中編 魔女の幻影
まるで夢から覚めたように小さな家は廃墟と化し、手入れの行き届いていた狭い庭は雑草塗れの荒れ地となった。
魔獣の爪痕が刻まれた低い柵はほとんどが倒れていて、意味を成していない。
廃墟の扉が開いて、ひとりの青年が姿を現した。彼は瞳にアレハンドロを映し、不機嫌そうに呟いた。
「兄上……」
王国魔術師団の団長とともにカルメンの無実を訴え、王国から姿を消していた第二王子ダニエルだった。
「ダニエル。やはりお前がカルメンと一緒にいたのか。それより、これはどういうことなんだ? どうしていきなり家が荒れ果てたんだ? さっきまでそこにいたカルメンはどこに?」
ダニエルは怪訝そうに兄を見る。
「兄上? どうしてカルメンがここにいると思ったの? 兄上ご自身の手で彼女を絞首刑にしたくせに」
「それは……お前が、お前が自分の幻影魔術で彼女を救ったんだろう? ここへ来たのは目撃証言があったからで……」
「ああ、少し前に来た親子か。まあ秘密にしろとは言ってなかったからいいけど……兄上。彼女の墓を確かめなかったの? そこには縛り首になった女性の死体があるはずだよ。……カルメンはここにはいない」
「いたじゃないか! 今私はカルメンを見た! 彼女は笑っていた!」
「……たぶん僕の幻影魔術だよ。思い出していたんだ、昔のことを。グティエレス公爵が公爵邸に愛人親娘を連れ込む前、兄上と僕が彼女を訪ねて三人でお茶会をしていたころを。無意識に魔術が発動して、幻影が生じていたんだろうね」
「幻影? 今のカルメンは幻影だったのか……」
アレハンドロは王国魔術師団の団長を見たが、彼にも判断はつかないようで困惑した表情で首を振るだけだった。
「……幻影でも良い。ダニエル、もう一度カルメンの笑顔を見せてくれ! 思い出せないんだ、彼女の笑顔を。さっき久しぶりに彼女の笑顔を見られたのに、こちらを向いた瞬間に歪んで消えてしまったんだ!」
なんのためにここへ来たのかも、王子としての自分の役目も忘れて叫んだアレハンドロに、ダニエルは冷たい視線を向ける。
「嫌だよ。もうカルメンの笑顔は奪わせない。……最初は側妃のゴリ押しだった。彼女は僕の婚約者になるはずだったのに、兄上に奪われたんだ」
正妃はカルメンの母の親友だった。
お互い夫の浮気に悩んでいるという共通点もあって、ふたりは幼いころのカルメンとダニエルをよく遊ばせていた。
貴族子女としての教育が始まってからは会わなくなったが、正妃と公爵夫人はふたりが年ごろになったら婚約させるつもりだった。しかし、息子にグティエレス公爵家の後ろ盾と聖女の婚約者という名誉を与えたいと望んだ側妃によって、カルメンはアレハンドロの婚約者となった。
「……ああ、そうだ。確かに最初のカルメンは幼いころ遊んだお前と私を混同していた」
アレハンドロとダニエルは母が違うとは思えないほどよく似ていた。同い年だということもあって、よく双子に間違えられていた。
婚約が決まった日、カルメンはアレハンドロと顔を合わせるなり笑顔になった。
幼いころ遊んだダニエルと間違われているのだと知らないまま、アレハンドロはカルメンの笑顔に恋をした。アレハンドロの初恋はカルメンだったのだ。
「でも彼女は!」
「そうだよ! カルメンは婚約者になった兄上を愛した。だから僕は身を引いたんだ。幼いころの恋とは言えないほど淡い想いしかなかったしね。だけど、兄上はもう一度彼女の笑顔を奪ったんじゃないか」
「……」
アレハンドロは最初、グティエレス公爵の愛人親娘の存在を非難していた。
早逝したカルメンの母親とは政略結婚だったから愛人を持つこと自体は仕方がないとしても、カルメンと同じ家に住まわせるのはどうかと思っていたのだ。
息子の愛人否定が自分にも及ぶことを恐れた側妃が、本来ならカルメンは第二王子ダニエルの婚約者になるはずだったと打ち明けるまでは。
カルメンは自分ではなくダニエルを愛しているのではないかという不安に押されて、アレハンドロはベネノの誘惑に乗ってしまった。
ベネノと寄り添うアレハンドロを見たカルメンが浮かべる嫉妬と悲しみの表情を確認することで、アレハンドロは自分がカルメンに愛されていると確信することが出来たのだ。
やがて仄暗い悦びはいつしか罪悪感となり、アレハンドロはベネノに唆されるままにカルメンと婚約を破棄した。側妃は怒り狂った。彼女は息子とカルメンを別れさせたかったのではなく、カルメンを愛する息子に婚約のことで感謝されたかったのだ。
(最後にカルメンの笑顔を見たのはいつだっただろうか……)
絞首台で揺れていた骸は笑っていなかったように思う。
あの日のことは酷く現実味がなくて、後からアレハンドロは処刑のときのカルメンは処刑前日に姿を消したダニエルによる幻影に違いないと考えるようになったのだ。
助けられた村からの報告を聞いたときも、そんなところに隠れ住んでいたのかとしか思わなかった。アレハンドロはカルメンの生存を信じていた。
「我が国が魔獣の毒素の分不利なのは事実だけれど、ほかの国は祝福も聖女もなしでやっているんだ。技術の開発や肥料の利用で対応していくしかないよ。……さようなら、兄上」
「ダニエル? おい魔術師団長、ダニエルが消えたぞ」
「話しながら転移の魔法陣を描いていらっしゃったのでしょう。古代の秘術ですがダニエル殿下の魔力量なら発動も可能かと。私には無理ですし、殿下も……」
「そうか。相性ではなく魔力量の問題なら私には到底無理だな」
──アレハンドロと王国魔術師団は、虚しく王国へ戻った。




