後編 魔女の笑顔
王国へ戻ってすぐ、アレハンドロは結界の塔を封印し、神聖水晶にかかり切りだった魔術師達を外へ出した。
ダニエルの言う通り、技術や肥料で農業を立て直すしかない。
魔術師達には魔の森から襲い来る魔獣を駆除するという役目がある。それによって得られる魔獣素材は以前から王国の貴重な収入源だし、これからはそれを食糧と交換する道もあるだろう。
ベネノはまだ見つかっていない。
グティエレス公爵とその愛人は娘の駆け落ちの責任を問われて処刑されていた。
本来なら分家の出とはいえ、今はもう数少ない聖女の末裔である公爵には神聖水晶に魔力を注ぐ役割が期待されるところだ。にもかかわらず愛人とともに処刑されてしまったのは、彼が死にかけていたからだった。
グティエレス公爵の愛人には情夫がいた。
ずっと以前からいたものの、同じ人間と続いていたわけではない。
若いころは体で、年を経てからは公爵から巻き上げた金で好みの男を誘惑して囲っていたのだ。
最近の彼女は娘と変わらない年ごろの男に入れあげていた。若い美男が求めるのは金だ。
ベネノの母は、グティエレス公爵を殺して自由になる遺産を得ようとしていた。
愛人に飲まされていた毒のせいで公爵の魔力量は減少し、聖女の血を引く子どもを作る機能も使えなくなっていた。だから簡単に処刑されてしまったのだ。
第二王子ダニエルの母親だった正妃は、三年前の婚約破棄よりも前に亡くなっている。側妃がなにかをしたのかもしれないが、側妃に甘い国王はまともに調査していない。
その側妃も今はいない。国王は寝たきりだ。
不作で国民が苦しんでいるというのに、ふたりは前と変わらない贅沢な生活を要求していたので、アレハンドロと腹心で静かにさせたのだ。
「……カルメン……」
王国に残った数少ない王族として執務机に向かいながら、アレハンドロは元婚約者の名前を呟く。
ダニエルに言われた通り彼女の墓を暴くと、そこには縛り首になった女性の死体があった。
聖女の血のせいか屍蝋化していたので、首に残った縄の跡がはっきりとわかった。
しかし、縛り首で頭に血に昇ったせいか苦悶に満ちた顔立ちは生前とまるで違っていた。
アレハンドロはカルメンの笑顔を思い出せない。
自分が歪めて壊してしまったからだ。
★ ★ ★ ★ ★
それは、アレハンドロが魔の森の奥にある小さな家を訪ねた後のこと──
「ただいま」
「とーた!」
ダニエルが転移魔法陣で家へ戻ると、もうすぐ二歳になる長男が飛びついて来た。
「遅くなってごめんよ。疫病の流行っている地域に行ったから心配で、魔の森の家で体を浄化してから戻って来たんだ」
長男を抱き上げて、ダニエルは身重の妻に言う。
彼は妻と幼い息子に疫病を移すことを恐れて、帰るのが遅くなったのだった。
「気遣ってくれてありがとう」
「夫として当然のことだよ、カルメン。……おや? うちのお兄ちゃんが寝ちゃったぞ」
「貴方の帰りが遅いのが心配だったみたいで、ここ最近眠りが浅かったのよ」
「君は大丈夫かい?」
「ええ、毎日熟睡出来ていたわ」
ちょっと寂しい気もしたが、今のカルメンは大事な時期なので仕方がない。
たっぷり眠ってたっぷり食べて、今度も元気な子どもを産んで欲しいと思いながらダニエルは愛しい妻の横顔を見つめた。
アレハンドロが思っていた通りダニエルは、三年前に自身の幻影魔術でカルメンを絞首台から救い出していた。兄を想う彼女を必死で説得して口説き落として、手に入れたのが今の幸せだった。
(農業に関しては頑張ってもらうしかないけれど、助けられる人を見殺しにするのは気持ち良くないし、カルメンが知ったら悲しむからね)
そんな気持ちで、ダニエルは疫病などの今の弱った王国では対処不可能なことにはこっそり力を貸していた。
国民も逞しいもので、新しい農法を始めている村もあるし保管していた食糧でなんとか食いつなぎながら新しい道を模索している都市もある。
山賊に襲われて、逆にその山賊を吊るし首にしている町もあった。
(あの女も最後に役立ってくれて良かったよ)
カルメンの墓に入っていた女性の死体は吊るし首にされた山賊のものだ。
生前の名をベネノという。
彼女は駆け落ち途中に出会った山賊に擦り寄り、山賊の愛人になっていたのだ。
吊るし首を見つけたのは偶然だったが、カルメンの墓が空では不味いだろうと考えて代わりに入れておいて良かったと、ダニエルは思う。
ベネノはちゃんとグティエレス公爵の血を引いていたようで、なかなか死体が腐敗しなくて気持ちが悪いと町民に恐れられていた。
聖女の血のせいだろう。おかげで外見も異母姉のカルメンに似ていたので、身代わりにすることが出来たのだ。
(神聖水晶は経年劣化が著しい。いつひび割れてもおかしくはない。直すすべも新しく作るすべも王家が秘匿しているうちに失われてしまった)
この機会に聖女が結界の塔の生け贄になる時代は終わるべきだ、とダニエルは思う。
カルメンの母や代々の聖女の末裔が早逝していたのはその魔力を神聖水晶に注がされていたせいだと、ダニエルは以前から考えていた。どんなに魔力量が多くても限界はある。
ダニエルが聖女の軛から解放された愛しい妻を見つめると、彼女は首を傾げて言う。
「貴方ももう寝る? オヤツの残りの焼き菓子があるからお茶でも淹れましょうか?」
「いいね、君の焼き菓子大好きなんだよ」
「わかったわ。……うふふ、嬉しいわ。久しぶりだからお話したかったの。用意するから少し待っててね」
聖女を詐称したとされ、魔女と罵られて処刑されたことになっているカルメンが微笑む。
魔女の笑顔はダニエルだけのものだ。
焼き菓子の匂いに気づいた腕の中の息子が目覚めるまでは。




