4-1 弔い
4−1 弔い
野兎が息を引き取ったあと、私はもう、家の中に入ることができなかった。
ぽつんと立つ木の下、昼も夜も、私はただ泣き続けた。
その隣では、アズールが黙って寄り添っていた。
清空は代わりに村を駆け回り、葬儀の準備を進めていた。
気づけば私は、野兎の埋葬の場に立っていた。
清空が私の腕を掴み、野兎の前へと導く。
「最後のお別れだから」
泣きながらも、まっすぐ私を見上げる清空に促され、
私は震える手で、白い花を一輪、野兎の胸元に手向けた。
蓋が閉じられ、野兎の棺がゆっくりと穴の中へと沈んでゆく。
「幸せだよ。
こんなに泣いてくれる家族に見送られて死んだんだ」
誰かの言葉のようなものが、空から降ってくるように頭をよぎった。
でも私は、それを素直に受け取ることができなかった。
胸が、ただ苦しかった。
野兎の人生は、いったい何のためだったのだろう。
私を守るために命を削り続け、
ようやく私に居場所ができたその瞬間に――彼はいなくなった。
翡翠の魔法も、もしかしたら彼の苦しみを長引かせただけだったかもしれない。
風に揺れる白い花。
その香りと、春の空の色だけが、ほんの少しだけ私を包んでくれていた。
葬儀のあと、私は十日以上、何もせずに過ごした。
アズールのそばで眠り、目が覚めてもただ考え、また眠る。
清空やアズールの声は耳に届いていたはずなのに、私の心はどこか遠くに置き去りにされたままだった。
でもやがて気づく。
どれだけ悔やんでも、失ったものは戻らない。
ならば私は――選ばなければならない。
この痛みに意味を与えるために。
その日、私は清空とアズールに向き直り、静かに切り出した。
「龍の村を出る。帝都に行き、
帝国による龍の支配を終わらせる」
言いながら、胸に浮かんでいたのは――
アズールを捕らえようとする鎖と、清空の哀しみだった。
清空は表情を変えず、ただ続きを促した。
「どうやってやるの?」
「まずは翡翠空を頼る。
桂花は難しいかもしれないが、蒼識空には接触してみる。
私自身が皇帝になる道もあるが、蒼識空を立てて、その見返りに龍の支配をやめさせる方が、現実的かもしれない」
「……ボレアルは?」
「助ける。帝都には、龍捕獲の記録が残されている。
正妃である翡翠空の庇護があれば、その書に近づける。
そこから救いの手段を探す」
「その書、誰でも触れるの?」
「正確には、皇帝・正妃、そして“龍の神官”だけだ。
神官は、帝都に伝わる魔法を独占する一族。
でも、君の魔法の方が威力はあると感じている」
清空が口を開いた。
「……私、神官になれるかな?」
私は一瞬、言葉を失った。だがすぐに頷く。
「翡翠空の推薦があれば、制度上は可能だ。
けれど、神官の一族は帝国の魔術と権力を一手に握る。
彼らの中に入るのは――簡単じゃない」
「うん。わかってる。
でも……私にやらせて。後ろ盾を待ってるだけじゃ、駄目だと思う」
言葉に力がこもる。
私は黙って彼女を見つめた。
清空はまだ若く、小柄で、透き通るような美しさを持っている。
けれど、それが帝都の中枢で“どう見られるか”も、きっと彼女は知っている。
翡翠空の推薦など、彼らにとっては紙切れ一枚。
本当に彼らと渡り合っていくには、彼女自身が武器であると証明しなければならない。
そのためには――言葉ではない手段も、時に必要になる。
自分の若さや容姿すら利用しなければならない場面もあるだろう。
それでも彼女は言った。
「飛び込むよ、私。自分の足で」
その声には、少女のものとは思えないほどの静かな覚悟が宿っていた。
彼女は魔力も強く、そして信頼できる人だ。
私だけですべてをこなすことは無理ならば、
信頼できる協力者はどうしても必要だった。
私は己の不甲斐なさを噛み締め、小さく息を呑み、ただ一言、答えた。
「……任せる。信じてる」
少し黙ってから、私は清空に向き直る。
「帝都で翡翠空に接触し、君を神官として推薦する。
君には、書の中からボレアルの手がかりを探してほしい。
私は翡翠空の庇護を得て帝都に残り、蒼識空を仲間に引き入れる」
すると、アズールがぽつりとつぶやいた。
「……俺は?」
「龍の村に残ってほしい。
絆のない龍が帝都に行くのは、危険すぎる」
「でも、俺は強いし、役に立てる。朱映を運べば、帝都までだって――」
「強さの問題じゃない。
人間の欲望は、もっと汚い。
お前が鎖に繋がれる姿だけは、見たくない」
清空が静かに言った。
「……朱映は、“絆”がないまま、皇子として帝都に戻れるの?」
アズールもすかさず続ける。
「だよね。じゃあ……俺、必要なんじゃない?」
私は視線を逸らした。
「……清空」
「どうしてアズールの“絆になって”って願いを、ずっと断ってるの?」
「巻き込みたくない。……大切にしたいからだ」
「絆になることって、大切にすることじゃないの?」
そこに、アズールの声が重なる。優しく、でも真剣だった。
「……ねえ、何度も言ってるよね。“絆になりたい”って。
でも断られるたび、俺……“いらない”って言われてる気がするんだ」
「違う。私は、死ぬ。アズールより先に。
野兎の死で、もっと強く思い知った。
……そんな思いを、君にさせたくない」
「俺、もう朱映を知ってるよ?
絆でも、絆じゃなくても。……俺の方が長生きする」
私は返す言葉を失った。
「……断られるの、つらいよ」
静寂の中、清空が口を開いた。
「……ほかに理由あるの?」
男として、悔しかった。
でも、それが真実だった。
「……清空の方が、私より強い」
一瞬、空気が止まった。清空もアズールも、驚いたように目を瞬かせる。
それからアズールがぽつりと言った。
「……なに言ってんの?」
清空は、呆れたように小さく笑った。
「それ、個人的な戦闘力の強さって、あんまり関係ないと思うよ」
「そうだね」
私は視線を落としたまま、嫉妬が混じった言葉を吐き捨てた。
「……なんで清空じゃなくて、私に“絆”を求めるんだ」
その問いに、アズールは真顔で答える。
「朱映、放っといたら死にそうだから」
「……は?」
呆けた声が、口から漏れた。
意味は理解できたのに、心が追いつかなかった。
何かが胸の奥で弾けて、笑いそうになって、でも同時に泣きそうだった。
「……なにそれ、ひどいな」
「でも本当だよ」
アズールはまっすぐだった。
「絆になれば、感情とか体調とか、なんとなく伝わるんでしょ?
朱映、そういうの、全部、黙って隠すじゃん」
清空は呆れたように笑い、ひらりと身を翻した。
「……もし、私に遠慮してるんだったら、そんなのいらない気遣いだよ?
私はちょっと席外すから、アズールと話してきなよ。
“龍を連れた皇子”なら、朱映の策に乗る。
私、意地悪してるわけじゃないんだよ? あんたたち、じれったいのよ」
背を向け、軽く手を振って立ち去る。
残された私たちは、静かに向き合った。
「……役に立つよ?」
「知ってる。だから困ってる。
私は、アズールを“役に立つから”選ぶんじゃない、
わかってほしい」
「俺のこと好きすぎじゃない?」
アズールは笑いながら、そっと手を差し出した。
「……絆になろう」
私は彼の瞳を見つめ、爪の上にそっと手を重ねた。
その瞬間、爪と掌の間から光があふれ出す。
水色と朱と緑の魔法が混ざり合い、私たちをやさしく包み込んだ。
私の手のひらには、羽ばたく翼の痕が浮かび上がり――
アズールの爪にも、同じ形の印が刻まれた。
「これで、離れていても場所がわかるし、話もできるよ」
アズールは微笑んだ。
私はしばらく、その温かな手を離せなかった。
「お前の人生だ、好きに生きろ……」
野兎の言葉が頭に蘇る。
目を閉じ、この暖かさを必ず守ると、心に誓った。
―――
月明かりの下、清空はひとり、風に髪をなびかせながらつぶやく。
「……やっと迎えに行くよ。待ってて、ボレアル」
朱映とアズールの絆を見届けても、胸の奥の痛みは消えなかった。
自分の願いが、ふたりを無理に背中から押してしまったのかもしれない。
それでも、もう迷わなかった。
――安心して帰れる家を、あの子たちに渡したい。
ただ、それだけだった。
ボレアルにとっても。朱映にとっても。アズールにとっても。
もう迷わなくていい。傷つかなくていい。帰る場所を。
誰に罵られ、誤解されるとしても、
そのためなら、私のすべてを懸けよう。
清空は龍の村を見下ろす高台に立ち、固く心に刻んだ。
この村に、みんなで帰るんだと。




