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愛の理由  作者: 桜井雛乃
大好きだから
22/46

誘われる蝶 弐

 こうして笑っていてもいいのかな。

 つい先日はあんなにもこわい思いをした。それなのに、こうして笑っていてもいいのかな。

 ちょっとだけそう思ったけれど、だからこそ笑わないといけないのかなって。

「べんけー、おれさ、わかんないんだよね。戦の勝敗は聞かされるけど、聞かされるそのときまでわかんないなんて、きっとおかしいじゃん」

 氷を溶かしてべんけーを起き上がらせると、おれはそう相談した。

 おれよりもべんけーのほうが、あたまがいいもんね。

「其れが頼朝様の遣り方ならば、仕方無かろう。我々は、頼朝様に着いて行けば良いのだろう?」

 だから、べんけーがそう言うなら、おれは気にしないんだけど。

 兄さまにすべて任せきりで、いいのかな。

 おれだって、兄さまのことを信じていないわけじゃない。それでも、ひとりですべてを背負わせてしまうのは、ちがうと思う。

 これ以上、がんばることないと思うんだよね。

 それとも、おれがおかしいのかな。

 兄さまはおれが思っているよりも、ずっと尊い存在なんだって、景時だって言っていた。

 だけどこのままでいいのかな。

「義経が心配する事でも無い。義経は頼朝様に仕える身だ」

 いつまでもおれが納得できずにいたせいだろうか。

 あたまをなでて、べんけーはそう言った。するとおれは、そのきもちよさで思考を停止させてしまう。

 それがわかっていてやるんだから、べんけーもずるいよね。

「兄さまが決めたことに、従うだけだよね。そうだね」

 弟とはいえ、おれは兄さまに仕える身だ。べんけーの言うとおりだよね。

 そう思って、おれはつぶやいた。


「義経は、それに不満があるのか?」

 いきなり、うしろから聞こえてきた声。

 そこに立っていたのは、兄さまなのであった。

「私に従うことに、義経は不満があるのかと、そう訊いているのだ」

 どうして兄さまがこんなところにいるのだろう。

 それもふしぎだが、そんな場合じゃない。

「不満なんて、あるわけないじゃないですか」

 あわててそう言うけれど、兄さまは疑っているみたい。

「頼朝様は、義経の事を御疑いなのですか? 彼は頼朝様の事を心配して、頭を悩ませていたのです。其れをっ!」

 怒ってべんけーが兄さまになにか言おうとしていたので、おれはそれを手で制した。

 おれのためを想ってくれるのはうれしいけど、兄さまに疑われるようなことを言ってしまった、おれのほうがいけないもんね。

 それにべんけーにだって、兄さまのことを否定してほしくない。

「私のことを心配していた? どうして私が義経に心配されなくてはならないのだ」

 こわい。兄さまもべんけーも、なんだかこわい。

 そう思ってしまったけれど、このふたりはおれがとめないとだって思うから。

「けんかしないで。おれはただ、兄さまのために、兄さまの役に立つ存在になりたいってだけなの。兄さまに必要としてもらえれば、おれはそれでいいんだ」

 ふたりの間に立って、おれはそう言った。

 すると、両方から怒鳴るような声が聞こえてくる。

「某は、義経を其の程度の男にしたく無い!」

「そう言って私のことをいつか捨てるんだろう?!」

 ふたりを怒らせるようなことを、おれは言ってしまったんだろうか。

 なにがいけなかったのかもわからなくて、黙ってうつむいてしまう。

 兄さまは、おれのせいで怒っているんだ。べんけーは、おれのために怒っているんだ。

 それだったら、おれがふたりの怒りを鎮めなくちゃ。

「おれは兄さまが望む未来の、そのとなりにいたいだけ。べんけーが描く理想のおれにはなれないし、兄さまのところをおれから離れることなんてない」

 おれが必死に訴えていると、どちらからか「ふっ」と笑い声があった。

「やはり義経には敵わないな。また怪しい言動があれば別だが、今は義経のことを、信じるとするよ。私のことを支えておくれよ? 疑ったりして悪かった」

 去っていった兄さま。そのあとには、花の香だけが広がっていた。

「某も義経に理想を押し付けようとして、苦しめていた」

「べんけー、謝っちゃだめだよ。だってべんけーは、おれに期待を寄せてくれていたんでしょ? それだったら、謝るようなことじゃないもん」

 おれはこうして、みんなで笑っていられればいいんだ。

 兄さまも、べんけーも、ほかのみんなも、笑っていられればそれでいいんだ。

 もし笑い合えるならば、平家とだってむりに戦わなくたっていいと思うくらいだもん。

 だけど平家は兄さまを苦しめて、笑顔を奪った。だからおれは、平家討伐に立ち上がったんだ。兄さまのもとへ、戦いにきたんだから。

 秀衡さまとの生活を捨ててまで、ここに戦いにきたんだから。

 そうだよね。戦いに勝つことに夢中になっていたけれど、おれは兄さまの笑顔を取り返すために戦っているんだ。

 平家を退治することが目的じゃない。

 笑い合いたい。笑い合えるならば、それでいいんだ。

 どうしておれは兄さまのやり方に疑問を抱いていたんだろう。兄さまがそうしたいのならいいじゃないか。

 兄さまの笑顔のために、おれは戦っている。

 秀衡さまを悲しませて、秀衡さまじゃなくて兄さまを選んだんだ。


 これでおれが兄さまの笑顔を守れなかったなら、秀衡さまを傷付けただけになってしまう。

 負けてしまったら、すべてがむだになってしまうのだ。

 おれのたいせつな、大切なものがすべて……。

 兄さまの努力も、兄さまの忍耐も、兄さまのなみだも。秀衡さまの決意も、秀衡さまの優しさも、秀衡さまのなみだも。

 そう思うと、やはりおれはがんばらなくちゃならない。

 おれに寄り添ってくれるべんけーは、おれに巻き込まれなくちゃいけない。

 だけどべんけーだって、おれと同じきもちなんだと思う。

 おれが兄さまを大切に想うように、べんけーもおれを大切に想ってくれている。

 だから、おれのためならばきっとなんでもしてくれる。

 その覚悟を、べんけーはもう持っているんだと思う。

 それだったら、おれはべんけーのことを信じるしかないよね。

 遠慮ばかりしていても、べんけーはさみしく思っちゃうんじゃないかな。

「ねえべんけー、どこまででも、おれに着いてきてくれるよね?」

「当然だ。義経が行くのならば、地獄でさえも某は着いて行く。義経が某を斬る日まで」

 もう、べんけーったらいじわるだよね。

 おれがべんけーを斬るなんて、そんな物騒なことを言ってどうするつもりなのさ。

 からかっているのだと思って、おれはそう言い返そうとするけれど、べんけーの瞳はまっすぐだった。

 まるで、おれに斬られたいとでも思っているようである。

 そんな……、どうしておれがべんけーのことを斬らなくちゃなんないんだよ。

「ずーっと、着いてきてくれるんだね。ありがと」

 触れずに流していい内容じゃなかった気もするけど、おれはそうとだけ言って、第二戦を始めることにする。

 今度もべんけーに圧勝してやるんだから。

 もっと強く強くなって、だれにでも余裕で勝てちゃうようになるんだから。

 そしておれは、だれからも頼られる英雄になるんだ。

 そうすれば兄さまも認めてくれるはず。兄さまも信じてくれるはず。兄さまもおれを、頼ってくれるはず。

 そこまで考えて、やっぱりおれは兄さまのことばかりだと思った。

 兄さまの笑顔を守ることだけが、おれの目的なんだよね。兄さまに愛してもらいたい。それがおれの願いなんだ。

 おれのすべては兄さまが中心に回っているんだね、悲しいほどに。

 きっと考えても考えなくても、兄さまの命令に逆らうことなんてできないんだろう。


 ――大好きだから。

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