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愛の理由  作者: 桜井雛乃
殺したいほどに
36/46

殺したいほどに 弐

 此れが最期の夢なのだろう。

 此の夢が終わりし時に、某の全てが終わるのだろう。

「義経が悪いんだよ。本当は、弁慶は、こんなところで死ぬべき人じゃなかった。それなのに義経のせいで、それがわからない? あの日から、私を待っていてくれれば、私を忘れずに待っていてくれれば、こんなことにはならなかったんだよ」

 もう開かない瞼の裏に映り込むのは、頼朝様の様々な表情であった。

 そして彼が告げる言葉は、某にとって嬉しくもあり辛くもある事であった。

 某を責める様な口調だが、彼の言葉が某には嬉しかった。

 某の罪を擁護する様な彼の言葉に、某は傷付くべきだったのだろうが、嬉しく感じてしまった。

「そもそも、どうして弁慶は、義経に仕えることになったの? どうして私ではなく、義経を選び、義経に運命を感じ、義経と生きようと思ったの? どうして」

 理由を問う間に、頼朝様の瞳が、潤んで行く。

 何故と言われると、答えられぬ物だ。何故、何故だった? 覚えても、おらぬな……。

 初めて某を武術で負かしたのが義経であった。

 然し、其れだけの理由だっただろうか。其れだけの為に、某は戦等と言う、不自由な場へと来たのか?

 彼処に居れば、何もせずに、好きな時に本を読み、好きな時に剣を振るい、好きな時に寝起きし、好きな時に食事もし。望めば、好きな女も手に入っただろう。

 何不自由無く、欲しい物を得て暮らして行けた。

 鬼と呼ばれても、恐れられても、嫌われても、愛されなくても、某は安全だった。

 何時か討伐されるやもと、思わぬ訳では無かった。其の不安は確かに有った。

 だとしても、戦場の危険と比べれば、其の不安と比べればずっと楽だった筈だろう。

 何故? 何故、某は義経に使えたのか。何故、某は戦等。

 数年前の自分が何を思うか、微塵程も思い出せぬ。

「やっと、わかってくれたかな? 弁慶は最初から、私と結ばれる運命だったんだよ。それを義経が邪魔した。だから、こんなことになってしまったんだ」

 そうか。某と頼朝様が、結ばれる運命に在ったのだ。

 義経が其れを邪魔したとは言わぬが、彼が二人の距離を遠ざけた事は確かであろう。

 あの時、義経に仕えなければ、あの場でもう少し待てたなら。

 平家から解放された頼朝様が、自由の身で某を迎えに来てくれたのか。

 無駄と知りつつも、考えずは居られぬ。

 もし、こうだったなら。もし、こうしていたなら。

 過去を後悔する訳では無い。だが、どうなっていたのだろうか……、そう考えずには居られぬのだ。


 いかん。此の様な事で、義経への忠義を揺るがせてなる物か。

 某は未だ生きて居る。

 此処で妄想をする暇があれば、義経を救いに立てばどうか。

 信じる者の為に、立ち上がってはどうか。きっと義経は、某を綺麗な瞳に移してくれる。決して、軽蔑したり等せぬ。

 某を軽蔑せぬのは、某を恐れぬのは、某を救ってくれたのは、義経だけでは無いか。

 無論、頼朝様の事ならば裏切れるか、大切で無いとか、其の様な事は一切無い。

 然し某が唯一仕える相手は、義経だ。

 頼朝様は某にとって、上の上。何を失礼な妄想をして居ったのだ。

「ごめん、遅くなったね。大丈夫だった? べんけー、ねえ、べんけー? 大丈夫だよね? 大丈夫、……に決まっているよね」

 自分を叱責して、某が立ち上がろうとしていた所、義経の愛しい声。

 此れは本物なのか。其れ共、又某を死へと誘う、夢の使者か。

「むりはしないで? 秀衡さまが医者を連れてくるから。あとちょっとだけ、がんばってね」

 優し過ぎる。義経の声は優し過ぎる。まるで、夢の様に。

 此れでは夢か現か、全く判断のしようが無い。今だけは、義経の優しさが恨めしく思えた。

 誘惑に負けては、某の命は其れ迄。

 此処で負けては全て失うのだ。そしてきっと、義経を泣かせる事にもなってしまう。

 某は未だ生きて居るのだ。此の様な所で、死ぬ訳には行かぬ。


「安心して眠っていいんだよ。弁慶はもう十分すぎるくらい、戦ったでしょ? だからもう、休んでいいんだよ」

 つい聴き惚れ、体が溶け行く様な美声。魔性の色を帯び、従わざるを得ぬ様な、服従を誓わせる力を秘めていた。

「ちょっと待って。行かないで。たしかにおれはもうひとりじゃない、秀衡さまがとなりにいてくれる。だけど、べんけーにもとなりにいてほしいんだよ。それに、約束してくれたでしょ? どこまでもおれに着いてきてくれるって、言ったじゃないかっ」

 嗚咽の交じる、悲しみへ沈める様な辛い声。何処迄も愛おしく、だからこそ、遠ざけたく思った。

 幸せな夢へと頼朝様が誘わんとする。其れは、義経を裏切る行為にも繋がるが、恐らく其れをも彼は責めぬだろう。

 苦しみに満ちた現実へと、義経が連れ戻さんとする。其れは、義経に仕える身である某だから、従うべき物。

 何方を選ぶか等、本当は迷う事すら許されぬのだ。

「おれはまだ、べんけーのこと……斬っていないよ? だからおれのところに戻ってきてよ。そういう、約束でしょ?」

 何時の日か交わした約束、義経は覚えていてくれたのか。

 義経が某を斬る迄、地獄の果て迄も着いて行く。

 あの日の某は真っ直ぐで、義経の見据える未来は揺らいでいて、安心させる為にそう言った。

 其れなのに、今となっては某が不安定な心の上、未来を見る義経に遅れを取り、迷惑を掛けて居る。

 此れは義経の成長と喜んで良い物では無い。

 彼の無邪気な心は、努力の末に成長した。然し、其れ以上に某が衰え、腐って行ったのだから。

「いつまで義経のところにいるつもり? やっぱり弁慶は私のことが嫌いだったんだ。そうやって本当は義経が好きなくせに、嘘を吐いて私にも優しい顔。私を騙して、義経と一緒に笑うつもりだったんだろう」

 甘い誘惑を持ち掛けるばかりであった頼朝様が、其の様に仰られた。

 突然の変貌に、某は驚くと共に心を揺るがしそうになった。

 頼朝様の様な美しい方に、切なげな顔をされたのだ。

 頼朝様の美しい声が、不安か恐怖か怒りか……哀しみか、微かに震えて居るのだ。

 弱い心は其方へ傾き掛ける。

 某はもう、義経を裏切り傷付ける訳に行かぬのに。

 義経を傷付けたく無い。頼朝様を傷付けたく無い。

 何方も選べぬ程に大切だ。

 然し、何方かを選べと言うならば、某は義経を選ぶべきだ。

 何も頼朝様を謀った訳では無い。許せと言って許される事では無いが、某も義経も、頼朝様を思っていた事は確かなのだ。

 嗚呼、そうだ。

 義経は某以上に、頼朝様を想って居った。愛して居った。

 其の二人が戦わねばならぬとは、酷な事よ。某も義経との約束を、破る事になる様だし……。


 意識が朦朧とする。

 元々夢を見る心地であったが、もう、其れも無くなる様だ。

 何を考える事も出来無くなる。

 こうなると現れるのは、理性とは真逆の位置に存在する、欲望に塗れた汚く醜い某だ。

 某の罪さえも、愛しい者に押し付けるのだ。死す時に、罪を背負った儘では耐えられぬと言う様に、弱い某が。

 嗚呼、嗚呼……嗚呼……。

 憎かった。憎く思えた。

 生の某が義経に抱いたのは、羨望や憧れ、そして愛情。

 本来の某が抱くのはそうである、――そうあるべき、と言った方が正しくなってしまうのだろうか。

 哀しき事よ。人間の心が此処迄弱いならば、いっその事、本物の鬼になってしまいたい。

 某が鬼だったらば、義経の隣で義経を守れたのに。

 何時しか其の様な事迄考え始めていた。

 死の某が義経に抱いたのは、結局憎しみだったのだ。

 愛おしいのに、愛されて欲しいのに。

 独占欲と愛が降り積もる。


 ――殺したいほどに。

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