第9話 エーリンの独白②
かつて自分が誘拐された貧困地区が、自分の領土内にあると知ったエーリン。
エスト地区の現状を知った彼女ははたして――?
エスト地区。
マクワイヤ領土で唯一の貧困地区で、マクワイヤ首都の東部、周囲を山に囲まれた盆地にある。領主館からは山間を抜け馬車で半日、早馬であれば数刻という距離ながら、その形相はまるで異なる。
エスト地区はもともと、マクワイヤ首都の人口増加と就労需要増加に伴い土地が不足したことを背景に、住宅地として発展してきた。宿泊施設や商人ギルドの詰め所などが多くあり、賑わいを見せたという。
しかし十数年前、降り続く大雨により山滑りが起き、主要な道路が塞がれたことで、エスト地区は陸の孤島になってしまった。もともと同地区に生産物は無く、流通が途絶えたことで急速に食不足が進行し、死者が急増。なんとか道路が復旧したその時には、すでに死の街となっていた。以降、エスト地区は再開発されていない。
理由はいくつかある。
まずは大量の死体を処理しなければならなかったこと、そして不衛生を起因とした病の流行で、無策には近寄れなかったこと、そして極めつけは、マクワイヤ領北部に新しい住宅地が栄え始めていたこと。
文字通り、エスト地区は見捨てられたのである。
しかし以後も人は住み続けている。
そこで家族を亡くし離れられない者。
都市で失敗して流れ着く者。
身体的差別に耐えかねた者。
家族に殺されかけ逃げて来た者。
――そういう者達が身を寄せ合い、ひっそりと生きているのだ。
エスト地区にも仕事はある。しかし薄給だ。給料から税金が差し引かれれば、手元に残るものは極わずか。豊かな暮らしは叶うわけがないのだ。
――金さえあれば。
私の誘拐は起こるべくして起きたのだ。
以来、私の関心は「我が領土から貧困をなくすこと」になった。誘拐された時に目にした光景が忘れられず、私の命と引き換えに殺された者達のことを思うと、何もせずにはいられなかったのだ。
幸いなことに、私には読書で得た教養があった。私はその知識を総動員し、エスト地区を救済するための方法を案にまとめ、父に提出した。
食料の援助、医療の提供、清潔の為の施策等。
文献から得られた情報をまとめたそれは、数行を読まれたのち、ゴミ箱に放り込まれた。
「仕事に口を挟むな。でしゃばりな女など鉄鉱石にも劣る」
父の言葉だった。
私は当時、なぜ父に叱責されたのかを理解できなかった。領主なら、領民が豊かな生活を送れるように図るべきである。私の案は貧困を解決するのに役立ったはずなのに、と。しかしそれ以降も、エスト地区を主語にした案はことごとく門前払いされた。
父が拒む理由がエストにあると考えた私は、国力増強を銘打った包括的な税制改革を提案した。エストが主語ではなく間接的に恩恵を受ける形なら問題がないと考え、やっとこれで父の役に立てると思ったのだ。
「――お前に本を与えたのはそういう目的ではない。女としてつつましく生きろ。アイリーンを見習え」
ますますわからなかった。
この頃になると、家族からの風当たりも大分変ってきていた。
まだ幼く事情の分からぬ妹はともかくとして、母は何も言わず父の機嫌を伺い、姉は同情を向けるようになってきた。エスト地区の対策に奔走する姿は、まるでエストの呪いを受けたようで、かわいそうだと、使用人達の陰口で聞いた。
だがここで引き下がる私ではない。
父がやらぬなら、私がやればよいのだ。
マクワイヤ家は商売の家系でもあることから、家族皆がある程度の決裁権を持っている。少額ならば自ら扱い、機微を学べという方針だ。私は自分に許された範囲で、エスト地区への支援を行うことにしたのである。
白羽の矢がたったのは、領主館で定量生産されているライ麦パンだ。
その生産費用が領主館の食費を占める割合はごく僅かであるということ、粗悪品の基準も厳しく廃棄も多いこと、加えて、保存期限切れパンを分配される使用人達も飽き飽きしており、食べきれずに廃棄することもままあるということ。まさに支援品としてこれ以上ない条件だった。
どうせ捨てることになるものだ。有効活用して何が悪い!
さっそく私はエスト地区の庶務棟建設に着手した。
これは簡易倉庫と事務所を併設したもので、運び込んだ食材をきちんと領民に配布するために必要だと考えた。その建造も贅沢は排して造りを簡便にし、木材は付近の山から伐採、職人は現地民を採用して雇用を捻出するなど、エスト活性化を意識した。侍女のユミルと執事のクレベーンの協力もあり、この計画は実に順調に進んだ。
数週間後には、庶務棟建設が無事に竣工。さっそく、第一弾の物資が運び込まれた。
執事のクレベーンを介して根回しした厨房からは、かなりの廃棄食材を譲り受けることが出来た。乾いたトウモロコシと、ベーコンの切れ端、形が悪いイモ類と、そして何と言ってもライ麦パン。配布には私も参加し、泣いて喜ぶ人々の姿を見て、私はその成功をかみしめていた。二回目、三回目と人が増えていき、私は自分が間違っていなかったのだと実感した。
当然、その動きは父にも知れ渡る。
呼び出された私はこの取り組みの正当性を伝えたが、父は、
「自己満足に他者を巻き込むな。でなければいつかその身を亡ぼすことになる」
と厳しい言葉だった。
しかし成果を実感していた私は引き下がらなかった。
「忠告はしたぞ」
私は頭を下げながら退出した。もちろん私に辞める気はない。
――その帰り道だった。
「貴方も諦めが悪いわね」
姉のアイリーンが私を待ち受けていた。
結婚適齢期となった姉はさらに美しくなり、すでに社交界では注目の的、聞けば有力候補から縁談が持ち込まれているらしい。
――私とは別世界に住んでいるのだ。
「お父様もがっかりされているわ」
その姉が同情の目線を私に送っている。
「いつかは分かってくれる日が来ると思っています」
「そんな日は来ないわよ。わかるでしょう?」
姉は私の手を取って言った。
「――ねぇ、エーリン。私たちマクワイヤ家の女に必要なのは、男に気に入られて愛されること。そして伴侶の発展を手助けすること。それは褒めて慰めることであって、仕事の口出しや肩を並べることではないわ」
姉は続けて、先日の晩餐会での私の態度を指摘した。あれだけの殿方がいたのに歓談する様子が無かったと。
姉は知らない。私が相手にされなかっただけなのだということを。
「貴方は磨けばもっと光る。今からでも遅くない。だってそうでしょう? 貴方は昔から誰よりも――」
「私は――!」
姉の言葉を遮り、気づけば私はその手を振り払っていた。
「――姉様のようには、生きられませんから」
姉にはわからないのだ。生まれ持った容姿で、何もかもが決まってしまっていることに。誘拐され価値も下がった私に、もはやマクワイヤ令嬢の務めは果たせない。
私には引き返すことが出来なかったのだ。
そして数カ月が経過したその日。それは起きた。
エスト庶務棟が襲撃されたのだ。
徐々に孤立しつつも邁進するエーリンだったが、
エーリンが出資したエスト庶務棟が襲撃されてしまった。
その事態の収拾に、エーリンは――?
次回、エーリンの独白の最終章です。
エーリンが僻地送りになった経緯説明が終わり、それを聞いたオラリオはどうするのでしょうか。
お楽しみに!