわっている――お父様はそう仰ってましたけど?」
アデレードが渡したバトンを、シルビアは落とさなかった。
「まぁ、そうだったの。当家の執事は、貴族の出。しかも、実の兄が貴族院の議長なのよ。このままわたしやフォアマン家の人間が失踪すれば、どうなるかしら? きっと皆さんは、わずかな対価を使う暇もないでしょうね。お気の毒だわ」
「ふざけるな! 貴族共にびびってギルドが勤まるか!」
バフはシルビアを殴り倒した。
床に転がったシルビアはバフを睨みつけ、素早く立ち上がった。ここが勝負どころであった。
顔を腕に擦り付けて鼻血をぬぐい、ペンダントをぎゅっと握る。
「そう、あなた達はやっぱり犯罪ギルドの人間だったのね。確かにギルドの力があれば、貴族の報復から逃れられるかもしれない。でも、今回は駄目よ。――あなた、この誘拐依頼、ギルドに無断で請け負ったでしょう!」
バフの顔を本物の狼狽が覆った。
確信を得て、シルビアは優勢に立った。
「図星なのね? おかしいと思ったのよ。ギルドを通しているなら、男爵が破産しているのを知らなかった、なんてミスはありえないもの! 下調べが杜撰だったわね!」
男達の間に、はっきりした動揺と混乱が生じた。
「おい、なんだと? ギルドに無断だって?」
「バフ、話が違うぜ!」
シルビアはさらに畳みかけた。
「勝手に動いた連中を、ギルドが守ってくれる? むしろ迷惑な裏切り者として、突き出されるに決まっているわ! わたし達を解放して、たっぷりの金貨を手に入れるのと、どっちがいいのか、ちゃんと考えなさい!」
たちまち男達は言い争い始めた。
バフの支持者は見張りをしていた男だけで、後からきた四名はバフの計画に反対している。
反バフ派の方が多いのだが、その分、てんでバラバラな主張をしていた。
シルビアは注意を引かないように数歩下がると、アデレードの横に座った。
殴られた怪我も気にせず、声をひそめ早口で話し始める。
「助かったわ、アデレード。お陰で上手くいった」
「適当に合わせただけですわ。私は貴女ほど、下賎な方達に詳しくありませんもの」
「半分以上あてずっぽうよ。わたし、群れている人達嫌いだもの」
嫌味が聞こえなかったように、アデレードは返した。
「金二十枚がお小遣いですって?」
「金貨どころか、銀貨一枚ももらったことないわ。渋いのよ、お父様は」とシルビアは眉をひそめ、「でも、いいわね。あなたにはお母さんがいるのよね」とうらやんだ。
シルビアから目をそらし、アデレードは淡々と答えた。
「だから貴女は無神経と言われるのですわ。母親がいい人間とは限りません。お父様はきっと本当は、私よりお母様をここに連れてきて、復讐が成った瞬間を見せつけたかったのですわ。お父様が破産した時のお母様の仰り様は、私から見てもあんまりでしたから」
アデレードは昏倒している男爵に目を向けた。
「まあ、他にも色々とね。だからお母様よりは、幾らかお父様の方がまし――そう思って、私はフォアマン家の屋敷に残ったのです。どうやら間違いのようでしたけど」微かなため息。
「ああ、その……ごめんなさい。いえ、謝るのも失礼かしら」
「ふん。ええ、よろしいですわ。無知ゆえの無礼は許して差し上げます」
つん、とした横顔にシルビアは苦笑した。
「とにかく、早く学校に戻りたいですわ」
アデレードはぽつりと言った。
恐らくこの黒髪の少女にとっては、学校こそがわずかな救いの場所だったのではないだろうか。
言い争いは期待通りに長引いている。
しかしながら、彼女達に打てる手はもう打ち尽くしていた。
アデレードのキャラ造形はもう古いと言えば古いのですが、こういうの好きなのです。





