狂い咲く華
どのようにして、義経はあの弁慶を動かしたのだろうか。
いきなり敗北し、大切な将を喪ってしまった。それも悲しいに決まっているのだけれど、私はやはり、弁慶が私を待っていてくれなかったことが悲しい。
待っていて。言えなかった言葉が、今更になって悔やまれる。
きっと、何度やり直しても私は伝えられないだろうけれど、ね。だって伝えたところで、力のない私を弁慶は待っていてくれなかった。
怪しい行動を取るわけには行かなかった。監視されていた私は、行動できなかった。
そんな中、危険を冒してまで、私は……。無理に決まっているよ。
弱い私じゃ、そんなことはできないよ。臆病な私じゃ、そんなことはできないよ。
でも、義経は私のために尽くしてくれるのだろう?
それだったら、弁慶だって私のために、尽くしてくれるということになる。
嬉しい。嬉しいよ。嬉しいのだけれど、もし義経が私を裏切ったなら、弁慶は迷わず私にあの刃を向けるということなのだろう。
まさか、義経に限って私のことを裏切ったりするとは思えない。
ただあの笑顔を、本当に信じても大丈夫なのだろうか。
不安は募るけれど、いつまでも怯えたままではいられない。
もう引き返せないところまできてしまったのだ。私の仲間として私を助けてくれている、今くらいは、疑うことなく信じることにしよう。
疑わしい行動を取っているのなら、すぐに対処が必要だろう。だけど今だけは信じないと。
ちょっと不安ではあるんだけど、仲間でいてくれているならこちらも仲間でいよう。
自分を納得させて起き上がると、鎧を身に付けてから部屋を出た。もうみんな、起きているのだろうか。ここにいないのは、朝から仕事でもしているのかな。
そんなことを思いながら、私は行動を始めることにした。
敵対してしまうのは仕方ないのだけれど、裏切りだけは絶対に許したくない。
だから私は、念を押すためにその場にいた一人の手を握る。そしてだれもいない場所へ連れて行った。
「頼朝様、どうなさったのでしょうか」
目を丸くして、男性は私のことを見ている。
「いいや、どうしたってわけじゃないんだけど。少し、不安になってしまい……。頼れるのは貴殿しかいないのだ。もう平家のやつらに頭を下げる生活はいや。もうあんな恥は掻きたくないっ!」
目を潤ませて語る私を、男性は強く抱き締めた。
男に抱かれるのも慣れているとはいえ、やはりいい気分ではない。私を抱き締めてくれるのが、弁慶だったらと思ってしまう。
そして私も、男に抱かれたがっているではないか、と自嘲してしまう。
「頼朝様の為にすべてを捧げます」
「ん、ありがとう」
洗脳を終えると、軽い口付けをして解放する。
私は一人一人を呼び出して、こんなことを繰り返した。
不安だったから。裏切られてしまうのが、不安だったから。だから私は、特別を感じてもらうために、そう語り続けた。
最後にちゃんと、秘密だよ、と言っているのだからみんなに言っているとばれたりもしないだろう。
でもやっぱり、人によって反応が違うから面白い。
素直に喜んでくれる人は可愛らしくていいが、調子に乗られると腹が立って仕方がない。そういう人の方が、操りやすいからいいんだけどね。
「あ、ありがとうございます。頼朝様が必要として下さる限り、この景時、頼朝様の為に戦わせて頂きます」
私から見て一番好印象だったのは、梶原景時だ。
彼のことは、信じたいと思えた。裏切らせないではなく、唯一裏切ってほしくないと思える人だった。
私が逃げるときに、弁慶が守ってくれたのは本当に嬉しかった。きっと義経の言葉だろうとは思うけれど、それがわかっていても私は嬉しかった。
だけどその後、私を逃がしてくれたのは他でもないこの人、景時なのである。
「それじゃあ、私が貴殿を必要としなくなったときにはどうする?」
一定の距離を保ったままで、彼は私に触れようともしない。
だから私の方から跪く彼の目の前にしゃがみ、直接耳元に口を近付け、ちょっと意地悪に問い掛けた。
こんな質問、不安になるのは私の方なんだから、本当はしたくない。したくないけど、私は景時の答えを知りたかった。
彼がどうするのか、興味があった。
「頼朝様を道連れに、散っていくのではないでしょうか。でも頼朝様は、景時を捨てたりなどしないと思いますので、そんなことを考える必要などないじゃないですか」
顔を上げて、景時はニッと明るく笑った。
それは私には浮かべられない種類の笑顔で、魅力を感じている私がいた。
でも確かに私は景時のこと、捨てたりなんかしない。そんなつもりは全くないんだけど、そちらから言われてしまうとなんかね。
調子に乗っているとも取れるけれど、でも彼の実力を考えたら、私はそれはそれでいいと思う。
「可愛い人。景時、ありがとうね。私は貴殿を捨てたりしないだろう。だから、貴殿も私を不安にさせるようなことはするなよ? 私だけを見ていてね」
「はい。もちろんにございます」
無礼にもほどがあろう。言い終えた彼は、私の肩を軽く押した。
すると、不安定な状態にあった私は、後ろにそのまま倒れてしまう。その上に跨ると、景時は私の唇を奪ったんだ。
私は景時のことを好ましく思っている。それでも、このような体勢にされてしまうと、どうしてもあいつらと重なって恐ろしくなってしまう。
恐怖に襲われて、閉じた瞳からは涙が溢れた。
「やはり、そういうことだったのですね。頼朝様はご立派な武士の男であるのに、平家の武士には武士としての誇りがないのでしょうか。許せません」
その言葉を聞いて恐る恐る目を開けると、景時は悔しそうに唇をかんでいた。
私のことを理解しようとしてくれているんだって、思った。景時はだれよりも、私のことを見てくれているんだって、思った。
この人なら、私のことを見てくれるんだと思った。
無礼にもほどがあろう。私の心に触れようとして、私を安心させてくれるんだから。
景時の大きな体もこの手も、私のことを幸せへと誘ってくれる。
「そうだね。私だっていつまでも泣いてばかりじゃなくて、武士として強く生きなければいけない」
俯きがちに言った私に、立ち上がった景時は手を差し伸べてくれた。
その手を私が力一杯に握ると、景時はもっと強い力で握り返して、私をそのまま立ち上がらせてくれた。倒れていた私を、強い力で立ち上がらせてくれた。
彼の行為は力任せな乱雑なものなのだから、本来ならば私にそんなことをしたら許されないだろう。
だけどその強さが、私をとても安心させてくれた。
だれもに特別を感じてもらい、私のために戦うようにと洗脳してきた。それでも景時にだけは、本当の特別を感じた。
逆を言えば、彼以外には手応えを感じなかったってことになってしまうけどね。
私の思うがままに動く。それは扱いやすくて素晴らしいことだけれど、そんな凡才の持ち主に私は興味がない。
予想外なくらいのことをしてくれないと、私を驚かせるくらいのことをしてくれないと。
そうでなければ、私の特別になんかなれないよ。
完璧に隠しているつもりだった、私の本心を見抜いてくれるくらいじゃないと、だよ。
拒絶なんか、もうしないと思っていた。何をされても耐えられる、そう思っていた。どんな辱めを受けても、笑顔を作っていられると思っていた。
それなのに、涙を流してしまうなんて。
ただの源頼朝でしかない私を愛してくれる。そう期待して、あんなに嬉しくなってしまうなんて。




